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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

小沢一郎がAERA dot.に「改憲論」を披露

小沢一郎AERA dot.*1に「改憲論」を披露した。長いが以下に引用する。

小沢一郎が改憲と沖縄県知事選を語る「日本政府が米国に何も言えないことが最大の問題」 (1/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

小沢一郎改憲沖縄県知事選を語る「日本政府が米国に何も言えないことが最大の問題」

 安倍首相は残り3年の任期で悲願の憲法改正を実現するため、次の臨時国会自民党としての憲法改正案を提出することを目指している。

 圧倒的多数の与党議席を力に中央突破をはかる構えだが、9月30日には沖縄県知事選が投開票となる。結果次第では、与党内で安倍首相への求心力が下がる可能性があり、憲法改正への道筋に影響が出る可能性もある。

 一方、野党である自由党小沢一郎代表は、安倍首相が目指す憲法改正の発議について「やりたければ、やればいい」と話す。その真意はどこにあるのか。また、沖縄県知事選のポイントは何なのか。小沢氏に聞いた。

*  *  *

──憲法改正のポイントはどこにあるのでしょうか。

 衆議院参議院のあり方を見直すことは一つの大きなテーマだ。参議院は「良識の府」と呼ばれていますが、選挙をするとどうしても政党化してしまうので、日本の国会は衆参で同じことをやっている。国民の批判もそこにあります。

──二院制をどのように変えればいいのでしょうか。

 衆院議員はその時々の有権者の意思を反映する代表として、選挙を通じて選ぶ。一方で、参院議員は選挙をしない形で代表を選ぶ方がいい。都道府県代表でもいいし、職域、あるいは文化芸術分野からの代表でもいい。どのように選ぶかが問題になると思うが、衆議院の各党代表による選考会で選ぶのも、1つの方法でしょう。

──英国の貴族院のようになるべきということでしょうか。

「権力なき貴族院」ということですかね。ねじれ国会の問題も起きないし、参議院も本来の「良識の府」になることができます。

──安倍首相は憲法9条の改正に意欲を見せています。

 衆参両院で3分の2の議席を持っている間に、数の力で発議をしたいのでしょうね。野党が「ゆっくり議論しましょう」と呼び掛けても、話が通じない。おそらく強行採決憲法改正の発議をするのでしょう。(公明党の支持母体である)創価学会が納得するかはわかりませんが。

 ただ私は、発議はやりたければ、やればいいと思っている。おそらく、国民は安倍さんが思い描いている憲法改正には賛成しませんよ。国民投票で否決されれば、安倍内閣は総辞職するしかない。それでいい。

──安倍首相の考える憲法改正と国民の思いには、どのような違いがあるのでしょうか。

 国民はそもそも自衛隊を海外派兵するような憲法改正を望んでいません。2015年の安保法制成立で、自衛隊の海外派兵が法律上、可能になった。一方で、憲法違反の疑念が残りました。そこで9条に「自衛隊」という言葉を入れることで憲法上の問題を解決したように見せようとしているわけだけど、それは国民が認めないでしょう。

──小沢代表は自民党時代から9条の改正論者で知られていますが、安倍首相の考え方とどう違うのですか。

 9条には「国権の発動としての武力行使はしない」と書いてある。世界の歴史は、個々の国が自衛権を発動することで戦争が繰り返されてきました。それが20世紀の二度の世界大戦を経て、個々の国による勝手な武力行使はやめようとなり、国連ができました。人類の知恵です。ところが、安倍首相は自衛権の延長で海外派兵をしようとしている。

 では、世界のどこかで他国を侵略する不心得者の国が出てきたらどうするのか。国連憲章42条には「国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる」と書かれています。そして、日本国憲法の前文には「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と書かれていて、国連の行動に全面協力するのは日本国憲法の理念でもある。

 だから、日本国憲法にも、国連を中心とする平和維持活動に日本が積極的に参加するという条項を加えればいいのです。

──国連の軍事活動に参加することは、9条違反になりませんか。

 なりません。これは、東大の国際法学者で最高裁判官長官を務めた故・横田喜三郎さんも同じ主張をしています。

 付け加えると、安倍首相の私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が14年5月に出した報告書を見ても、国連による武力行使や平和維持活動への貢献は、日本国憲法に反するものではないという考え方が入っている。このことは、私が20年以上も前から言っていたことです。

 しかし、安倍さんにとっては、この考え方では困るんでしょうね。なぜなら、自衛隊の海外派兵は国連の活動に参加する形でしか認められないから。だから、私的懇談会で答申が出ても、安倍首相は採用しようとしないのです。

──野党には武力行使をともなう自衛隊の海外派兵は認めるべきではないとの意見もあります。

 あります。でも、それはおかしい。自分の国が侵略された時は助けてもらうのに、他国は助けないのかという議論になる。「非武装中立」と同じ利己的で、非現実的な話です。

──武装解除や選挙監視など、非軍事的な支援だけではダメですか。

 非軍事的な支援であれ、軍事力の行使であれ、あくまで国連の方針に従って行動するということです。

 軍事力の行使についてわかりやすい例をあげると、日本の国内でも、武器を持った犯罪者がいれば警察官は銃の使用、すなわち武力を行使することは認められているでしょう。持って応戦するでしょう。それは国際社会でも同じこと。国連の指揮のもとで治安を守る活動をするときは、一定の条件下で警察と同じように武器の使用が認められるのは当然です。

