kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

階猛インタビュー(「Web論座」)に見る「小沢一派」崩壊過程の証言が興味深い

 右派政治家である岩手の階猛には全く関心がなかったのだが、ある人のツイートで論評されていたのでざっと読んでみた。特にその前半部分はなかなか興味深い。朝日新聞社の「Web論座」の無料記事。

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019060500003.html

 

 以下抜粋して引用する。

 

 自由党は基本的に、国民民主党の政策を丸のみするという。すべて国民民主党の政策に合わせると言う。だとすれば、自由党脱原発などの政策実行を期待し、支持をしていた人たちの民意はどうなるのか? そのような人たちは、逆に選択肢を失うことになるのではないか?

 私は、このような理念なき離合集散の繰り返しが、政治不信を引き起こしてきたのだと思う。そして、「希望の党」から「国民民主党」へのプロセスに支持が集まらず、野党への不信感を大きくした最大の要因ではないかと思う。

 

出典:https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019060500003.html?page=1

 

 この旧自由党批判には理がある。その通りだろう。

 

小沢一郎の政治スタイルへの疑問

 国民民主党自由党の合流の背景には、「数こそ力」という小沢一郎氏の政治スタイルがあるのだろう。

 小沢氏は選挙に向けてわかりやすい構図を作り、単純化を進めることで、新たな政局を生み出してきた。そのまとまりが賞味期限を迎えたら、今度は政党の解体に動き、そしてまた新党を作る。目新しさに飛びつく心理を利用したポピュリズムを駆使し、瞬間的な熱狂を生み出す。

 私には、このような政治こそが政治不信を生んできたのではないかという思いがある。

 

出典:https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019060500003.html?page=2

 

 この主張にも納得できる。私がこれにつけ加えたいと思うのは、「選挙に向けてわかりやすい構図を作り、単純化を進めることで、新たな政局を生み出」す手法は、某元号政治団体を主宰する山本太郎にそっくり受け継がれているということだ。私は山本が主張する経済政策に決して反対ではないどころか、むしろ「強い賛成」に近いが、山本の政治スタイルを強く懸念するし、既に小沢一郎にはついていけなくなった有権者がどれだけ山本太郎についていけるかどうかはわからない。(山本にとって)最悪の場合は、2012年衆院選での日本未来の党の失敗の繰り返し、つまり山本本人とせいぜい蓮池透をつけ加えたくらいの惨敗に終わる可能性がある。しかしこんなことを偉そうに書く私自身も、日本未来の党の惨敗は予測できたが、同様のポピュリズム的な風を頼みにした2017年の立憲民主党の躍進は全く予測できなかった。だから山本太郎元号政治団体が惨敗するか躍進するか、それともぼちぼちの結果に終わるかは全く予測できない。

 階猛のインタビュー記事からの引用に戻る。

 

決別の時

 しかし、小沢氏との間に心の距離ができる出来事が生じる。それは東日本大震災の際の行動についてだった。

 小沢氏と私は岩手を選挙区としている。ふるさと岩手が大打撃を受けたことで、私はその対応と復旧・復興に追われる日々を過ごすことになった。

 過酷な状況に直面したのは、同じ民主党選出の黄川田徹衆議院議員だった。黄川田氏の自宅は陸前高田市にあり、自宅・事務所が全壊して津波で流された。さらに、妻とその両親、長男、公設第2秘書が亡くなった。そんな状況にもかかわらず、黄川田氏は懸命に被災地のために奔走し、寝食を惜しんで活動した。

 しかし、小沢氏の動きは鈍かった。みんなが被災地に来てほしいと要望しても、動かなった。しびれを切らした黄川田氏が、小沢氏が被災地を訪問しないことについてメディアの取材に応じ、コメントを行うと、小沢氏は岩手県連で黄川田氏を処分しようとした。

 私はこれに異議を唱えた。あまりにも理不尽で、ひどいと思ったからだ。黄川田氏の心境を考えると、いたたまれなかった。小沢氏の被災地への冷淡な態度を、どうしても理解することができなかった。

 ここで距離ができた。小沢氏に対する心の絆が、途切れてしまった。

 次は、消費税増税をめぐる小沢グループの離党プロセスで、諍いになった。私は消費税増税には反対だったが、離党することにも反対だった。政権交代可能な政治体制を確立することを目指して私は民主党に入った。小沢氏をはじめ先輩方の大変な努力で政権交代を実現したのに、離党すれば民主党政権の危機を拡大させる。政権交代可能な政治体制は壊れ、国民の期待を裏切るだけだと思った。

