2012年の政局をめぐるTwitterでの下記のやり取りを見ていると、8年前ももはや歴史的な時代になってるんだなあと痛感させられる。
維新のインパクトは橋下ブームと言っていい2012年に最も鮮烈で、そこでの議席獲得数が最も不人気時の民主党を下回ったことは彼らにとってかなり大きいと考えます。
— ツイッター政治おじいちゃんお化け (@micha_soso) 2020年12月20日
ややジグザグした推移ではありますが、その後比例票は2012年の橋下ブームの水準に届くことはなく、それは今回も同様でしょう。
2012年といえば橋下徹が興した大阪維新の会の国政進出が話題になった年だった。あの年の橋下はまさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」であって、特に腹立たしく思い出されるのは、当時『世界』への寄稿が多く、民主党・鳩山由紀夫内閣にも「中期目標達成タスクフォース委員」になるなどして参画したことがあった飯田哲也(てつなり)が、2012年の年明け早々に当時大阪市長だった橋下に請われて大阪市の特別顧問に就任し、次いで松井一郎が知事を務める大阪府の特別顧問も兼務したことだった。橋下が「脱原発」のポーズを見せたことに引っかかった格好だが、飯田の「裏切り」としかいいようがない軽挙妄動に私は激怒した。この飯田は、後述の「日本未来の党」の衆院選後任候補になったが、そこでも選挙の公示日に内紛を起こして世の人々を呆れさせた。飯田はその後も名誉挽回あるいは汚名返上をできないまま現在に至っている。
下記は、上記ツイートへの反応。
関西以外の人は「橋下の党」ではなく「石原慎太郎の党」と認識していたのでは? https://t.co/dbHwl4zwlZ
— からあげ弁当 (@ujod809KsX0QTgw) 2020年12月20日
ツイート主は大阪府在住の方のようだが、上記ツイートの認識は完全に誤りだ。東京都知事を辞めて国政に復帰した石原慎太郎は、東京都民にとっても「過去の人」でしかなかった。この2年前の2010年に石原は与謝野馨らと国政政党「たちあがれ日本」を立ち上げたが、同年の参院選で比例区での1議席(片山虎之助)獲得にとどまっていた。一方、橋下の国政進出はしばしば全国紙の一面に取り上げられた。政党名が石原色ゼロで橋下色100%だったことがすべてを物語っている。関西以外だろうが、日本維新の会を「石原慎太郎の党」と認識していた人などほとんどいなかった。
いや、当時から橋下の党でしたよ。当時は東京でも高い橋下人気がありました。
— ツイッター政治おじいちゃんお化け (@micha_soso) 2020年12月20日
当然ながら上記ツイートが正しい。橋下人気の頂点は、2012年8月15日付朝日新聞が1面記事でスッパ抜いた安倍晋三のスカウト工作の頃ではなかったか。これが成功していれば同年末の衆院選の結果は違っていたかもしれない。しかし安倍は自民党残留を選んだ。森喜朗が本命と考えていた町村信孝が病気で倒れたり(のち死去)、本命候補の一人と見られた石原伸晃が「サティアン発言」で自滅したり、自民党長老の古賀誠が不可解な「谷垣禎一降ろし」をしたりなどと、安倍にとっては信じ難い幸運(そして日本国民にとっては信じ難い災厄)が重なって、安倍が自民党総裁に復帰し、年末の衆院選で自民党が圧勝して総理大臣に返り咲いてしまったのだった。悪夢のような2012年の後半だった。
当時は何でみんな知っていたのですか橋下のことを?何かの番組ですか?
— からあげ弁当 (@ujod809KsX0QTgw) 2020年12月20日
そりゃ橋下率いる維新が国政に進出したんだし、前述の安倍晋三スカウトの件では新聞の1面を飾った。当然ながらニュース番組でも橋下の名前は頻出していたし、橋下のことを知らない人の方が「世間知らず」という状態だったんだよ。
大きいのは行列ができる法律相談所ですね。
— ツイッター政治おじいちゃんお化け (@micha_soso) 2020年12月20日
2012年より前ならこの番組の影響力が大きかった。でも2012年には上記の番組にはかかわりなく、橋下自身が政治に関するニュースの主役だった。著名なノンフィクション作家だった佐野眞一は、橋下を取り上げようとした「週刊朝日」の連載記事で失敗して名声を一気に失って現在に至っている。また、年末の衆院選で「日本未来の党」を乗っ取って戦った小沢一郎は「私の考えは橋下市長と同じだ」と口癖のように言っていた。小沢は橋下と組もうとアプローチしたが、それに失敗したときに供えて石原慎太郎も口説いていた。橋下と二股かけられていたことを知った石原は激怒し、自らが橋下と組んでしまった。この件を暴露したのは故岸井成格だったが、このエピソードも当時の主役が石原などではなく橋下だったことをよく示している。日本維新の会といえば石原などではなく橋下がイメージされたことなど当時は常識だったのだが、「からあげ弁当」さんはおそらく若い方なのだろう、当時のことを全くご存知ないようだ。
2012年の衆院選、東京比例ブロックの得票です。民主党を上回り、自民党を追いかける高い得票数を得ています。https://t.co/aop5mdWlbo pic.twitter.com/WPYEvkLTCt
— ツイッター政治おじいちゃんお化け (@micha_soso) 2020年12月20日
これは完全に忘れていた。比例東京ブロックで維新が19.9%もの得票率を叩き出していたとは。2010年の参院選東京都選挙区で「たちあがれ日本」の公認候補・小倉麻子の得票率はわずか1.97%だった。2012年の衆院選東京ブロックでの維新の得票率はその10倍だから、この衆院選で維新に投票した都民に占める橋下と石原の寄与率はおよそ「9:1」といったところだろう。
この時点で、東京都民の認識が
— からあげ弁当 (@ujod809KsX0QTgw) 2020年12月20日
「橋下>石原」
は無理があるのでは?
少なくとも自民にとって変わり得る都知事石原の色濃い政党、として投票したのではないでしょうか。
繰り返すけれども上記ツイートの認識は完全な誤りだ。
2012年の衆院選では東京都民の認識は「橋下>>石原」だった。その理由はここまでに詳細に論証した通り。
大阪都構想も、東京の人は他人事だったと聞いてますが、どうなのでしょう
— からあげ弁当 (@ujod809KsX0QTgw) 2020年12月20日
つまり橋下なんて当時、大阪でかなり改革してるらしい、程度の認識だったのではないでしょうか?
いわゆる「大阪都構想」なんか、2012年の時点では大阪でもほとんど話題になっていなかったのでは? 最初の住民投票は2015年だよ。
それにしても、8年前のことも全然知らない人がTwitterで政治についてしたり顔で呟くんだ。呆気にとられてしまった。