三春充希氏のちくま新書『武器としての世論調査』や最近のSNS(Twitter)などで「戦略的投票」を知った方もおられるかもしれないが、私がブログを始めて2年目に行われた2007年の参議院選挙で、既に「戦略的投票」は「政治ブログ」の世界では大きな話題になっていた。
その「戦略的投票」について、昨今、「比例区で××党に投票しても死に票になるから○○党に投票しよう」と呼びかける人がいるようだが、それは議席が望めない、たとえば「オリーブの木」に投票しようと考えている人には当てはまるかも知れないが、比例区で当選者を出すと思われる政党に投票しようとしている人には当てはまらない。下記ツイートが指摘する通りだ。
全国比例区に #戦略的投票 は全く必要ないし、そもそも原理的に成立しません。比例代表制は、投票テクニックと最も縁遠い公正な選挙制度です。理由はこの動画で説明しています。
— 1945年への道 (@wayto1945) July 18, 2019
なので、全国比例区での"戦略的投票"を呼びかけるお誘いは全部無視でかまいません。(地方選挙区とのバーターは別です) https://t.co/GZiKyUnMCf
「比例代表制は、投票テクニックと最も縁遠い公正な選挙制度です」とは、良いこと書くねえと感心したので取り上げた。反面、「比例区で××党に投票しても死に票になる」というデマに引っかかる人がいるらしいことは、比例代表制が全然理解されていないことを意味するので、それには愕然とさせられる。2007年にも当時ネットの「リベラル・左派」で大人気だった天木直人(彼は「9条ネット」という政党から比例区で立候補した)を応援しようとして「比例区は天木直人、選挙区では好きな政党へ」と「戦略的投票」を呼びかけた頓珍漢なブログがあったので、「戦略的投票とは選挙区でやるべきものであって、比例区でやるものではない。話が逆だ」と批判したことをよく覚えている。比例代表制では「戦略的投票」は意味をなさないのだ。
比例代表制を軸とした選挙制度、たとえば小選挙区比例代表併用制下での選挙であれば、弊害の多い「野党共闘」などそもそも必要なくなるし、第一党が3割だか4割だかの得票率で6割だかの議席がとれる理不尽もなくなる。
そんな小選挙区制を導入するのにもっとも「貢献」した政治家は小沢一郎であって、この人間が過去30年ほどの日本に植えつけた小選挙区制は、同じ人物が広めた新自由主義とともに日本の政治をとことんダメにした。ところが今回の参院選では、この人物の影がめっきり薄くなった。これは、気の重いことばかりの今回の参院選にあって唯一の収穫といえるかもしれない。
今回話題の山本党について私が評価していることは2つあって、1つは何度も書くように比例区の「特定枠」を2つも重度障碍者の候補に割り当てたことだが、もう1つは東京都選挙区を除いて候補者を比例区に集中させたことだ。つまり山本太郎は比例区の得票率での戦いを与党・野党を問わない他党に挑んだのだ。これを私は、山本太郎が小沢一郎の「小選挙区制原理主義」に対して静かな反撃に出たものとみなしている。山本太郎は急速に「小沢離れ」を始めていると見てほぼ間違いないだろう。唯一懸念されるのは、従来の「小沢信者」(オザシン)たちの大部分が「山本太郎信者」(ヤマシン、タロシン)に乗り換えつつあることで、あの個人崇拝というかヒーロー依存心の強い連中が今後山本太郎の足を引っ張るだろう。
「戦略的投票」の話に戻ると、私は12年前の『きまぐれな日々』に、民主党にはネオコン(新保守主義)の候補者も結構いるから、比例区で民主党に投票する人は、党名ではなく候補者の名前で投票した方が良いと呼びかけた。その選挙で私自身は比例区では社民党の政党名を書いたが、選挙区で民主党の植松恵美子に投票したことを後に後悔した。植松は参議院では小沢寄りの議員として活動したが、見るべき実績を残さなかったからだ。2008年8月31日に反貧困キャラバンが高松に来た時も、植松は遅れてやってきてヘラヘラした態度をとっていた。その植松は今では香川県三木町の副町長を務めている。あんな人が当選するくらいなら、2007年の参院選で、日本国憲法に変えるべきところはあるだろうが9条は守るべきだと言っていた自民党の真鍋賢二の方がまだマシだったかもしれない。真鍋は大平正芳直系の「保守本流」の人だったが、今の自民党に9条を変えるなど言っている政治家などいるのだろうか。そのことと2007年の参院選の選挙結果、さらには明日中に大勢が判明する今回の参院選を思い合わせると、結局この12年で日本の政治と社会は悪くなる一方だったなあと思う。
ところで一昨日、安倍政権支持層と山本太郎支持層に通底するものがあると指摘する平河エリ氏のツイートについての記事を書いたが、『広島瀬戸内新聞ニュース』に下記の記事が公開された。
2013年頃は山本太郎と安倍晋三双方に期待する層は確かにおられた。
そういう方々は安倍自民党の「脱原発依存」「TPP反対」を信じていた。
また、そういった方々の間には旧民主党に憤りがあった。
皆様も頭に置いておかれた方がよい。
このあたりを踏まえると、この間の票の動きなどが見えてくることがある。
山本太郎が今回立ち上がらなければ、維新や自民はもっと勢いがあっただろう。
野党の経済政策も貧弱になっていたろう。
さらにいえば、「2013年に山本太郎と安倍晋三の双方に期待していた人」は、その前の2007〜09年頃には小沢一郎に期待していたのではなかっただろうか。あるいはその更に前の2001〜05年頃には小泉純一郎に期待していたかもしれない。結局カリスマへの強い依存心という共通項で括れるのではないか。第2次以降の安倍政権で唯一安倍晋三が脅かされたのが一昨年の東京都議選であって、その頃に絶頂期を迎えていたのが小池百合子だったことも思い出したい。
12年前の参院選の結果には私も浮かれた口だったが、結局2007年の参院選やその2年後の「政権交代選挙」を経ての民主党政権は、結局小沢一郎の「剛腕」が期待されて生まれただけの徒花ではなかったか。最近そう強く思うようになった。
結局小沢は自らが引き起こした民主党内の権力闘争によってみごとに期待を裏切った。もちろん反小沢派も同罪だったが、2012年の衆院選で「菅直人や野田佳彦が『民主党マニフェスト』に反する政治をやったから悪い」という日本未来の党の訴えに対して有権者が「違う。お前らも菅直人や野田佳彦と同罪だ」という審判を下し、同党は二桁議席も得られない惨敗を喫したことを、当時の小沢系政治家やその支持者たちはもっと真剣に反省・総括しなければならないだろう。もちろん民主党政権時代への反省と総括が欠けているとは、当時の「反小沢」側の旧民主・民進系政治家やその支持者たちについてもいえることだが。
小沢一郎は静岡では国民民主党の榛葉候補の、宮城(仙台)では立憲民主党の石垣候補の応援演説を行ったらしいがほとんど話題にもなっていない。すっかり存在感を失った小沢について「『平成』*1とともに去りぬ」といったところかとの感慨を抱いたが、「小沢の時代」の終焉が、「カリスマに依存する時代」の終焉につながらなければ何の意味もなかろうと思う今日この頃だ。