本記事は読書ブログとこちらのいずれで公開するか少し迷ったのだが、小説そのものよりその読者、ひいてはこの国に住む人々のありようを問うことが主旨なので、こちらに公開することにした。
題材は、この間もこちらで取り上げたばかりのカズオ・イシグロの『日の名残り』だから、またかよと思われる読者の方も多数おられることと思うが、それでも取り上げたいと思ったのは、同書のハヤカワ文庫版に解説を書いている丸谷才一(1925-2012)が2001年に出した書評本『ロンドンで本を読む』(マガジンハウス)で、『悪魔の詩』を書いてイランの最高権力者だったホメイニ(1989年没)に「死刑宣告」を受けたサルマン・ラシュディが書いた『日の名残り』の書評を引用していたことを知ったからだ。
丸谷才一による『日の名残り』の解説はまことに素晴らしい。私は4年前の2019年8月25日に、丸谷の解説に高評価を与え、その丸谷を批判したさるブログ記事をこき下ろした下記記事を読書ブログに公開した。
kj-books-and-music.hatenablog.com
上記記事中で渡辺由佳里氏が2017年にNewsweekに書いた下記コラムを引用した。
上記コラムの中で、渡辺氏はイシグロ自身が『日の名残り』について語った言葉を紹介している。以下引用する。
『浮世の画家』と『日の名残り』はイシグロ自身が何度か語っているように、設定こそ違うが「無駄にした人生」をテーマにした同様の作品である。前者はアーティストとしての人生、後者は執事としての職業人生と愛や結婚という個人的な人生の両方だ。どちらの語り手も、手遅れになるまで現実から目を背けてきたことに気付かされる。「暗い深淵」をさらに鮮やかに描いたのが『わたしを離さないで』だ。主人公が知る強烈な現実に、読者は足元をすくわれたような目眩いと絶望を感じさせられる。
URL: https://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2017/10/post-36.php
上記赤字ボールドにした部分に明記されている通り、イシグロは『日の名残り』で「無駄にした人生」を描いたのだ。それを理解しない読解はどれだけ贅文を費やそうが明らかな誤読だ。そして遺憾ながら『読書メーター』は誤読の殿堂になっている。
そんな『読書メーター』で不思議な感想文をみつけた。以下引用する。
これは皮肉が含まれているのだろうか?イギリス人特有の物ではなく、全世界共通認識を持つような。私の疑問に答えたのは、「イシグロは大英帝国の栄光が失せた今日のイギリスを諷刺してゐる」という解説でした。主人公の有能たる執事は、自分の伝統と誇りから生まれた行動を正当化し続けたくも、心の底では否定を隠しきれなかったのでしょう。再会したミス・ケントンによる実現していたかもしれない人生の発言が、後悔しがちな自分の心に響きました。いつか原書に挑戦したい本がまた、増えたようです。
一読して私が目を剥いたのは「イシグロは大英帝国の栄光が失せた今日のイギリスを諷刺してゐる」という部分だ。「ゐる」と書かれていることから丸谷才一の解説文からの引用であることは直ちにわかったが、丸谷がそんな「大英帝国万歳」みたいなふざけた文章を書いているはずがない、と思った。そして上記赤字ボールドにしたあとの文章では、レビュワーが正しく本書を読解できていることがわかる。
上記疑問を解決するため、またも『日の名残り』ハヤカワ文庫版にあたってみた。以下に丸谷才一の解説文から引用する。その大部分が4年前の引用部分の再掲だ。
つまりイシグロは大英帝国の栄光が失せた今日のイギリスを諷刺してゐる。ただしじつに温和に、優しく、静かに。それは過去のイギリスへの讃嘆ではないかと思はせるほどだ。ダーリントン・ホールはいまアメリカの富豪の所有に帰し、スティーブンスは彼に雇はれてゐるのだが、このアメリカ人は親切な男で、自分が帰国して留守のあひだ、数日イギリスを見物しろと執事にすすめる。その旅で彼が眺める田園風景と同じくらゐ、古いイギリスの倫理は肯定されてゐるようだ。
