kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

岡田彰布は前回の阪神監督時代、能見篤史を開花させることができず、久保田智之を酷使して壊してしまった

 またプロ野球の話題だが、大阪のオリックスバファローズ日本シリーズに出ているというのに、なぜ阪神・岡田出戻り監督の話題が頻繁に出るのか信じ難い。オリックスファンの方々はこれをどう思われているのだろうか。

 そのオリックスで元阪神能見篤史が今季限りで現役を引退するが、興味深い事実を知った。

 それは、能見は岡田彰布監督下では花が咲かなかったという事実だ。ネット検索で阪神の2009年のペナントレースを展望するブログ記事(下記リンク)が引っかかったので読んでみると、驚いたことに能見が「余剰兵力」扱いされていた。

 

meltbb.jugem.jp

 

 2009年といえば岡田が退任して真弓明信阪神監督になった年だ。その開幕前に余剰人員扱いされていたということは、あの「(どこが)Vやねん」の2008年に能見が働いていなかったことを意味する。Wikipediaの「能見篤史」の項を参照すると、2008年にはわずか11試合(先発は1試合)の登板で0勝0敗。ルーキーイヤーの2005年からの3年間の成績は10勝9敗だった。

 私がテレビ観戦した試合で覚えているのは、2005年5月15日の楽天戦(甲子園)で岩隈久志と対戦した試合で5イニングったかで3点を失っていた。球団創設初年度の楽天は最弱もいいところの球団だったが、この試合の前まで2勝を挙げていた能見が打たれた*1

 またテレビ観戦はしなかったが覚えているのは、翌年開幕後間もない甲子園での中日戦で、能見が2試合続けて同点の場面で救援して打たれ、いずれも敗戦投手になったことだ。この連敗が尾を引いて阪神は8月中旬の「死のロード」での3連戦までの中日戦13試合を2勝11敗と大きく負け越し*2、リーグ連覇を逃す大きな原因になった。

 その能見が大きく開花したのは真弓監督時代の2009年で、この年7月19日に東京ドームで読売打線から12三振を奪って完封すると、以後閉幕まで9勝2敗。翌2010年には8勝だったが負けは1つもなかった。能見は前年の7月19日以降17勝2敗という「負けない投手」になった。とりわけ読売戦には鬼のように強く、当時読売で阪神キラーとして活躍していた内海との投げ合いでも、たいてい能見が勝っていた。内海といえば、能見の出ない試合では阪神に滅法強いのに、能見が出てくると蛇に睨まれたカエルみたいにからっきし弱くなるという印象で、このことを読売のチームメイトにからかわれたこともあったようだ。能見の全盛期は2009年から2013年までの5年間で、特に読売戦には小林繁に並ぶ8連勝を記録した。小林は1979年の1年間だけだったが、能見はコンスタントに読売に強かったとの印象がある。しかし読売に打たれ始めた2014年頃から成績は下降線をたどっていった。

 それはともかく、これほどのポテンシャルがあった能見の能力を活かせなかったのが岡田彰布だ。この事例から連想させるのは、斎藤雅樹を開花させられなかった王貞治であって、斎藤は1987年には6試合に登板して0勝0敗だった。リリーフで失敗したことが王の不興を買い、年間通して干されていたのだった。桑田真澄が15勝を挙げた年だ。

 岡田はその他にも、JFKの一人である久保田智之を酷使した結果、真弓監督が久保田を先発に転向させようとした2009年のキャンプで肩を壊してしまい、以後5年間で7勝8敗に終わった。久保田から連想されるのはまたしても王貞治が酷使した鹿取義隆だ。1987年には酷使されることを意味する「鹿取られる」という流行語が生まれた。2007年と2008年の2年間で実に159試合に登板した久保田は、岡田に「鹿取られ」てしまったのだった。

