kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

菅直人と菅義偉、それに小沢一郎、前原誠司ら

 このところ、2010年6月初めから翌年8月末まで1年3か月間続いた菅直人政権が話題になっている。何の因果か、菅義偉政権は今年9月半ばから1年間続く。第1次と第2次の内閣が、ほぼ同じ顔ぶれで(衆院選の落選者を除く)続くだろうが、第3次内閣はない。菅直人内閣が民主党政権の曲がり角に立ったのと同様、菅義偉内閣は自民党政権の曲がり角に立つ。そして散々な批判を浴びた末に退陣することも同じになるだろう。あとに来るのは次の選挙で政権維持に十分すぎる議席を確保するであろう自民党政権だが、これまたさらなる批判を招き、国政はカオスの様相を呈する。安倍晋三が竜宮城で新型コロナの玉手箱を開けてしまった以上、必然的にそうならざるを得ない。1970年代や80年代の夢は、もう二度と戻ってこない。

 

 下記記事のコメント欄より。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

id:Jiyuuniiwasate

 

産経の自称スクープ。

船長釈放「菅首相が指示」 前原元外相が証言 尖閣中国船衝突事件10年 主席来日中止を危惧
9/8(火) 6:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/24f508e7b941d12e7cd57dc3f369e66e9b8f0c2b

ここで重要なのは、なぜ今になって前原が暴露したかということ。
菅(菅義偉が総理になったらこれからどうするんだよ)は立憲で、前原は国民、
つまり、これは前原による立憲潰しだ。
国民が自民に接近する可能性は高い。

 

urinarazuke

 

産経の自称「スクープ」は、もう一つの細野豪志へのインタビュー記事と併せて読むと興味深い。

尖閣衝突事件10年 極秘訪中した細野豪志氏 長い交渉の末に「邦人釈放」耳打ち
9/8(火) 8:41配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/40a021d61e2303b0c955f6578354c866f0dc8881

当時、尖閣衝突事件で悪化した日中関係の改善と、中国側が報復措置で拘束したフジタ社員4人の解放のために、菅直人首相の特使として細野が極秘訪中したことは公然の秘密であったが、改めて本人が認めた形。
前原誠司の「菅首相が指示して船長を釈放させた」も同様で、何を今更というのが正直な感想。

それにしても、前原へのインタビュー記事だが、

>前原氏によると、国連総会に出席するための22年9月21日の訪米出発直前、首相公邸に佐々江賢一郎外務事務次官ら外務省幹部とともに勉強会に参加。その場で菅氏が公務執行妨害容疑で勾留中の船長について「かなり強い口調で『釈放しろ』と言った」という。

>前原氏が理由を聞くと、菅氏は同年11月に横浜市アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議があるとして「(当時の中国国家主席の)胡錦濤(こ・きんとう)が来なくなる」と主張。中国側は船長の釈放を要求し、政府間協議や人的交流の中止などさまざまな報復措置をとっていた。釈放しない場合、胡氏が来日しなくなることを懸念したとみられる。

>前原氏は「来なくてもいいではないか。中国が国益を損なうだけだ」と異を唱えたが、菅氏は「オレがAPECの議長だ。言う通りにしろ」と述べた。前原氏はその後、当時の仙谷由人官房長官に「首相の指示は釈放だ」と報告した。

菅が「APEC胡錦濤が来ないと困るから船長を釈放しろ」と前原に告げたのが事実だとしても、前原はこれを本気で信じているのだろうか?
もしそうだとしたら、余りにも天真爛漫でオメデタイ奴としかいいようがない。
船長釈放に追い込まれた本当の理由は、中国側にフジタ社員拘束とレアアース禁輸の報復措置を発動され「人質と兵糧攻めに屈した」からに決まっているだろうに。
特にレアアース禁輸が決定的な打撃で、経団連の主要企業が軒並み「兵糧攻め」に遭って音を上げ、さっさと釈放するよう民主党政権に圧力をかけたのは間違いあるまい。
菅の前原に対する発言は、「人質と兵糧攻めに屈した」ではカッコ悪いので、菅が見栄を張ってAPEC云々の言い訳をとっさに思いついて告げただけの単なるハッタリ、目眩ましというのが真相だろう。
あるいは前原の性格から、「人質と兵糧攻めに屈した」なんて言おうものならかえって意固地になって断固釈放拒否を唱えかねないと心配したのかもしれない。
菅は産経の取材に「私が釈放を指示した事実はない」と(同じ菅でも)ガースー並みに知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるが(まあ当然だわな)、あんな苦し紛れの言い訳を前原は鵜呑みにしているのかと内心驚き呆れているのではないか。

両方の記事を読んで、福島原発事故対応の時もそうだったが、菅が前原を遠ざけ、細野を重用した理由がよくわかった。
前原はプライドは高いが頭でっかちで口だけ番長、良くいえば純真だが「腹芸」ができず、「泥をかぶる」ことができない点が政治家として致命的な欠点。
対して細野は、率先して手足を動かし、泥をかぶることを厭わない。
加えて当時、山本モナとの不倫騒動で評判を落とし民主党内でも左遷されていたから、極秘訪中や原発事故対応という人が嫌がる汚れ仕事も名誉挽回の絶好のチャンスとして細野は喜んで引き受けるだろうと、菅はそこまで計算していたのではないか。
細野もインタビューに応じはしたが、一応「恩人」である菅に義理立てして、すべてを吐露はせず内心に留めている秘密がまだまだあるように記事のトーンからは思われるし、「オレがオレが」で何でもベラベラ喋りたがる前原とはこの点でも対照的。
菅は性格は悪いが、人の「使い道」を見極める鑑識眼は超一流だと改めて思う。
絶対に上司であっては欲しくない人間だが(苦笑)。

