それは人の問題なのだろうか。
まぁはっきり申しまして、山本太郎氏・れいわが居なければ、野党共闘は現状よりスムーズだったな、と思いますよ。
— ermin (@ermin_uni) 2022年5月21日
最低限のモラル・ルール・協調性(空気を読む)・配慮(常識力)が備わっているなら、誰もれいわ批判などしないでしょうし。
その認識は間違っている。現に私は山本太郎のモラルや協調性や配慮が欠けることを理由に彼と×××新選組を批判しているのではない。独裁制の危険性を理由に批判している。
支持者の方達の勘違いは、これ。
— ermin (@ermin_uni) 2022年5月21日
「れいわ・山本太郎を批判したい」のではなくて
「政治家として、モラルやルールを逸脱する行為を繰り返す」から問題視されているのです。
フリップ問題もそうですが、違反行為を英断と誉めそやす信者も、批判を助長している訳で。
社会性が議論されているのです。 https://t.co/79ipgMHZNI
れいわ・山本代表が有能な人でこの国に絶対必要な政治家であるとしても──少々のルール違反なんか問題ないじゃん!(あるいは、それがカッコイイ)というのは、明らかに間違い。
— ねむり猫〈まゆり@非国民です@あきらめない〉 (@ynogi3) 2022年5月21日
「オレがルールだ」という、古今東西の独裁者に見られる考え方を容認することになります。 https://t.co/ApNu8JOLBz
上記返信にようやく独裁の問題点が言及されている。
山本太郎と×××新選組の最大の問題点は、党が独裁制で運営されているために党に「集合知」が有効に作用せず、支持者の集団が「衆愚」と化してしまうところにある。独裁者である山本太郎が間違ってしまった時に、それを修正するチェック機能が党に備わっていないのだ。
他の政党を見ても、民主集中制の共産党や実質的に宗教団体に支配されている公明党はもちろん、寡頭制の維新、今世紀に入ってから党執行部の権力ばかりが肥大してしまった自民党や旧民主系諸政党など、「集合知」の効力を低下させる悪しき流れにどの政党も支配されているが、×××新選組はその弊害が特に顕著だ。さすがにウクライナ戦争への国会のロシア非難決議をめぐって新選組系のFacebookが大荒れになったと仄聞するが、イエスマンばかりが支持者集団に残ることにしかなっていないはずだ。山本が陰謀論に傾斜しやすい傾向にもチェック機能が全く働いていない。
自民党の政権奪還前後にマスメディアが垂れ流した「『決められない政治』批判」は有害無益だった。あの言説に対する批判が盛り上がらなかったことが痛恨だった。ネットで政権批判に熱心だったオザシンたちが権威主義に加担する側に立っていたのも痛かった。
独裁制や寡頭制の問題こそ論じられるべきだ。