kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「日本語版8values」をやってみたら「リバタリアン社会主義者」に分類された

 昨日も極端な権威主義者である北関東の某暴犬に悪口を書かれたようだが、このところずっと私の思考で強い重みを持っているのは「権威主義自由主義か」の対立軸だ。私は権威主義者を軽蔑し、自由なものの考え方ができる人を尊敬する。前記北関東の御仁は前者の、醍醐聰氏や広原盛昭氏は後者のそれぞれ代表格だ。同じ共産党支持系の人でもここまで違うものかと思う。

 Twitter共産党支持系の人たちでいえば、以前にも弊ブログで取り上げた朝日庵氏は後者の、北海道の元「リッケンカルト」氏は前者の代表格になる。私は最近になって後者の御仁がヤマシン(山本太郎信者)たちに「リッケンカルト」呼ばわりされていた理由がわかった。あれは異教徒間の宗教戦争だったのだ。その元「リッケンカルト」が今や「共産党信者」と化し、「反共攻撃」の語を用いて朝日庵氏を攻撃する。おそろしく権威主義的な人だとみるしかない。

 私からみれば、ヤマシンもリッケンカルトも共産党信者もみな「同じ穴の狢」なのだ。

 2017年に立憲民主党が立ち上がった時、私は同党と枝野幸男に一定の期待はかけながらも、枝野氏を過渡的な指導者と見て、彼を乗り越える政党になってほしいと思った。その際に阻害要因として私が想定していたのが枝野氏を盲目的に信奉する支持者たちだった。件の道産子氏はこの類型の典型例だと思う。

 その道産子氏の固定ツイートに、氏の立ち位置を「日本語版8values」で測った結果が表示されているので、私もやってみた。下記にこのツールへのリンクを張る。

 

8values-ja.github.io

 

 結果のスクリーンショットを下記に示す。

 

 

 私は「リバタリアン社会主義者」らしい。そうかもしれないと思う。私は一方で国家による富の再分配を主張する一方、思想的には自由を追求する人間を自認している。但し理想に反して「自由な思考」は非常に困難な課題だ。どうしても何かにとらわれてしまい、それはなかなか自覚できないものだ。

 上記のグラフを見ると私は道産子氏に近いのだが、氏と私とを比較すると、3番目の「国家」の項で私は氏より自由重視のスコアが少しだけ高かったために「リバタリアン社会主義者」と判定された。一方の道産子氏は「トロツキー主義者」に分類されている。氏は国家観において「自由主義」と「権威主義」の「中間」と判定されており、その場合トロツキー主義者になるらしい。ということは、分類結果はおそらく(少なくとも)3の4乗である81通りの命名がされているのだろう。

 ただ、この尺度では「組織防衛志向」対「組織改革志向」の度合いが測れないのではないかと思う。ヤマシンにせよリッケンカルト(これは枝野幸男信者と泉健太信者に細分される)にせよ共産党信者にせよ、自公政権に対しては「自由主義」のスコアが高いだろうけれども、自らが属したり支持したりする政党の指導者たちに対しては「権威主義」のスコアが高くなるに違いない。だから道産子氏と私との間に立ち位置の差がほんのわずかしか示されない。所属または支持する組織内での立ち位置を測る尺度もあって良いのではないか。現在のような激変期には時代の変化に適合した組織改革が欠かせない。

 本記事は次に公開する記事の前振りとして書き始めたものだが、長くなってしまったので前振りだけ独立させることにした。本論は次の記事にて。