──米国との集団的自衛権ではなく、国連の「集団安全保障」に参加するという考え方ですか。

 そうです。「集団的自衛権」と「集団安全保障」では言葉が似ていてまぎわらしいから、私は自民党にいたころから「国際安全保障」という言葉を使っています。

──安倍首相をはじめ、国連中心主義には批判的な人も多い。

 その人達は、日米同盟うんぬんと言いながら、日米安保条約を読んだことがない人達です。安保条約の第5条には、「安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない」と書かれています。

 なぜ、このような規定があるのかというと、日本が侵略された時、国連安保理で対抗措置が決定されるまでにタイムラグがあるからです。一方で、国連が対抗措置を決定した場合、日米の行動はそこで終結する。それが「国連中心主義」ということ。日本国憲法国連憲章日米安保条約は同じ理想、理念に基づいてつくられていて、この3つは「三位一体」なのです。

──9月30日には、沖縄県知事選が投開票となります。翁長雄志前知事は、日米同盟が沖縄の犠牲のうえに成り立っていることを批判していました。

 これは日本政府が悪い。弱腰と手抜き、臆病さ。米国の軍事戦略は大きく転換しました。まず、米国は実戦部隊を最前線に置く必要はないと考えている。日本は、地政学的に中国とロシアと対峙していますが、沖縄の海兵隊も事実上はグアムに行ってます。

 たしかに、部隊を緊急発進させる際の偵察や通信など、各国との協調作戦の機能は日本国内に置いておく必要があり、それには沖縄が便利ではある。しかし、辺野古海兵隊の飛行場を新しく建設することは軍事的に必要ありません。美しい海を埋め立てる必要はないし、そもそも米国内であんな飛行場を建設しようとしたら、米国民は反対しますよ。

 この問題は、日本が米国ときちんと話し合えばいい。米軍が撤退して国内で軍事的能力に欠けた部分が出たなら、日本が自国で整備すればいい。それだけのこと。日本政府が米国に何も言えないことが最大の問題なのです。

──沖縄県知事選に求めることは。

 沖縄については、県内の人でも「基地からお金をもらっているらからいいじゃないか」いう人もいますが、それでは何の問題の解決にもならない。まずは沖縄が一つになってほしい。

(聞き手/AERA dot.編集部・西岡千史)

AERA dot. 2018.9.28 07:00)


これは、11年前に小沢が月刊誌『世界』(2007年11月号)に発表したアフガニスタンに展開するISAF国際治安支援部隊)への自衛隊派兵論を思い出させるインタビューだ。あの文章でも小沢は横田喜三郎を引き合いに出していた。この「論文」*2の頃と現在で、小沢の主張は全然変わっていないと思われる。私は「小沢論文」が載った『世界』を今でも持っているはずだし、それどころか朝日新聞出版から出ている「90年代の証言」シリーズ(元はかつて存在した月刊誌『論座』のインタビュー)の小沢一郎菅直人の巻もそれぞれ持っているから、11年前の『世界』とそれより2年ほど前のインタビュー本も暇な時に読み返したいと思うが、こと安全保障や憲法問題(というより改憲構想)に関しては、小沢の立場は当時と今とで全然変わっていないと思われる。

一方、十年あまり前と現在で小沢一郎に対する態度を大きく変えた政党がある。いうまでもなく共産党だ。

少し前に、「ぶれないのが共産党の良いところだ」と呟いた共産党支持者のツイートに呆れていた共産党批判者のツイートを見たことがあるが、私も後者の人に同感で、十年あまり前と今とで小沢の立場にはほとんどブレがないのに、その小沢に対する共産党の態度は全然違う。十数年前には共産党は小沢を批判していたのに、現在は小沢を批判しない。してみると、変わっていないのは小沢で、180度転回したのが共産党だ。それ以外の結論は出てこない。共産党は「全然ぶれない」どころかもののみごとに「転向」している。

こたつぬこ(木下ちがや)氏のツイートを見ると、立憲民主党おしどりマコ公認にも氏は賛成らしい。


私は、前の記事にも書いた通り、2012年のおしどりマコの一件は、甲状腺癌をめぐる論争ではなく、週刊文春おしどりマコの「虚報」が問題の本質だと思っており、週刊文春(や田中龍作や上杉隆)と杉澤憲医師のどちらを信頼するのかというというに行き着くと考えている。この問題で週刊文春や田中龍作や上杉隆の側につくというのがいまどきの「共産党系学者」の態度なのか。

共産党も同党系の学者も、堕ちるところまで堕ちるしかないのか。寒心に堪えない今日この頃だ。

*1:紙媒体に載ってるかどうかは知らない。

*2:小沢が「書いた」文章は学術論文ではないが、一般に政治家が自分の名前で月刊誌に発表した文章は慣習的に「論文」と呼ばれることが多い。昨今話題の杉田水脈の文章がしばしば「論文」と呼ばれるのもその一例だ。他に思い出させるのは、麻生太郎朝日新聞の曽我豪に書かせたといわれる『文藝春秋』2008年10月号の文章も当時「論文」と呼ばれたことだ。