 

 菅直人は「私が釈放を支持したという指摘はあたらない」とか言ってましたね。私も「ガースーかよ」と思いました。彼の名前は、本当は「すがなおと」と読むのかもしれません。

 それはともかく。

 2010年春から初夏にかけての民主党内の政変は、2008年の福田康夫の政権投げ出しと合わせて、あの頃、日本の政治の前途を暗くした2大要因だったと今でも考えている。

 2008年の福田康夫政権投げ出しは、第1次安倍内閣が行った政治の否定的総括を止めてしまった。あの時、直感的に「嫌な事態になった」と思ったが、その悪い予感が的中したのがその後の今に至る12年間だった。

 2010年6月の民主党内政変はもっとひどかった。

 同年4月の「鳩山降ろし」には、小沢一郎が関与していた。当時鳩山由紀夫は、「辺野古現行案回帰なんかをやったら、小沢さんに政局にされる」と脅えていたがその通りになったのだった。

 しかし、小沢が迂闊だったのは、鳩山を降ろしたあとのことについて根回しを全然していなかったことだ。小沢は当時、菅政権でも幹事長にとどまろうとして菅に連絡をとったが、菅に断られたらしい。その時点で、菅は既に前原誠司野田佳彦枝野幸男らに担がれていた。結局小沢は、自らが追い落とした鳩山由紀夫と組むことになった。いわゆる「民主党トロイカ」が崩壊し、「小鳩 vs. 菅直人」の対立構図になったことが、その後民主党政権が崩壊するに至るまで政権に害を与え続けた。

 本当は、菅直人小沢一郎という、互いに体質が合わないながらも、ともに単独では一人前の政治をする能力を持たない2人の政治家が、鼻をつまみながら協力するしか民主党政権の生きる道はなかったと今でも私は考えている。

 この2人の無能さが露呈したのが、2010年6月の民主党代表選だった。菅は前述のように前原や野田らに担がれたが、菅に対抗して「社民党にも指示される候補」を担ぐと称していた小沢が実際に担いだのは、「希望の党」騒動でも比例名簿上位に載せてもらったおかげで一時的に国会議員に返り咲いた、あの極端な新自由主義者樽床伸二だった。ちなみに、あの時虚仮にされた格好の社民党が小沢に対して怒りを表明しなかった時点で、私は社民党に見切りをつけ、その後何年間か選挙で社民党に投票するのを止めた(しばらく共産党に投票する機会が増えた)。あの時小沢一郎に抗議できなかった福島瑞穂は、今に至るも全く買っていない。

 このように社民党もひどかったが、元凶はなんと言っても菅直人小沢一郎だ。

 当時オザシンだった方のツイートより。

 

 

 

 樽床はこの2010年6月の民主党代表選で「頑張った者が報われる社会を」とほざいたのだった。ネオリベの常套句の代表格。しかし、こんなのを小沢は担ぎ、植草一秀も樽床を絶賛した。一方の菅直人は前原や野田に担がれた。「どちらが勝っても」*1民主党政権の経済政策が右傾化することはこの時点で目に見えていた。

 この時にこんないい加減なことをやったからこそ、民主党政権はその後2年半しか持たなかったし、そのさらに5年後には前原と小沢という最悪コンビが、小池百合子というこれまた最悪の野望家と組んで、「希望の党」騒動を引き起こすことになった。これは結局欲の皮が突っ張った小池が「排除宣言」で枝野幸男らを切り、次いで小沢一郎らも切ったことで自滅したが。今回はその枝野と小沢が組んだ。この組み合わせも、いくらなんでも今回が(最初で?)最後だろう。

 そして前原誠司。2006年の「偽メール事件」では配下から自殺者まで出し、「希望の党」騒動では野党第一党をぶっ壊したこの政治家が、未だに失脚していないことは私には不思議でならない。だが、その前原も、山尾志桜里とともに「ゴミ溜め」としかいいようがない新国民民主党に落ち着くことになった。

 かつて菅直人が言うには、政党の規模が小さいほど意見の対立が激しくなりやすいとのこと。この法則は間違いなく新民民にも当てはまり、この「玉木新党」は前原誠司山尾志桜里に引っ掻き回されたあげくに瓦解していくに違いない。

 前述の菅直人の発言を知ったのは、朝日新聞出版の「90年代の証言」シリーズを読んだ時かな。現在は押し入れの奥深くにあるが、このシリーズは菅直人小沢一郎の巻の2冊だけ持っている。2人とも政治人生の終わりは近い。特に菅は、次の総選挙で落選する可能性がかなり高いのではないか。

*1:まあ小沢の方は本気で勝ちに行くつもりなど全くなかったわけだが。