kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

石原伸晃の「コロナ陽性」を機に「維新と同じことを維新に先駆けてやった」石原慎太郎都政の害毒を思い返す

 もう18年も前の話になるが、2003年に第1次小泉再改造内閣国交相に就任した石原伸晃が、当時道路公団総裁だった藤井治芳(1936-)の首を切ろうとしたところ、藤井の猛烈な逆襲を受けてたじたじとなったことがあった。

 

response.jp

 

 私は当時から石原が大嫌いだったので、石原と藤井との争いでは藤井を応援した。藤井は「道路のドン」と呼ばれ、道路公団の民営化に反対していた。当時のマスメディア、特にテレビは小泉純一郎の味方だったので、藤井は悪玉扱いされていたが、私は、そりゃ藤井が善玉のはずがあろうはずがないかもしれないけれども、藤井よりもっとたちが悪いのは小泉や石原の方だろうと思ったのだ。だから、藤井に思わぬ反撃を食らって意気消沈する姿をテレビや新聞に載った写真で見た時には、ざまあみろと思った。

 この当時から石原伸晃の能力の低さは明らかだったが、石原慎太郎のドラ息子である伸晃は、自民党内で不当に重要人物とみなされ続けた。そして、その弊害が頂点に達したのが2012年だった。

 当時の自民党総裁谷垣禎一だったが、古賀誠自民党長老たちは谷垣に飽き足らず、石原を総裁にしようとしたのだ。当時の朝日新聞などは「石石対決」などと一面の見出しに掲げていたが、石原なんかが勝つとは私には思えなかった。そして何より不気味だったのが安倍晋三だった。あの頃、橋下徹松井一郎が安倍をスカウトしようとしたり(この動きは同年8月15日付朝日新聞1面ですっぱ抜かれた)、安倍と同じ細田派から町村信孝が総裁選に立候補するなど、安倍の躍進を阻む要因はいくつもあったが、安倍が橋下らの誘いを断ったと思ったら、町村が病に倒れる(のち2015年に死去)など、事態は次々と悪い方向へと進んでいった。高村正彦が安倍支持を表明した時、私は安倍当選を覚悟したが、まさか同年末から8年近くも安倍が総理大臣の座に居座る「崩壊の時代」を迎えるとまでは想像できなかった。2012年は本当に悪夢のような年で、どうでも良いがプロ野球で読売球団が日本一になった、今のところ最後の年でもある。

 2012年の総裁選で石原は3位に終わり、決選投票にも進めなかった。この時決選投票に進んだ石破茂安倍晋三が敵視し続けたことは有名だが、今でも安倍批判者の支持をある程度集めている(私は全く買わないが)石破に対し、石原はすっかり影が薄くなった。

 前振りがあまりにも長くなったが、もちろん本論はこの石原伸晃新型コロナウイルス陽性が判明したことだ。石原は無症状なのに入院できたことで批判を浴びている。いわゆる「上級国民」批判だ。だが私は、それよりも伸晃の陽性判明で、石原慎太郎東京都知事時代に行った悪行が改めて暴かれたことに注目した。

 

 

 下記は、上記ツイートへの反応。

 

 

 その通りだ。石原慎太郎は、2012年にドラ息子の伸晃が自民党総裁選に負けたのを機に、橋下徹と組んで、慎太郎自らが率いていた太陽の党を日本維新の会(旧)に合流させたが、石原慎太郎自身も新自由主義者であり、橋下との相性が良かったということだ。

 橋下には小沢一郎が秋波を送っていたが、橋下は小沢には乗らなかった。ところが、呆れたことに小沢は橋下とは別に石原慎太郎にも声をかけていた。二股かけられていることを知って激怒した慎太郎が、橋下と組むことにしたと言われている(この証言をしたのは岸井成格で、ナベツネから聞いたのだそうだ)。

 これなどは小沢の正体を知る格好の材料だろう。小沢は小泉政権に対抗するために、「国民の生活が第一」というスローガンを抱えて新自由主義に反対するかのような素振りを見せていたが、本質的には小沢自身が以前から持っていたネオリベ体質が全く抜けていなかった。それが証拠に、「私の意見は橋下市長と同じ」というのが2012年当時の小沢の口癖だった。

 

 大久保なつみ氏は、上記最初のツイートに続けて、次のように呟いている。

 

 

 本当にその通りだ。

 もう「終わった人」である石原伸晃を叩いて溜飲を下げるのが悪いとは言わないが、それよりも伸晃の父の石原慎太郎が過去に犯した悪行を、石原親子とは不仲ながら新自由主義者という点で大いに共通する、つまり石原親子と同じ穴の狢である小池百合子が現在も垂れ流し続けている害毒を批判する方がもっと大事だと思う。