しかし物語は整然とそしてゆるやかに展開して(イギリスの読者たちはこの精妙な技術にホンダやソニーと同種の洗練を感じたかもしれない)、スティーブンスが信じてゐた執事としての美徳とは、実は彼を恋ひ慕つてゐた女中頭の恋ごころもわからぬ程度の、人間としての鈍感さにすぎないと判明する。そしてその残酷な自己省察は、彼が忠誠を献げたダーリントン卿とは、戦後、対独協力者として葬り去られる程度の人物に過ぎなかつた、という認識と重なりあふ。
これは充分に悲劇的な物語で、現代イギリスの衰へた倫理と風俗に対する洞察の力は恐ろしいばかりだ。これだけ丁寧に歴史につきあひながら、しかしなまなましくは決してなく社会をとらえる方法は、わたしを驚かす。殊に、登場人物に対する優しいあつかひがすばらしい。イシグロは執事、女中頭、貴族を、ユーモアのこもつた筆致で描きながら、しかし彼らの悲劇を物語つていく。
上記引用文の赤字ボールドの部分に注目されたい。いずれも反語だ。つまりイシグロは「過去のイギリスへの讃嘆」などするつもりもないし、「古いイギリスの倫理」を肯定など決してしていない。それどころかそれらを批判し、自らが造形した執事スティーブンスをも厳しく批判している。それでいてその筆致はどこまでも「温和に、優しく、静か」だ。それがこの作品を世界文学史上屈指の名作にした。
ここでまた読書ブログ寄りの話題に逸れるが、東京都江東区が生んだミステリ小説家・宮部みゆきが2010年に書いた『小暮写眞館』の最終第IV部にも、主人公の高校生が、それまで自分の中に抑圧していた過去の記憶を思い出して、それを直視する場面がある。それをきっかけに主人公が関係者たちと対決し、主人公は自らを解放する。その場面に居合わせて目撃した主人公の「彼女」も、その影響を直ちに受けて自らを解放する行動をとる。そういう物語だ。自らを解放するところと恋人がいる(いた)ところが両作に共通する。だから私は『小暮写眞館』を読み終えるや『日の名残り』を思い出し*1、そういやあの「誤読の殿堂」はどうなっているだろうかと思って見に行ったら、覚悟はしていたものの4年前にも増してひどい惨状を呈しているのを目撃して、今更ながらにうんざりしてしまったのだった。今回紹介した『読書メーター』のレビューは、その「誤読の殿堂」の中にあっては明らかにマシな部類だが、それでもイシグロと丸谷才一が「大英帝国万歳」を叫んでいたかのような誤解を与えかねない文章が含まれていた。
また前振りが長くなった。本題であるラシュディの書評に話を移す。
実はその書評は、昨年(2022年)公開された下記ブログ記事経由で知った。
以下に丸谷才一の文章を孫引きする。
「執事が見なかったもの(『日の名残り-カズオ・イシグロ』の書評) - サルマン・ラシュディ〔小野寺健訳〕」光文社知恵の森文庫 ロンドンで本を読む 丸谷才一編著 から
イシグロの『日の名残り』はすぐれた長篇小説である。執事を手がかりにしてイギリス社会を研究するのはよくある趣向だが、この作家はそのあらきたりな趣向に新しいいのちを吹きこんだ。それは古いイギリス的価値がもうあやふくなつたといふ認識である。いや、まづ最初にその認識があつて、それを盛るのに最もふさわしい主人公として執事が選ばれたのか。とにかくこの選択は風俗の急所をとらへながら倫理の勘どころを衝いてゐる。
ラシュディの書評は簡にして要を得た名品で、感心した。本当のことを言へば、この長篇小説の悲劇性を指摘することが的確にすぎて(不正確だと言ふのではない)、優美な整ひの魅力を充分に述べてゐない憾[うら]みがあるけれど、まあそのへんは仕方がなからう。
そんなことより大事なのは、日本の血を引くイシグロがイギリス社会に対しておこなった批評を、インドの血を引く小説家ラシュディが見事に理解したことである(ほかの書評家たちはこんなにあざやかにこの本をとらへてゐなかつた)。最後に彼が言ふ、日英両国の小説における沈黙の技法など、まことに興味深い話題であらう。それはアンダーステイトメント、つまり抑制のきいたものの言ひ方に通じる技法である。
ブログ主は丸谷の本を「光文社知恵の森文庫」で読んだようだが、ここではオリジナルの単行本を出したマガジンハウスのサイトをリンクする。
以下、ラシュディが書いた『日の名残り』の書評を前述のブログ記事からひ孫引きする。
執事が見なかったもの - サルマン・ラシュディ〔小野寺健訳〕
