kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

2007年に安倍晋三が政権を投げ出した時に「水に落ちた犬は打つな」と妄言を吐いて陰謀論まで開陳した「知の虚人」内田樹(呆)

 一昨日(2/11)夜のTBSテレビ「news23」に法政大学の上西充子教授がゲスト出演して、上西教授が発信したツイートなどによってネットでは既におなじみの「ご飯論法」を紹介していた。

 

 

 私も見ていたが、4%程度といわれるこの番組の視聴者のうち、かなりの割合が「ご飯論法」を知っていたのではないか、安倍晋三の酷さをよく認識していない視聴者へのアピール度はどれくらいだろうか、とも思ってしまった。

 で、昨日もこの日記の更新をパスしてしまったわけだが、現在のように政権が末期症状を呈しているにもかかわらず倒れる気配が全く感じられず、それどころか、野党内でも争いや、どことは書かないけれども怪しげな政権の補完勢力の妄動ばかりが漏れ伝わってくる。こういう状況にめげてばかりもいられないので、今日は更新することにした。

 昨日この日記にいただいたコメントより。

 

id:suterakuso

 

しかし、まあ、こいつ↓も、生命としての死も心配してやらなければならないような異様な状態だと思いますね。政治的に死んでくれればそれで十分なのに。早く「国民」も介錯してやれよ。本人のために、というレベル。

首相「ウソつき」発言謝罪拒否 「非生産的なやり取り」
https://www.asahi.com/articles/ASN2D3T1BN2DUTFK003.html?iref=comtop_list_pol_n06

首相がヤジ、辻元氏に「意味のない質問だよ」 予算委で
https://www.asahi.com/articles/ASN2D54KGN2DUTFK016.html?iref=comtop_list_pol_n05

首相「質問ではなく罵詈雑言だ」 野党も驚く攻撃の連続
https://www.asahi.com/articles/ASN2D6K4SN2DUTFK01F.html?iref=comtop_8_01

つくづく不幸な奴だと思う。麻生ともども。天皇と同様に。生まれが悪い。そういう不幸な人間を作り出してしまうのが「日本」だということ。そういうことに恐ろしく冷淡。

ちなみに、次のブコメをつけました。

>水に落ちた犬は打て、だ。ここで手加減は一切してはならない。野党はもちろん、マスコミもだ。これ以上不道徳をはびこらせてはならない。人間の退廃を食い止めなければならない。

 

 いちいちその通りだと思うが、特に「水に落ちた犬は打て」とのフレーズから思い出されることがある。

 これはもうここ12年ほどの間に何度書いたか知れやしない。たとえば下記は「きまぐれな日々」の2008年6月30日付記事からの引用。

 

昨年まで安倍晋三を批判していたブログの中には、安倍退陣と同時に「水に落ちた犬は叩きたくない」などと言って、安倍の批判を止めてしまったところもある。あるいは、福田政権が発足すると、「なんだ、福田なんて安倍以下じゃん」と書いたブログもあった。当該ブログは、安倍が一昨年の総裁選を争っていた頃から安倍を批判していたにもかかわらずである(もっとも、あの総裁選では、福田康夫は早々と下りてしまったのだったが)。

出典:http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-669.html

 

 「水に落ちた犬は叩きたくない」と言ったのは、そのあとあろうことか安倍晋三の盟友だった平沼赳夫城内実を応援する旗を振り始めた「喜八ログ」というブログだったが、今さっきネット検索をかけてみて、「喜八」の親玉的存在というべき「大御所」が当時発した「言論」を知ってしまった。内田樹である。下記は「内田樹の研究室」の2007年9月13日付、つまり安倍晋三が第1次内閣を投げ出すことを表明した翌日の記事だが、これを読んで久々に血が逆流するほどの烈しい怒りに襲われた。以下内田の記事を全文引用する。

 

blog.tatsuru.com

 

