kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「サンデー毎日」掲載の「小沢一郎インタビュー」に憤激した(下)

「サンデー毎日」掲載の「小沢一郎インタビュー」に憤激した(中) - kojitakenの日記 の続き。

サンデー毎日」(2018年1月7・14日合併号)掲載の小沢一郎インタビューからの引用を続ける。

 今回の連合の役割は?
「ダメだった。(26日深夜の会談で)だまされた側に回ってしまった」

 共産とは組みたくないという連合と前原氏の反共意識が強すぎた?
「それもある。票は欲しいが、一緒にやるのは嫌だと言う。ある意味図々しい。ふざけんなという話だ。本当はね。だけど、今回はそんな問題とは全然違う話だ。共産党と連立を組むわけでもない。『+α』という位置づけでよかった。失敗の原因は小池氏の驕りと半端な野望にあった」

 結果的に小沢氏の「左手」構想が崩れた。小沢・志位間もギクシャクした?
「それはない。僕は彼にずけずけ言うし、彼もそこまではちょっと無理だと、率直に言ってくる。僕は共産党にはきちんと筋を通してきたつもりだ。向こうが応援してくれるなら、こちらもお返しする。今回の選挙でも穀田恵二共産党国対委員長(京都1区)や、北海道まで応援に入った」

 相変わらず共産党は政局のカギ?
「選挙のカギだ。小選挙区だから2万、3万の上乗せが大きい。自民党の業界団体ですらこうした手堅い票は持っていない。共産党との協力は、政権獲得という目標を現実化する上では絶対に必要だ」

 志位氏は野党共闘をあきらめない、と。
「僕だって頑張る。もう一回絶対に政権交代だ」

 どのへんが照準か?
「まずは参院選だ」

 どうやって組み立てる?
「一緒になれば勝てる。逆に言えば、一緒にならないと勝てない。要は20%、2000万票が出てくるようにしないとダメだ」


赤字ボールドにした部分には全く賛成できない。こうした「小沢思想」こそ乗り越えなければならない、と私は考えている。野合では「20%、2000万票」など絶対に出てこない。

以下が引用文の最後の部分。

 今、野党陣営は立憲民主、希望、民進と3分裂状態だ。野党一本化、どうしたらいい? 彼らも日々試行錯誤だがうまくいかない。
「目先の保身ばかり考えているからそうなる。もっと大欲を抱け、と僕は言いたい。皆小欲だ。なんで天下を取ろうと思わないのか。そう見れば、宝の山ばかりだ。野党内でゴチョゴチョして何をしてるのかと」

 民進党はどうすれば?
「このままだと小首かしげて泥沼へ、という感じだ」

 希望の党と一緒になる?
民進党がダメだからこうなった。その敗残兵がまた集まっただけではダメだ。大欲を抱かなければいけない。天下を望め、と」
「希望に残っている人たちも枝葉末節は別にして、国の基本にかかわる根本的な問題ではそれぞれの考えに従って行動すべきではないのか。それが結果的に再編につながっていくと思う」

先日、立憲民主の枝野幸男代表と会ったが?
「選挙に勝ったお祝いと、うち(自由党)の連中が3、4人世話になったから、ありがとうと」

 野党第1党が動くべきだ?
「そう、第1党なんだから。自由党は全員、首班指名では枝野氏に入れた」

 だが、枝野立憲民主党もなかなか動き出せない。
「天下を獲る絵がどういうものになるか、まだ描けてないのでは」


引用文の最後の部分は「サンデー毎日」に掲載されたインタビュー記事の5頁目(同誌24頁)に当たり、誌上ではここからさらに丸1頁分インタビュー記事が続いているが、こたつぬこ氏の引用はここで終わっているので、この記事もそれに倣って引用はここまでとする。

今回のインタビューについて、こたつぬこ氏は

これ読むとあの野党再編劇のピースがだいたい埋まりますね。

と呟いているが*1、ほぼ同感だ。「ほぼ」というのは、当然ながらこのインタビューにおいて、小沢一郎は自らの支持層や協力関係にある共産党などに配慮したポジショントークをしていることは明らかであって、その端的な例が前原誠司に「小池さんと組めばいいじゃないか」と言った(とされる)ことについて、「僕もこの際、仕方がないと思った」などと言い訳していることだ。しかし、現実にはその小沢の発言が前原の背中を押した形になった。共産党との共闘を重視していた小沢が、小池と組めば良いと「言ってくれた」ことで、前原が「勇気百倍」になったであろうことは疑いない。私はそう考える。そうしたことどもを差し引けば、9〜10月に起きた政変を理解するための格好な資料であるとはいえるのだ。だから、このところの編集方針には全く共感できない「サンデー毎日」を数年ぶりに購入した次第。

なお、小沢びいきに偏りすぎではないかと私には思われるこたつぬこ氏にも、下記のような的確なつぶやきがあることを指摘しておく。以下、氏のツイートを3件つなげて引用する。私が共感したのは、そのうち青字ボールドにした2件目のツイートだ。

https://twitter.com/sangituyama/status/946603172423806977
https://twitter.com/sangituyama/status/946603293567942656
https://twitter.com/sangituyama/status/946603412296052736

そして小池、前原には、かれらの野望の半端さが今回の挫折を招いたと指摘しているのはその通りですよね。大欲をもち死に物狂いで権力とりにいかなかったから、あんな排除だ安保だで崩れたからだというような指摘ができるのが、小沢くらいしかいないのが野党の辛いところです。
他方で、ボトムアップで新しい潮流をつくりあげないと、もはや93年型の数合わせでは前進しないということも教訓になった。小沢はこれはわからないはず。
93年的なものと、3.11後的なものがぶつかり合い、アウフヘーベンまで至らなかったのが今回の総選挙かもしれませんね。


ボトムアップで新しい潮流をつくりあげないと、もはや93年型の数合わせでは前進しない。そのニーズが立憲民主党の55議席につながった。
今年の衆院選で、立民と希望の党の得票を足せば云々という馬鹿げた議論をよく見掛けるが、仮に排除なしの希望の党が選挙を戦ったとしても、その得票は実際の衆院選における立憲民主党希望の党の合計には遠く及ばなかったことは絶対に間違いない。有権者は野党の野合にはもうこりごりだったから、小池百合子細野豪志らに「排除」された立民の挑戦に期待して投票したのだ(私自身は立民には入れなかったけれど)。
しかし、その立憲民主党も、昨年民進党代表に就任するや、いち早く小池にすり寄った蓮舫を入党させるという。
これはとんでもない話だと私は思う。少なくとも私にとっては、立憲民主党に対する期待度は著しく下がってしまった。同様に感じる人が多いだろうことは、このところの世論調査における立憲民主党の支持率低下に表れている。

結局、立民の政治家たちも、喉元過ぎれば熱さを忘れるの諺通り、政変前の惰性力に再び流されつつあるのだなあと思わずにはいられない。
ボトムアップで新しい潮流をつくりあげ」ることは、2018年以降の野党やリベラル・左派にとっての大きな課題だと思うが、その前途は険しい。


今年のこの日記の更新はこれが最後です。新年は、少なくとも三が日は更新をお休みします。それでは皆様、どうか良いお年をお迎えください。