カズオ・イシグロの新作は、表面だけ見ているとほとんど物音ひとつしない。とうに壮年期を過ぎた執事スティーブンスが一週間、イングランド西部へ車で休養にでかける。彼はのんびり車を走らせながら、風景を眺め、自分の生涯を顧み、一九五〇年代のイギリス映画から抜け出してきたような、田舎の陽気な人びとにつぎつぎに出会う、折り目のついたズボンをはき、母音をあいまいに発音する紳士に向かって、下層階級がうやうやしく帽子をぬぐような映画だ。事実、この作品の時期は一九五六年七月なのである。だが、時代をこえたもっと他の世界、ウッドハウスの小説の召使ジーブスの主人ウースターや、テレビの人気番組「階上と階下(階上は金持ちを、階下は貧しい人々を指す)」の執事ハドソンや料理女ミセス・ブリッジェスの世界、ジョージ・エリオットの『牧師館物語』での執事と女中頭のべラミー夫妻などの世界の雰囲気も感じられる。
たいした事件は何も起こらない。スティーブンス氏の小旅行の山は、ダーリントン・ホールの元女中頭だったミス・ケントンを訪ねる箇所で、ダーリントン・ホールとは、すでに主人はダーリントン卿からファラディという、よく軽口をたたいて人をとまどわせる陽気なアメリカ人に代わっているものの、いまなおスティーブンスが「設備のひとつ」として働いている大邸宅である。スティーブンスはミス・ケントンを説得して、またダーリントン・ホールへ復帰させたいとおもっている。その期待は実らず、彼はひきかえす。ささやかな出来事ばかりだが、では、最後にちかくウェイマスの桟橋で、年老いた執事が赤の他人の前で泣くことになるのはなぜなのか。その他人がこの執事に向かって、のんびり休んで晩年を楽しんだらと言っているのに、この陳腐だとはしても賢明な忠告にスティーブンスが従えないのはなぜか。彼の晩年がめちゃくちゃになった原因は何なのだ。
この小説は表面的には穏やかで表現も押さえられているものの、一皮むけば、地味ながら大きな動揺が隠れているのである。『日の名残り』は実をいうと、一見その祖先のようにみえる小説の形式をみごとにひっくり返した作品なのだ。ウッドハウスの世界には、死とか変化、苦痛、悪といったものが入ってくる。歴史の積み重ねのなかで神聖なものとなった主従間の紐帯、両者の生き方の規範、こういうものはすでに規範としての絶対性を失い、むしろ荒廃した自己欺瞞の源になっている。陽気な田舎者たちにしても、蓋をあけてみれば戦後の民主主義的な価値観や集団の権利の擁護者になっているのでは、スティーブンスやその同類は、すでに悲喜劇的な時代おくれと化してしまったのだ。
「自分が奴隷じゃ、品位なんか持てやしないよ」と、スティーブンスはデヴォン州で泊まった家で言われる。だがスティーブンスの生涯にとっては、品位とは自分を殺して職務に励み、自分の運命を主人の運命にゆだねることだったのだ。では、権力とわれわれの関係の実態はどういうことか?偉大さとは何か?品位とは何か? - こういう大問題を精妙に、しかも底には曇りのない現実的な目を秘めながらユーモラスに提示したのは、イシグロの小説の稀有な手柄である。
ここで語られているのは、実は自分の人生観の土台たった思想によって滅びた男の物語なのだ。スティーブンスは「偉大さ」という概念に固執している。彼はそれを抑制に似たものだと思っている。(イギリスの風景の偉大さは、アフリカやアメリカの風景の「これ見よがしの品のなさ」がないところにある、と彼は信じている。)偉大さとはこういうものだとしたのは、やはり執事だった彼の父である。だが、父子のあいだの愛情が壊れたのはまさに、この概念が二人のあいだに立ちはだかって怨みの元となり、気持ちが通じなくなったからだったのだ。
スティーブンスに言わせると、執事が偉大かどうかは、「職業人としての自己を捨てずにいられる能力と決定的にかかわっている」。これがイギリス的性格につながるのである。ヨーロッパ諸国の人間やケルト民族は、ちょっとしたことでも「騒ぎたてる」性格のせいで、立派な執事にはなれない。だが、スティーブンスはこういう「偉大さ」に憧れていたばかりに、一回きりのロマンティックな愛のチャンスを逃してしまった。自分の役割に埋没していたために、彼はかつてミス・ケントンを他の男に走らせてしまったのである。「どうして、あなたはいつでも『嘘をついて』いなければならないの?なぜ?」彼女が絶望して問いつめた。彼の「偉大さ」の正体は仮面か、臆病さか、嘘にすぎないことが、あきらかになったのである。