安倍首相辞任のテレビニュースを見ていたら、ほとんどの人が「罵倒」に近い言葉づかいで政権放棄のていたらくを難じていた。
私は安倍晋三という人はかなり無能な首相であったし、政治的判断を誤り続けていたと私も思うが、ここまで日本中で悪し様に言われると、ちょっと気の毒になってくる。
テレビ・ニュースで、マイクを向けられた渋谷の女子大生が「お疲れさまだよね」とぽつんとつぶやいていた。
思わずテレビ画面にむかって「おまえ、いいやつだな」と声をかけてしまった。
たいせつだよ、そういう態度は。
「水に落ちた犬を打つな」だか「水に落ちた犬は打て」だったか、この魯迅が言い出したということわざの正しい使い方が私にはよくわからないが(麻雀では「水に落ちた犬は打って蹴って沈めろ」が大原則であるが)、今の場合は「水に落ちた犬は打つな」を採りたい。
彼は総理大臣になるべき人ではなかったのである。
多少は彼自身も求めたことであろうが、実質的には「担がれた」のである。
「仲良し」はいても子飼いの一族郎党を持たず、主要閣僚の経験さえない当選5回の51歳の代議士は冷静に考えれば総理大臣には適任ではない。
担いだ諸君は「担ぎやすかった」から担いだのである。
彼を担いだときの自民党議員たちが挙げた第一の理由は「来年七月の参院選の顔」というタレント性だった。
戦後レジームからの脱却」すなわち改憲と愛国イデオロギー教育の強化はたかだか第二の理由にすぎなかった。
第三の理由は(誰も大きな声では言わないが)、安倍を担いでいるかぎり、首相は「担ぎ手」の動きには一切制約をかけないし注文もつけないという「フリーハンド」が確保されていたことである。
小泉純一郎という「フリーな総裁」の準・強権政治の下で、自民党議員たちは首相の顔色を伺うことにいささかうんざりしていたのである。
顔色を見なくてもいい総裁。
それが安倍晋三を担いだ第三の(けっこう大きな)理由である。
だから、7月29日の大敗で、彼の存在理由はもう実質的にはゼロになっていたのである。
あのときに「続投」という最悪の選択を誰が首相の耳元に囁いたのか、私は知らない。
というのは、あそこで辞任していたら、民主党岡田克也と同じように、「あのときの引き際がよかったので・・・」ということで「再登板」リストの高い順位に残ることができたからである。
それを「させない」で、安倍晋三の復活の芽を完全にツブすために無意味な続投を勧めたやつがいる。
誰だろう。
少なくとも麻生太郎は続投(という安倍にとって致死的な選択肢)にきっぱりと賛成したはずである。
彼のような党内基盤の弱い総裁候補にとっては、安倍が突然辞任して、政局混乱の中、短期決戦でばたばたと総裁を選出するという局面がいちばん有利だからである。
「結局、誰が安倍をいちばん美味しく料理したのか?」
たぶん、昨日の夜あたり赤坂の料亭では赤ら顔の議員たちがそんな話に興じていたのであろう。
気の毒な話である。
お疲れさまだよね。
--------

 

(「内田樹の研究室」より)

 

出典:http://blog.tatsuru.com/2007/09/13_1830.html

 

 13年も前の記事だが、罵倒させていただく。

 ふざけるな、内田樹!!!

 何が「安倍晋三の復活の芽を完全にツブす」だ。それどころか安倍は日本憲政史上*1最長期の政権を担ってしまったではないか。しかも内田が上記記事で開陳した卑しい「陰謀論」でdisった麻生太郎が安倍を支え続けている。

 なんという見る目のなさだろうかと開いた口がふさがらない。「知の虚人」というべきか。

 こんな奴が「リベラル」界の大御所としてでかい顔をしていたから、あの民主党政権の惨状と、その後の第2次〜第4次安倍内閣の「崩壊の時代」の災厄がもたらされたのだ。

 内田は、13年前に自らが書いた記事の申し開きをする必要があるのではないか。

 未だにこの内田とじゃれ合っている少なくない「文化人」たちの見解もうかがいたいものだ。

 

 政治の退廃を止めるためには、今度こそ、安倍晋三を「政治的に」殺さなければならない。それが日本の政治と社会を良くするための十分条件では全くないが、間違いなく必要条件ではある。

*1:安倍晋三の政治は「憲政」とは全く言えないが、形式上この用語を用いておく。