 岡田には、今年まで阪神監督をやっていた矢野燿大とは違って、(「予祝」に象徴されるような)自らの願望が実現すると当て込んだ手前勝手な采配をすることはなく、勝つ確率の高い作戦をとるという特徴があるので、今年得失点差がリーグで最大だった阪神にはうってつけの監督ではある。だからこそ、ヤクルトも大いにマークしなければならない強敵なのだが、裏を返せば戦力が整っているチームでなければ勝てない監督であるともいえる。それを実証したのが2010〜12年の岡田のオリックス監督時代だった。この点では、オリックス現監督の中嶋聡の方が岡田よりもずっと上だろう。王貞治だって、ダイエーのちソフトバンクの戦力が強かった頃には日本一やリーグ優勝やレギュラーシーズン1位通過を何度もやった。だが、短期決戦に弱いところも岡田と王は共通している。岡田はポストシーズン1勝8敗だが、王も2年連続で1位通過しながらプレーオフで負けたり、「ON決戦」*3に負けたりしている。唯一星野仙一を相手にした日本シリーズにだけは二度とも勝った。

 私が高く買うのは、投手の酷使には大問題があったとはいえ弱い球団を優勝させた野村克也であり、暴力の行使には大問題があったとはいえ、同じく弱い球団を優勝させた西本幸雄だ。彼らと比較すると、たとえば川上哲治工藤公康は果たして弱い球団を優勝させることができただろうかと疑問に思う。大監督とされる人の中でも、古葉竹識(毅)も森祇晶(昌彦)も大洋ホエールズあるいは横浜ベイスターズを優勝させることはできなかったという実例がある。

 まあ岡田には「JFK式投手リレー」のスタイルを編み出したという球界への大きな貢献があって、これは私も高く評価している。JFKの10年後にロマン、オンドルセク、バーネットで優勝した2015年や田口・木澤ら、清水、マクガフで優勝した今年(2022年)のヤクルトも岡田の「JFK式投手リレー」の恩恵に浴しているのは事実なのだが、岡田がJFKの一角である久保田を酷使したことの言い訳にはならない。

 何より、日本シリーズの話題そっちのけで、意味不明の言葉の間に岡田が発するらしい「おーん」という間投詞やら、優勝を「アレ」と言い表す独自の語法などをもてはやすに値するようなお人であるとは私には到底思われない。

 そういえば、阪神の選手たちも佐藤輝明が優勝を「アレ」と呼ぼうなどと言って岡田に迎合しようとしているようだが、こういうのをもてはやすスポーツ紙情報にも強い疑問を持つ。選手にとって監督とは自らの生殺与奪の権を握る権力者だから、迎合するのは当たり前だからである。今年の阪神のキャンプで西勇輝糸井嘉男が音頭を取って矢野を胴上げしたらしいが、実に露骨な「予祝」への迎合だな、と思って不快になった。それと同じつまらない話だ。

 実際の舞台裏は、今の阪神の選手は岡田についてほとんど知らないので、新聞のスポーツ記者に「岡田監督ってどんな人なの?」と聞いても、スポーツ記者たちも知らないので答えられない、という話をどこかで読んだ。

 岡田彰布とは単なる「裸の王様」に過ぎないのではないかと思う今日この頃。

 いや、応援するチームが出ている日本シリーズの真っ最中にこんなどうしようもない記事を書いてしまう私自身もたいがいだとは思うけど。

*1:この試合は中盤に岩隈をとらえた阪神が逆転勝ちした。この年の阪神交流戦では、他に同じ甲子園での日本ハム戦での大逆転勝利の試合も見せつけられ、この2試合で「阪神強し」を痛感させられた。その通り阪神はリーグ優勝したが、千葉ロッテに「334」をやられたのだった。

*2:3回戦から13回戦までの11試合のうち8試合あったナゴヤドームでの試合に阪神は全敗し、大阪ドームでの3試合に辛うじて2勝1敗と勝ち越したのだった。

*3:真の「ON対決」とは1995年の仰木彬野村克也の対決ではなかろうか。