彼の最大の挫折をもたらしたのは、そのもっとも深い確信だった。主人は人類の幸福のために働いているのであり、自分の名誉はこの主人に仕えることにある、と彼は信じていた。ところが、ダーリントン卿は間抜けなナチ協力者という汚名を背負って生涯を終えた。安っぽい特価品のぺテロのようなスティーブンスは、すくなくとも二度は卿を拒んだけれども、主人の失墜によって消すことのできない汚名を負った気持ちになった。ダーリントン卿もスティーブンスと同じく、みずからの倫理規範によって滅びたのである。彼はヴェルサイユ条約の過酷さは紳士的でないと考えたからこそ、ナチ協力者の悲運に走ったのだった。理想主義もまた冷笑主義におとらず、決定的に破綻することがあるのだ。
だが、すくなくともダーリントン卿はみずからの道を選ぶことができた。「わたしにはその権利もない」とスティーブンスは呻[うめ]く。
「いいかね、わたしは『信じた』のだ......ところが、自分で過ちを犯したとさえ言えない。それでは、品位などどこにあるとほんとうに言いたくなるよ」。彼の生涯は愚かしい過ちだったのだ。ただひとつそれを弁護できるものは、かれに破綻をもたらしたあの自己欺瞞の才能だけである。これは、美しいと同時に残酷な物語にとって、残酷だが美しい結論ではないか。
イシグロの最初の長編『女たちの遠い夏』の舞台は戦後の長崎だったが、原爆にはふれていない。新作の時期は、ちょうどナセルがスエズ運河を国有化した月にあたっているのだが、スエズでの失敗はイギリスの終焉を表すひとつの事件だったにもかかわらず、イギリスの衰退をひとつの主題としているこの小説は、その危機にふれていない。日本を舞台にした第二作『浮世の画家』も、戦争協力、自己欺瞞、無意識の自己表出という主題をあつかい、その中で想起される建前と品位の概念をあつかっていた。イギリスと日本は、表面はそれぞれにいささか不可解でも、じつはそれほど隔たってはいないのかもしれない。
-初出「オブザーバー」一九八九年五月二一日掲載
これぞ『日の名残り』の書評の決定版だと思った。
同時に、作中で執事の語る「品格」にあまりにも無批判どころか多くのレビュワーが手放しで礼賛していることとの目も眩むような落差に、いつもと同じように嘆息した。
私が思い出したのは、明治憲法に絡めて論じられることが多い「顕教」と「密教」の話だ。「天皇主権説」が顕教、「天皇機関説」は密教に当たり、実際の政治は密教によって運営されてきた。後者はエスタブリッシュメントやエリート層しか知らないものだったが、明治体制が崩壊に向かう過程で密教が顕教に制圧されたというあの話である。
イシグロの『日の名残り』の読解が教えられているのは、大学の文学部英文学科くらいのものなのではないか。しかし、丸谷才一はそれを一般読者にもわかるように噛み砕いてハヤカワ文庫の解説文を書いた。それなのに、イシグロがノーベル平和賞を受賞するや、ネットの読書サイトには『日の名残り』を「執事道」に生きた執事を礼賛して「古き良き大英帝国」を讃えた小説であるかのような誤読を招く文章が載り、大部分の読書家たちはもののみごとにそれに騙されてしまっている。せっかく自分が読んでいる本に優れた解説文が掲載されているというのに。
この事実が現在の日本の「病んだ社会」を象徴しているように私には思われる。
なお、上記ラシュディの書評で青字ボールドにした部分を読んで、数日前に弊ブログに書いた下記の文章のお墨付きがもらえたような、ちょっと嬉しい気分になったことを書き添えておく。
以下再掲する。
カズオ・イシグロの『日の名残り』は、古いイギリスの階級制度において貴族の執事として空威張りしていた上、自殺に追い込まれたかつての雇い主が犯して自らも加担した戦争犯罪(ナチス・ドイツへの協力)も直視できずにいた傲慢不遜な執事が、休暇が得られた時に未だに忘れられないかつての想い人に再会してようやく自らが犯した誤りを直視せざるを得なくなり、痛恨の号泣をするという激しい感情の動きが描かれた小説です。読書案内のサイトにミスリードされた読者たちが思い込まされているような静謐な物語では間違ってもありません。
