kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

新「立憲民主党」の発足と山本太郎の迷走、それにオザシンの終焉

 新立憲民主党が発足し、枝野幸男が代表に選ばれた。

 この政党については、「広島瀬戸内新聞ニュース」が書く通り、「野党第一党が一定程度反新自由主義原発ゼロをはっきりさせた」点に、辛うじてではあるが意義が見出せるだろう。正直言って、まだ新自由主義の尻尾をかなり残しているとは思うが。

 

hiroseto.exblog.jp

 

 前記リンクの記事の後半は山本太郎への苦言になっている。山本太郎は、広島の反安倍・反自公の人たちの間でも人気・人望が地に堕ちていることが、同じサイトの少し前の記事に指摘されていた。

 

hiroseto.exblog.jp

 

 前記2件目のリンクの記事から抜粋する。

 

都知事選以降のあなたのわたしの地元支持者内での評判が最悪に堕ちた。小選挙区制がある以上、意地の張りすぎは自殺行為だ。小選挙区廃止で突っ走るなら別だがそれなら比例中心で行くべきだろう。

 

(「広島瀬戸内新聞ニュース」2020年9月9日)

 

出典:https://hiroseto.exblog.jp/29172070/

 

 これまでにもこの日記で繰り返して指摘してきたが、山本太郎小選挙区制を中心とした現在の衆議院選挙の制度を批判したことは一度もない。おそらく師と仰ぐ小沢一郎に対する忖度からだろうが、小沢は山本とは違って(保守)二大政党論者だ。この点は、無定見が目立つ小沢という政治家にあって、数少ない一貫した点だ。だから今回立憲民主党入りして、宿敵・菅直人とともに代表選における枝野幸男の推薦人に名を連ねた。菅直人もまた二大政党論者で90年代の「政治改革」の推進者だったから、一部の人からはいかに奇異に見えようが、彼らなりに筋は通っているのだ。私は現行の衆院選挙制度に大反対だから彼らとは意見が合わないが。

 一方、山本太郎がこれまで小選挙区制を批判しなかったのは、そもそも選挙制度に大して関心がなかったために、師の小沢一郎に単に忖度したからに過ぎなかったのだろう。この点だけとっても政治家としてあまりにも未熟だとしかいいようがない。私は前にも書いた通り、山本はやはり一度政界から退いて、それでも国政に対してたぎる闘志を心の内に感じるのであれば、勉強し直した上で国政に復帰すれば良いと思う。

 そうせず、少し前に山本が発表した通り東京7区に長妻昭への刺客として超泡沫の陰謀論者・高橋阿斗を立てたりしても、供託金を没収されて笑いものになるばかりだ。玉木雄一郎一派(新国民民主党)と組もうにも、あの党は新自由主義者前原誠司ら)と右翼(前原誠司ネオリベとの兼務=や山尾志桜里ら)と原発推進論者(電力総連と電機労連の4議員)らの寄せ集めというゴミ溜めのような政党でしかなく、遅かれ早かれ瓦解する運命が待ち受けているだけだ。結局山本太郎のコアな支持層として現在残っているのは、私が「オザシン系ヤマシン界隈」と呼ぶところの狂信的な人たちだけではないか。一部には自民や維新の関係者や支持層から、立憲民主党や「野党共闘」を潰すための利用価値をまだ見出している勢力(たとえば産経新聞など)から未だに持ち上げられているが、敵の手駒にされようとしている自らのふがいなさくらいには、いい加減気づくべき時だ。

 2007年の参院選民主党が大勝した前後から大量発生したと思われるオザシン(「小沢信者」)がネットに悪影響を垂れ流してきた時代も、ようやく終わろうとしているかに思われる今日この頃。下記ツイートが指摘する通り、小沢一郎の信者たちからの人気ももうすっかり失われた。

 

 

 確かに今回は「オザシンの終焉」を告げる政局でもあった。神子島慶洋氏のツイートにも注目した。