kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

安倍政権閣僚の失言は「緩み」ではなく本音の「露悪」

このところ新聞やテレビでよく言われる安倍政権の「緩み」という言葉について、違和感を感じながらも特に深く考えなかったのは迂闊だった。日記内検索で「緩み」「緩ん」「ゆるみ」「ゆるん」などの言葉を私自身使っていないか調べてみたが、少なくとも2012年の第2次安倍内閣成立後の安倍政権を指して使った例はなかった。例の「アブナイ」ブログからの引用文中から用例を見つけたが(笑)。余談ながら、われながら苦笑させられたことに、2011年のプロ野球セントラル・リーグで中日に逆転優勝を許したヤクルトの小川淳司監督(当時)の采配を評して「緩み」という言葉を用いていた(今思い返しても残念なシーズンだった)。また、昨年の日本シリーズで初戦から連勝しながら4連敗を喫して日本一を逃した広島を批評しても用いていた。

だから一昨日(27日)、ブロガーとして有名な「世に倦む日日」氏のTwitterを見た時には、やられたと思った。

https://twitter.com/yoniumuhibi/status/857396729645330437

世に倦む日日
@yoniumuhibi

閣僚の問題発言だの、官邸のガバナンスだの、政権のゆるみだのたるみだの言うが、どれも違う。正鵠を射ていない。暴言と逸脱は安倍晋三とその仲間の日常だ。政権と政府の平常運転だ。国会の答弁と運営そのものが暴言だらけ、逸脱と違反だらけ。野党議員への侮辱など凄まじいものだ。官僚まで加わって。

17:51 - 2017年4月26日


https://twitter.com/yoniumuhibi/status/857410922612011008

世に倦む日日
@yoniumuhibi

目の前で起きていることは、ヒトラー政権の閣僚が弱者に暴言を吐いているということと同じだ。それを見て、マスコミが、政権のタガがゆるんでいるとか言うのはおかしいでしょう。当を得てない。問題の矮小化だ。暴言、逸脱、違法、違憲、言語道断、の蔓延と定着が、ファシズム国家の日常というものだ

18:47 - 2017年4月26日


さらに今朝、先週『きまぐれな日々』への鍵コメで教えてもらったブログ『読む国会』がこの件を取り上げていることを知った。

政治家の失言は「政権のゆるみ」ではなく、「本音の吐露」だ - 読む国会(2017年4月28日)より

政権のゆるみ、という謎ワード

復興相を更迭 政権の「緩み」は深刻だ(東京新聞社説)
東京新聞社説の引用を省略。元記事または東京新聞社説へのリンク先をご覧ください=引用者註)

「ゆるみ」ってなんだ

閣僚が失言すると、「ゆるみ」というワードが新聞を賑わせる。その言葉は、「今緩んでいるから気を引き締めろよ」というようなニュアンスを含んでいるのだろう。

しかし、この「ゆるみ」というワードは、率直に言って理解しがたいタームである。


東北でよかった、という今村雅弘興大臣の発言

今村発言の詳細

今村雅弘復興大臣の「まだ東北でよかった」発言で審議はストップ。与野党の対応は? - 読む国会

今村発言の問題は「ゆるみ」ではない

もし今村雅弘興大臣の発言が「ゆるみ」であり、「ゆるみ」をマスコミが問題にしているのであるとすれば、彼らが問題にしているのは今村雅弘興大臣の内面ではなく、外見的な取り繕いである、ということになる。

「東北でよかった」という「本音」を口にしたことが問題なのであり、本音は建前の裏にしまっておくべきで、それができなかったのは緩んでいるということだ…彼らの主張はこういうことだろうか。

しかし、今村雅弘興大臣の発言の問題は「ゆるんでいた」ことではない。

安倍総理大臣、あるいは政府が、東北の復興を目的とすべき大臣に、「まだ東北でよかった」と口にしてしまうような人物を任命してしまったこと、そのものではないだろうか。

日本全体で見れば、首都直下型地震の経済的損失は、東北で起こった東日本大震災よりも少ないかもしれない。例えば経済産業省や、内閣府であれば、そういったマクロな視点で物事を見ることが必要なときもあるだろう。