URL: https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2023/08/23/082301
なおサルマン・ラシュディは昨年8月12日にアメリカで24歳の暴漢に襲われて重傷を負い、片目を失明するなどした。故ホメイニが1989年2月に下した死刑宣告のファトワ(宗教令)は、判決を出した本人しか撤回できない決まりになっているが、ホメイニは死刑を宣告した同じ年の1989年6月3日(天安門事件の前日である)に死んだので、死刑が撤回されることは永遠になくなった。このホメイニといい翌日に天安門事件を引き起こした中国共産党といい「良い独裁者」など誰もいないし「良い独裁」などどこにもないことをよく示している。一部の愚かな老左翼は「アメリカ帝国主義さえ撃てば良い」と妄信しているようだが、世の中そんなに甘くはないのである。
以下Wikipediaより。
背景
「悪魔の詩」も参照イスラム教を風刺したラシュディの4作目の小説『悪魔の詩』は1988年に出版され、批評家の称賛を浴びると同時に、イスラム教への冒涜であるとし論争を巻き起こした。1989年、イランの最高指導者ルーホッラー・ホメイニーは著者のラシュディおよび発行に関わった者などに対する「死刑」の宣告をした[2][3]。その後、ラシュディは数年にわたり潜伏を強いられることになった[4]。しかし、襲撃されるまでの数年間は、警備をつけずにいた。ちなみに、襲撃の2週間前ラシュディはドイツの時事誌シュテルンに「今、私の人生はとても普通に戻った」と語っていた[5]。
襲撃
8月12日午前10時47分頃、ラシュディが講演をしようとしていたシャトークア研究所のステージに、24歳の男が襲撃した[6]。目撃者によれば、男はラシュディの腹部と首を少なくとも1回ずつ刺し、数人に押さえつけられてもなお攻撃を続けようとした[7]。シティ・オブ・アサイラム の共同設立者であるヘンリー・リースもその時ステージ上におり、ラシュディへのインタビューを始めようとしていたが、暴行で頭に軽い傷を負った。 現場にいた医師はすぐにラシュディの手当てをした[8]。
男はその場にいたニューヨーク州警察官と保安官代理に逮捕された[9][10][11]。
ラシュディはヘリコプターでペンシルバニア州エリーの病院に運ばれた[12]。ラシュディは手術を受け、人工呼吸器を付け、怪我により話すことができない状態となった。ラシュディは片目を失明し、さらに肝臓の損傷と片腕の複数の神経が切断される可能性に直面していたとされる[13][14]。
8月13日、地元の地方検事がラシュディの負傷の内容を説明し、腹部の胃の部分に4つの傷、首の前の部分の右側に3つの傷、右目に1つの傷、胸に1つの傷、右太ももに1つの傷を確認した。 同日、ラシュディは人工呼吸器が外されしゃべることができるようになったことを確かめたという[15][16]。
イランの保守派各紙では、襲撃を称賛する記事を掲載している[17]。
犯人[編集]
警察は、犯人はニュージャージー州に住む24歳の男と確認した[7]。
男の両親はレバノン南部のヤルーンからアメリカに移住し、男はアメリカ生まれであった。彼の祖先が住むヤルーン村を訪れた記者は、イランが支援するヒズボラの旗や、ハッサン・ナスラッラーやアリ・ガメネイ、ルホッラー・ホメイニ、カッセム・ソレイマニの肖像画を目撃している。ヒズボラはジャーナリストに立ち去るように指示した。
男はSNSでイスラム革命防衛隊の支持を示していた。また、 逮捕時殺されたヒズボラ過激派の名前を連想させる名前を使った偽造運転免許証を持っていた。
若い人は知らないかもしれないが、1991年には『悪魔の詩』を翻訳した五十嵐一(ひとし)が殺害される事件も発生している。
世に独裁の害毒の種は尽きまじ、ということだが、今回取り上げたラシュディによる『日の名残り』の書評が英紙オブザーバーに載ったのは1989年5月21日であり、ホメイニが死ぬ直前だった。朝日新聞がホメイニが出した死刑宣告を批判する社説を載せたことをよく覚えている。また当時のイランを舞台にしたフィクションとして、船戸与一の『砂のクロニクル』を最近読んだ。ここでも背景として宗教独裁者・ホメイニによる社会主義勢力の弾圧が描かれていた。
「権力悪」「独裁悪」はすべて撃たなければならない。