kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

山本太郎に求められるのは「小沢一郎殺し」だ

 ブログの更新を休んでいる間、今春新潮文庫入りした村上春樹の『騎士団長殺し』を5日間かけて読んでいた。ハードカバーでは決して買わず、村上をノーベル賞級の作家だとも全然思わず(そもそもノーベル賞自体が胡散臭いが)、「ハルキスト」と呼ばれる「信者」たちも大の苦手だが、過去に読んだ村上の長篇としては唯一面白いと思った『ねじまき鳥クロニクル』の直系、あるいは変奏曲のような『騎士団長殺し』は面白かった。

 ひとことでいうと、これは「父親殺し」の小説だ。ドストエフスキーがこのテーマを壮大に展開した『カラマーゾフの兄弟』の系列にあるともいえる。モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ*1の善玉と悪玉をひっくり返して、同じモーツァルトの『魔笛*2みたいにしてしまった発想も面白く*3、『ドン・ジョヴァンニ』をそんなふうに使うのか、と感心することしきりだった。

 書名からして私は「父親殺し」を連想したのだが、その通りであったことは新潮文庫版第2部下巻の89頁に明記されている。このくだりを読んで、やはりそうだったかと思った。さらに、小説の末尾近くの部分から、小説の大部分は2007年から翌2008年初めにかけてが描かれていると特定できるが、ちょうどその2008年に村上春樹は父親を亡くしていた。そして村上春樹と父親との間には20年近くにわたった長い確執があったらしいことを知ったのだった(下記リンク参照)。

 

www.news-postseven.com

 

 以上は長い前振りで、本当は読書ブログに書いた方が良かった文章かもしれないが、ちょうどその頃ネットの一部で話題になっていた山本太郎に関する下記ブログ記事を読んで、いやそれを読む前から感じていたことなのだが、山本太郎には「父親殺し」ならぬ「小沢一郎殺し」が必要なんだよな、と強く思った。

 

www.yomu-kokkai.com

 

 上記リンクの記事で、山本太郎原発に対するスタンスの変化が指摘されている。以下引用する。

 

先日のインタビューで、山本太郎氏はこう答えている。

選挙戦で掲げた「原発即時禁止」については「そこに強い打ち出しを持ったら、多分、野党全体で固まって戦うことが難しい」と指摘。「電力系(の支持層)の力を借りながら議席を確保している人たちもいる」とも述べ、野党共闘の条件とすることには慎重な姿勢を示した。

山本太郎氏 次期衆院選の野党共闘、消費税5%は絶対条件 - 毎日新聞

 

しかし、かつてはここまで強く発言していたのだ。

枝野さん、細野さん。この国のすべての人を被曝させた民主党は戦犯です。首狩り族の一人として僕は行く必要がある。野田さんもそうです。ケジメをつけに行ってやろう。

田中龍作ジャーナル | 山本太郎氏出馬 「枝野・細野・野田は戦犯、僕は首狩り族になる」

 

日本の反原発運動の旗手として当選した候補が、その6年間の議会活動の中で打ち出す政策のウェイトを大きく変えたことは、冷静に評論されなければならないことだろう。

 

出典:https://www.yomu-kokkai.com/entry/reiwa-yamamototaro

 

 少し前に私はこの日記で、山本太郎は別に彼が自称する「保守」でもなんでもなく、本質的にノンポリの人だろうと指摘した。彼が政治の世界に入った当初に強く訴えた脱原発・反原発の姿勢も、2011年の東電原発事故以降に定めたスタンスであることは明らかだ。原発より経済へと比重を移したことについては、むしろそうあるべきだと私は思うが、しかし山本が電力系議員に配慮を示すかのような発言をしたことは、原発推進・容認派との妥協というよりは、電力系議員を抱える国民民主党と合流した小沢一郎への配慮、というより小沢への阿(おもね)りであるようにしか私には思えない。そして、山本太郎における最大の問題点は、彼が小沢を乗り越えようとしているようには全く見えないところにあると私は考えている。

 たとえば山本太郎衆院選選挙制度への小選挙区制導入を批判して、選挙制度の再改変を目標とすると言ったことが一度としてあっただろうか。

 もっとも、今回の参院選比例区での勝負に的を絞ったことから、将来的に衆院選選挙制度再改変を目指す萌芽とも見られなくはない。しかしその一方で、山本には小沢一郎譲りの「自らの権力闘争が第一」的な方法論や「大きな塊」志向も見受けられる。

 閉塞状況にある日本の政治の元凶の一つが、衆院選への小選挙区制導入であると指摘する論者は、昨年亡くなった元毎日新聞記者の岸井成格ら、かつての「政治改革」を推進した人たちの間にも広がってきたが、それを目指す政治勢力はほとんどない。日本共産党は本来それを目指しているはずの政党だが、2015年に始まった「野党共闘」以降、その目標を棚上げしてしまったかのように見える。

 そんな状況で、政界入りの前後から小沢一郎の強い影響を受けてきた山本太郎がいつまでも小沢の呪縛から解放されないようでは、現在開けてきたように見える山本の政治家としての将来も、急速に再び閉ざされていくことだろう。

 いや、ひとり山本太郎のみに限った話ではない、現在の日本の政治にとって必要なのは「小沢一郎殺し」だ*4。そう声を大にして叫びたい。

*1:村上春樹は「ドン・ジョバンニ」と表記している。一方でイタリア人音楽家の名前を「ヴィヴァルディ」と表記しているのに。

*2:魔笛』は『ねじまき鳥クロニクル』第3部で村上がモチーフとした音楽だった。他にも、イタリアオペラを導入部にのみ用い、以後はドイツのクラシック音楽をモチーフにしたところとか、『騎士団長』の第2部で少女が失踪する直前に、『ねじまき鳥』第2部で村上がモチーフにしたシューマンの「予言の鳥」を連想させずにはいられない鳥の鋭い鳴き声を「私」が耳にした場面、あるいは『ねじまき鳥』がノモンハン事件を背景にしたのに対して『騎士団長』ではナチス・ドイツオーストリア併合と日本軍が引き起こした南京事件(これへの言及のために、村上は百田尚樹に代表されるネトウヨ産経新聞などの極右勢力に深く憎悪されることになったようだ)を背景としたことなど、『騎士団長殺し』が『ねじまき鳥クロニクル』との類似は驚くほど多い。おそらく村上は意図的にそのような構成にしたのだろう。

*3:ネット検索をかけたら私と同じ感想を持った人がいた。https://eranderu.exblog.jp/26866458/ 但しこの人はこのブログ記事のみならずブログ全体でも『ねじまき鳥クロニクル』には言及していないようなので、もしかしたら『ねじまき鳥』は読まれたことがないのかもしれない。

*4:言わずもがなだが、私は何も小沢一郎の生物学的生命を奪えと言っているのではない。