kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

共産党、「同性愛は性的退廃の一形態」とする1970年代の見解の誤りを2020年党大会で認めて謝罪・訂正

 先週は水曜日から金曜日までは時間がとれず、昨日は雑用のために、計4日間更新を休んだ。その間は、通常国会の閉会中にはいつも見られる安倍内閣支持率上昇というろくでもない状態。

 今日取り上げるのは、共産党が半世紀ぶりに誤りを認めた一件。下記は志位和夫委員長のツイート。

 

 

 元ツイートを発信した方の反応。

 

 

 この件に関する他の方々のツイート。

 

 

 

 前進には違いないし、共産党が誤りを認めたことは評価すべきだ。

 しかし、1970年代の誤りを認めたのが2020年とは、あまりにも遅すぎないか? 半世紀近くもかかっている。

 これには共産党民主集中制の問題ももちろんあるだろうが、それよりも強く認識されるべきは、一度決めたことが惰性として延々と続くということだよ。これを私は、人間社会における慣性の法則とひそかに呼んでいる。

 最近よく思うのは、人間、どんなに悪いことにも慣れるということだ。

 安倍内閣の支持率が40%以上で高止まりしていることなど、その典型例だろう。というより、安倍内閣支持率の報道に接するたびに、この「人間社会における慣性の法則」をいつも連想するようになっている。

 一度決めてしまったことはなかなか変わらない。小沢一郎がやった衆院小選挙区制(1994年)もそうだし、安倍晋三が第1次内閣でやった「改正教育基本法」(2006年)もそうだ。最近では、某元号政党の議席を増やすことができるのであれば、現日本国憲法安倍晋三によって「安倍憲法」に改悪されても構わない、という意味のコメント(もちろん表現は私が大きく書き換えている)をこの日記に寄せた、さるヤマシン(「山本太郎信者」)の方*1がおられたが、あまりにもあさはかな考えというほかない。「安倍憲法」だの「2012年自民党第2次改憲案」だのがひとたび成立すれば、それは何十年も変わらないのだ。

*1:ご自身では「信者ではない支持者」を自称しておられたが、私は「信者」だと認定した。