kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

河野太郎は2009年の「政権交代」当時、「小さな政府に反対する者は自民党を去るべきだ」と発言していた過激なネオリベ

 河野太郎が「右」からも「左」からも嫌われているという。

 

 

 だが、「右」が河野太郎を嫌うのは、河野の父・河野洋平がもつ「リベラル」の強いイメージに幻惑されているだけではなかろうか。同様に、「左」のうち河野太郎に好感を持ったり容認的だったりする人たちも、河野洋平のイメージに惑わされているに過ぎないと私は考えている。

 あまり書きたくはないのだが、2005年に亡くなった亡父は晩年極右と化し、昔は朝日新聞だった購読紙を、毎日、読売(日経と併読)などと換えながら「最近の日経は赤い」などと言っていた。そして最晩年には産経を購読しはじめ、「世の中にこんな良い新聞があったとは知らなかった」と言いながら、ついには「つくる会」にまで加入した。

 その亡父が河野太郎を褒めていた。おやじはダメだがあいつはいい、と言っていた。亡父の最後の2年は亡父の病気のため政治の話などほとんどしていないので、遅くとも2003年には河野太郎は右翼だった。但し、復古的・宗教的右翼ではなく軍事タカ派だったはずだ。安倍晋三を担ぐような復古的・宗教的極右たちとはこの点で河野と合わないのかもしれない。もちろんそれよりも洋平のイメージが強すぎるのだろうが。

 しかも、弊ブログが何度も非難した通り、河野太郎は過激な新自由主義者だ。菅義偉竹中平蔵の直系だと言っても過言ではない。

 

 

 

 私も上記ツイートが指摘する「小さな政府に反対する者は自民党を去れ」という河野太郎の言葉には記憶があるから、2009年の政権交代時には既に河野が過激なネオリベであることは知っていた。もちろん河野が反原発脱原発論者だと知っても、河野になびいたことなど一度もない。

 

 

 思うに、河野太郎が右翼*1にして過激な新自由主義者であるのは、親父の河野洋平に対する強い反発からではなかろうか。私もまた亡父に対する反発を年々強めていった人間だが、世の中にはそのような人間は多数いるはずだ。安倍晋三にしても、母方の祖父の岸信介を信奉する一方、父の安倍晋太郎に対しては晋太郎が病床にあった最晩年にも冷たい仕打ちをしていたとよく週刊誌に書かれていた。晋太郎は「俺は岸信介の娘婿じゃない。安倍寛(かん)の倅なんだ」というのが口癖だったらしい。晋太郎のそんなところが安倍晋三の癇(かん)に障ったであろうことは想像に難くない。

 以上の理由で、河野太郎は絶対に自民党総裁、ましてや日本国総理大臣にしてはならない。

 同様に高市早苗も論外だ。こんなわかり切ったことは書きたくないが、お前は高市を容認するのかという人が出てくるかもしれないから断っておく。高市は復古的極右だが、おそらく本心から出たものではなくそういう人たちに媚びる意図から出たものだ。高市は本質的にはむしろ河野太郎や維新の政治家に近い過激な新自由主義者であり*2所得税をフラットタックスにせよなどと主張している。かてて加えて、高市はトンデモだ。

 

 

 古い言葉を使えば「電波ゆんゆん」。高市はこの言葉が使われた頃からのさばっていた。どうしようもない論外だが、こんなのを推すのが安倍晋三の程度をよく示している。しかしその安倍が自民党内で絶大な支配力を持っている。

 

 

 河野太郎は「脱原発」という数少ないウリまでも安倍晋三に封じられた。

 自民党総裁選自体については、上記2件と同じツイート主による下記の論評に同感だ。

 

 

 くたばれ、自民党総裁選。

*1:本当は「極右」と書きたいところだが、復古的あるいは宗教的極右ではないので、残念だが「右翼」にとどめておく。しかし、河野太郎の軍事タカ派ぶりはかなりのものだ。

*2:このあたりも、一部の論者たちの主張とは大いに異なり、安倍晋三新自由主義とも親和性が高いことを示している。