しかし、彼は復興大臣だ。東北の復興を目的として、それを専任でやるべき国務大臣だ。そのような人間が口にする言葉としては、最悪のものではないだろうか。

本音をポロッと漏らしてしまったことが問題なのではない。そのような基本的姿勢を維持するような人間が復興大臣になってしまったこと、それ自体が問題なのであり、「そんなこと口に出しちゃいけないじゃないか、緩んどるな」という種類の話ではないはずだ。


テロ等準備行為だ、という土屋正忠衆院議員の発言

もう一つ、触れておきたい事項がある。

「テロ行為だ」自民がヤジ 局長に詰め寄った民進議員に(東京新聞)

共謀罪」法案を審議した二十一日の衆院法務委員会で、法務省の林真琴刑事局長の席に詰め寄った民進党議員に、自民党土屋正忠理事が「テロ行為だ」とヤジを飛ばしたとして、民進、共産両党が抗議した。


共謀罪の根幹を揺るがす土屋発言

共謀罪テロ等準備罪)における土屋正忠議員の発言である。これは、共謀罪法案の根幹を揺るがす発言だ。

これは、単なる冗談や軽口ではすまない。

この発言によって、少なくとも土屋議員が、内心では「テロ等準備行為」というのは、自分たちにとって都合の悪いことを潰す、言論に対する脅しとしての要素を持っている、と認識していることが明らかになったからだ。

これは曲解ではない。本音で思っていなければこの種の軽口は出ない。都合の悪いことを潰すために「テロ」という言葉を使っているのではないか?という疑念は、全く解消されていない。


失言はゆるみである、というのは、本音でそう思っていることを容認しているということ

ゆるみではなく本音だ

重ねて言うとおり「緩み」というのは、「本音でそう思っていても言ってはダメだ」という

実は、時事通信の特別解説委員である田崎史郎氏も、同じような発言をしている。

今村さんは全然気持ちが寄り添っていない。でも、政治家は寄り添っているふりはしなければいけないんです
(2017年4月26日 「ひるおび」より)

配慮に欠ける発言や表現が過激なものであれば、「ゆるみ」ということで済ましていいかもしれない。しかし、この二つの発言は、どちらも「ゆるみ」が問題ではなく、本音でそういう姿勢を持っていることが問題なのである。

「東京より東北が震災にあったほうがまだ良かった」

民進党がこそこそ打ち合わせをしているのはテロ等準備行為だ」

この二つは、どちらもその内面的姿勢そのものが問題であり、議員としての資格を問われるものであり、また大臣に関しては、本来そのような人物を任命してしまった安倍総理に責任がある話である。


マスメディアは、即刻「ゆるみ」という言葉を使うのをやめるべき

「ゆるみ」という言葉を使ってしまうことによって、まるであたかも執行部の言いつけを守れないことが問題であるかのような論調になり、もっとも重要な首相の任命責任はどこかに行ってしまう。

本来、問題にすべきは任命責任であり、大臣としての資質の問題である。国務大臣というのは、失言をしなければいいわけではない。人間的に的確であるかを常にチェックされ、監視されるべき立場にいる。失言そのものではなく、その裏にある人間性をこそ問題にしなくてはいけない。

マスコミは、二階発言に恫喝されることなく、

なぜなるべきでない人間を復興大臣に任命してしまったのか?
本当にテロ等準備剤はテロを予防するためにあるのか?

このような論点を、きちんと主張し、発信していただきたい。

(『読む国会』 2017年4月28日付エントリ)


「マスメディアは、即刻『ゆるみ』という言葉を使うのをやめるべき」。本当にその通りだ。もちろんこれは、政権を批判するブログやTwitter(私はアカウントを持っていないが読める)やFacebook(私はアカウントを持っていないので普通には読めない)にも当てはまる。政権批判者はこの言葉を肝に銘じるべきだ。

なお、タイトルに記したように、正しくは「緩み」ではなく「露悪」と表現すべきだろう。記事の後半が容量オーバーで消えたようなので、明日書き直す。