kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

宇都宮健児を「左派色が強い」と敬遠する人たちには山本太郎陣営に「毛沢東主義」系極左の影響が強いことを知っていただきたい

 正直言って、1990年代以降あまりにも急激に右翼化・新自由主義化が進んだ人々の考えに私は全くついていけていないので、宇都宮健児が「左派的過ぎる」と一部で評されていることに驚いている。

 

 

 上記ツイートからリンクされた呟きの主自身のブログから以下引用する。

 

 吉祥寺街宣で宇都宮氏は、自主投票の国民民主党のなかにも応援してくれる議員がいるのに感動したと語り、中野街宣でも、まず最初に香川から駆けつけてくれた小川淳也議員に謝意を述べていた。

 宇都宮氏は、ウイングを広げて保守や中道にまで自分の声を届けることの必要性を語る。
 宇都宮氏について「左派的すぎる」と敬遠する層も少なくないが、その実、幅広い層を包摂していこうとする寛容さが感じられる。
 そんな宇都宮氏に対する理解が出てきたのか、傍観を宣言した人たちも、徐々に好意的になる傾向がみられるようになった。

 宇都宮氏が左派色の強い候補であることは認めるし、「右も左もない」という表現は好きではないのだが、都知事選を制するためには、やはり幅広い層に訴えなければならないという現実がある。
 宇都宮氏はやりたいことがあるから3度も都知事選に出馬したというだけあって、本気度が感じられるようになってきた。保守や中道層への訴えも、その表れに違いない。

 政策を読んでみても、左派イデオロギー全開というわけでもなく、あくまで都民生活の向上や弱者救済に重きが置かれている印象を受ける。給食無償化や都立大学の授業料半額化など、枚挙にいとまがない。
 コロナ禍の経済的打撃はリーマンショック以上なのだから、宇都宮氏の提唱する幅広い救済こそが、まず生存権を守り、その後の社会の再生につながるのではないか。

 

出典:https://twitter.com/kgssazen/status/1275275933943861248

 

 宇都宮氏の立ち位置はリベラルないし穏健左派というべきであって、「左派色が強い」とは私には思えない。2014年の都知事選で民主党や生活の党などが小泉純一郎とともに細川護煕を担いだ時も、民主党では右派が主導していた。たとえば菅直人などは、当初ブログに宇都宮氏を推すようなことを書いていたのが、党が細川を推すようになって急遽立場を変えていたのを覚えている*1

 しかし、下記「日本がアブナイ!」の記事などを見ていると、なぜか山本太郎への言及が異様に多く、記事の最後に

本当は、まずは都政の話が大事なのだけど。山本氏には、安倍自民党批判もどんどん展開して欲しいと、ひそかに期待している

と書くなど、同じ記事中で

やや左派、かなりリベラル的

と評した宇都宮氏よりも、相当に山本太郎寄りの記事であることは明らかであって、両候補のどちらにしようか迷っている人が下記の記事を読んだら、山本太郎への投票に誘導されてしまうのではないかと危惧した。

 

mewrun7.exblog.jp

 

 この人は、2013年頃に「立憲主義を理解している橋下くん」に期待する記事を書いたり、2016年には「小池百合子民進党の連携にちょっとワクワクしている」と書いたりした人だから、その小池が二期目に挑み、大阪維新の会が推す候補も出ている都知事選が告示されて、再びかつてのようにブログを(批判的に)見に行く機会が少し増えたのだが、とはいえブログ主は2016年の参院選蓮舫でなく小川敏夫に投票した程度には「本当に」リベラルな人でもある。そんな人でも、上記のように橋下徹小池百合子に惹かれ、今また宇都宮健児よりも山本太郎寄りだとしか思えない記事をブログに公開するのは、旧民主・民進支持系の人たちにありがちな傾向を反映しているに過ぎない。

 

 しかし、実はといえば、より急進左派、というより極左が食い込んでいるのは、宇都宮陣営ではなく山本陣営だったりするのだ。

 たとえば、及川健二という「ジャーナリスト」が連合の神津里季夫に関するデマをばらまいた一件があった。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 上記記事によると、どうやら神津は小池百合子を支持する発言をしたらしく、それはそれでもちろんとんでもない話だが、だからといって神津に関するデマが許されるはずがないのは当然だ。だが、ここで問題にするのは本件から少し逸れた及川健二の人脈だ。

 こんなツイートがあった。

 

 

 画像を見ると、及川が斎藤まさしと知り合った14歳の時には、斎藤はまだ毛沢東ポルポトの影響から抜けていなかったという。

 及川が14歳の時っていつなんだと思って彼の生年を調べたら1980年だった。ということは、及川が斎藤と知り合ったのは1994年か95年ということになる。

 そんな「最近」になってもまだ「毛沢東ポルポトの影響から抜けていなかった」というのがもし本当なら、斎藤まさしは「異常」の一語に尽きるではないか。

 これが1979年ならまだ話はわかる。前年の1978年末にベトナムカンボジアに侵攻し、ベトナムプノンペンを征圧したのは1979年1月だった。これが中国をいたく刺激し、中国がベトナム軍を膺懲(ようちょう=懲らしめること)するとか抜かしてベトナムに侵攻し、いわゆる中越戦争を引き起こしたのは1979年2月だった。

 この頃、朝日新聞に井川一久という記者が、ポル・ポトが引き起こした大虐殺を報じる記事をしばしば書いていた。井川一久は特段左派的という人ではなさそうだが、事実を報じるというジャーナリスト本来の姿を貫いたとみられる。井川記者は当時朝日のスター記者だった本多勝一との共著も出した。

 しかし、当時の社会党社民連などには親中派が多く、彼らにはポル・ポトの虐殺を否定したがる傾向が強かった。田英夫もその一人であり、私はいたく失望したものだ。

 その頃なら「毛沢東ポルポトの影響から抜けていなかった」としてもまだわからなくもない。しかし1994年の時点ではポル・ポトの虐殺も、毛沢東文化大革命によって引き起こされた中国の惨状も、いずれも常識になっていたはずだ。

 まあ及川のツイートの真偽は不明ではあるが、毛沢東の名前から私が思い出したのは、「日本共産党(左派)」と名乗る、本家の日本共産党から分派認定を受けて激しい対立関係にあり、「毛沢東主義」で知られる極左政党だ。日本共産党がある時期から中国共産党を批判するようになったために分派したとみられる。この政党の事実上の機関紙とされる「長周新聞」は、かつて全共闘の闘士たちが愛読したそうだが、今でも刊行されていて、山本太郎を異様なまでに持ち上げている。昨夜某所で教えてもらったところによれば、長周新聞は山本太郎事務所にボランティアスタッフを送り込むほどの熱の入れようだったという。

 このように、山本太郎陣営には紛れもなく極左が入りこんでいる。また同陣営にはMMT仲間の池戸万作が属する「日本経済復活の会」の流れを汲む極右とのかかわりもあり、私の大嫌いな「『右』も『左』もない」を地で行っている。

 だから山本太郎には投票するな、などというつもりは毛頭ないが、山本太郎にこのような人脈があることは知っていただきたいと思う次第。

*1:菅直人にはこのようなことが多い。最近では小池百合子を「日本のメルケル」と持ち上げたあげくに切られた醜態には呆れ返って開いた口が塞がらなかった。