 「離党だけはやめてほしい」と強く迫った。しかし、「文句は言うな」「だまってついてこい」という態度で、あとは厳しい言葉を浴びせられた。

 もう駄目だと思った。歩む道が違ってしまったと思った。

 「民主主義は数」「数は力」と言い続けてきた小沢氏が、その言葉とは全く逆の行動に出ることのおかしさ。自分の言い分が通らなくなると、せっかくまとまってきた党の仲間を裏切り、党を瓦解の方向に導こうとするご都合主義に、もうついていけないと思った。

 ここで私は小沢氏と決別することになった。

 結局、小沢グループの離脱という内部分裂が露わになったとき、民主党政権の崩壊は決定的になった。

 

出典:https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019060500003.html?page=3

 

 この部分は長く引用した。「小沢一派」崩壊の核心部に関する、当事者の告白だからだ。

 黄川田徹の一件はよく覚えている。階猛と同様にかなりタカ派色の強い保守政治家*1である黄川田氏に対しても、その主義主張に私は賛成ではないが、あの東日本大震災の時の小沢の仕打ちはひどかった。あの時の小沢の頭には「菅降ろし」しかなく、周囲の人間すべてに自らの「菅降ろし」への協力を強制していたのだった。だからそれに従わなかった黄川田氏*2を切りにかかり、当然のごとく黄川田氏の方も自ら小沢から離反していった。

 私は、2010年春の鳩山由紀夫による「辺野古現行案回帰」とそれに伴う無責任な政権投げ出し、同年6月の菅直人による「消費税増税発言」とそれに伴う翌月の参院選敗北、それに前記の小沢一郎による東日本大震災・東電原発事故直後の「菅降ろし」の3つが、民主党トロイカ3人による「民主党政権三悪」であって、これらが原因で民主党政権及び民主党そのものが崩壊したと考えているが、前記「三悪」の中でもとりわけ有権者に与えた悪印象が飛び抜けて強かったのが、東日本大震災や東電原発事故への対応をそっちのけにした小沢一郎の「菅降ろし」だったと考えている。この時に、当の東日本大震災で身内から多くの犠牲者を出した黄川田徹の離反を招き、そこから「小沢軍団」が崩壊していったのは当然だった。

 引用文中後半の「小沢一派」の離党劇については、「新党きづな」の立ち上げによって一派から多くの離党者を出してしまった小沢が、無能な手下に足を引っ張られた形で集団離党に追い込まれたものであって、決して小沢の本意ではなかったと思う。あの集団離党と新党結成が、小沢自身が作り上げた衆院選小選挙区制によって惨敗を招くことを予想できなかったほど小沢が馬鹿だったとは、大の小沢批判者を自認する私にも到底思えない。

 インタビュー記事は上記の部分のあとに、2012年衆院選での日本未来の党の惨敗、そのあと階猛細野豪志を支えようとして失敗した話、最後に「新時代いわて」なる、山本太郎の某元号政治団体を連想せずにはいられない「政治塾」を立ち上げての抱負などが続くが、それらには残念ながら興味がないので引用はしない。

 

 最初に触れた、階猛インタビューを論評したツイートは下記。3件の連投ツイートだが、2件目と3件目を以下に示す(1件目も2件目のツイートに引用されている)。

 

 

 

 小沢一郎山本太郎を信奉する人たちについては、別の共産党支持者が下記のツイートを発しているが、この人は日本共産党執行部は批判しないようだ。

 

 

 もっとも、最近は小沢一郎に対してはともかく、山本太郎に対しては「野党共闘」のイデオローグたちの間から戸惑いや懸念が表明されることが増えているから、水面下での山本太郎との連携*3を薄々と感じさせる小沢一郎共産党との関係も、今後もこのまま続くかどうかはわからない。もっとも小沢には政治生命も残り少ないはずだから、当面大きな変化がなくとも、いずれ時間が解決するのかもしれない。

*1:そもそも小沢一派にはそういうスタンスの政治家が多い。小沢一郎のもともとの主義主張に近い人たちが集まったからだろう。

*2:身内から大勢の犠牲者を出した黄川田氏にとっては「菅降ろし」どころではないことに思いを致すことすら小沢にはできなかった。これこそ「権力者の性」というものだ。

*3:それはもしかしたら阿吽の呼吸でやっているだけで、面会や電話、メールなどでの連絡ではないのかもしれないが。