kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

上野千鶴子の「平等に貧しくなろう」(中日新聞・東京新聞)に激怒した

なんだかんだ言って結局は富裕層の人間の言いそうなことだと思った。

東京新聞:この国のかたち 3人の論者に聞く:考える広場(TOKYO Web) より

 きょうは、建国記念の日。二十世紀終盤、司馬遼太郎は著書『この国のかたち』で「日本、そして日本人とは何か」を問い続けた。二十一世紀の今、三人の論者に歌い、語ってもらった。

 <建国記念の日> 古事記日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日は紀元前660年1月1日(旧暦)とあり、これを1873(明治6)年に新暦に換算し2月11日が「紀元節」と定められた。第2次大戦後の1948(昭和23)年に占領軍の意向で廃止されたが、66(昭和41)年に「建国記念の日」として国民の祝日になった。


1966年に祝日として制定され、翌1967年2月11日が最初の「建国記念の日」の祝日になった。それから今年でまる50年になる。中日新聞東京新聞はわざわざその来歴を明記しながら、別にその(安倍晋三らが大好きであろう)復古主義を批判するわけでもなく、「三人の論者に歌い、語ってもらった」という。なんて能天気な新聞なんだろうかと呆れるが、そんなのに出てくる論者も論者だ。3人目のデービッド・アトキンソンという人は、長谷川幸洋孫崎享と同じ「山本七平賞」受賞者だからまだわかるけれども、言葉の中身についていえばその後金尊師もといアトキンソン氏より「マルクス主義フェミニズム」論で知られる上野千鶴子の方がよほど腹立たしいのだから処置なしである。

◆平等に貧しくなろう 社会学者・東京大名誉教授 上野千鶴子さん

 日本は今、転機だと思います。最大の要因は人口構造の変化です。安倍(晋三)さんは人口一億人規模の維持、希望出生率一・八の実現を言いますが、社会学的にみるとあらゆるエビデンス(証拠)がそれは不可能と告げています。

 人口を維持する方法は二つあります。一つは自然増で、もう一つは社会増。自然増はもう見込めません。泣いてもわめいても子どもは増えません。人口を維持するには社会増しかない、つまり移民の受け入れです。

 日本はこの先どうするのか。移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。

 移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。

客観的には、日本は労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつかってしまった。大量の移民の受け入れなど不可能です。

 主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。トランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」と言いましたが、日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。

 だとしたら、日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。一億人維持とか、国内総生産(GDP)六百兆円とかの妄想は捨てて、現実に向き合う。ただ、上り坂より下り坂は難しい。どう犠牲者を出さずに軟着陸するか。日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。ところが、日本には本当の社会民主政党がない。

 日本の希望はNPOなどの「協」セクターにあると思っています。NPOはさまざまな分野で問題解決の事業モデルをつくってきました。私は「制度を動かすのは人」が持論ですが、人材が育ってきています。

 「国のかたち」を問う憲法改正論議についても、私はあまり心配していない。国会前のデモを通じて立憲主義の理解が広がりました。日本の市民社会はそれだけの厚みを持ってきています。

 (聞き手・大森雅弥)

 <うえの・ちづこ> 1948年、富山県生まれ。認定NPO法人「ウィメンズ アクション ネットワーク」理事長。『ケアの社会学』『おひとりさまの老後』など著書多数。近著は『時局発言!』(WAVE出版)。

東京新聞 2017年2月11日=中日新聞にも同じ記事を掲載)


ここでは移民政策の是非については論じない。ひたすら「平等に貧しくなろう」のスローガン批判に徹する。何よりこのフレーズが腹立たしいからだ。

スローガン? そうだ。

上野千鶴子がこういう発言をして、中日新聞東京新聞)が「平等に貧しくなろう」という見出しを掲げた時、それはスローガンとなる。私が直ちに連想するのは「欲しがりません、勝つまでは」というやつだ。いくら上野が

国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。ところが、日本には本当の社会民主政党がない。

と、そこだけを切り取ればまともなこと「も」言っていても、そんな部分は捨象され、スローガンが独り歩きする。

この手の論が出る度に書くことだが、パイが小さくなる時に「平等に貧しく」なることなどあり得ない。富裕層の人間は社会的・政治的な力が強いので、自分の取り分を守ろうとしゃかりきになる。そのしわ寄せは必ずや貧しい者に行く。それが人間心理の法則だ。

上野千鶴子は間違いなく富裕層に属する人間であろう。そういう人間が、社の新自由主義記者が引き起こした不祥事に揺れる新聞社の「建国記念の日」のための特集に不用意なコメントをして、新聞社は「平等に貧しくなろう」を見出しに掲げる。

そんなことを言うならまず上野千鶴子が自らの資産の大半を寄付なりして貧しくなり(「まず隗より始めよ」というやつだ)、周囲の富裕層の人間にも同じことを薦めてそれを行わせ、そのあとで言うべきだろう。上野の言葉はまず富裕層に向かって発するべき言葉だ。そんなこともせずに大所高所からお説教を垂れる。ふざけるな。猛烈に腹が立つ。

これぞ上野千鶴子クォリティ、これぞ中日新聞東京新聞クォリティというべきであろう。