kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

日系イギリス人ノーベル賞作家カズオ・イシグロの代表作『日の名残り』をいつまで経っても理解できない日本人が「変わる」日は来るか

 今年の猛暑には、気候変動もとうとうここまできたか、IPCCのいう「正のフィードバック」が働き始めて、地球の気候が暴走してしまうのではないかと思わされる。

 今こそ世界は根本的に変わらなければならないと痛感するが、根本的に変わらなければならないのは日本の政治も同じだ。今こそ自民党の政治をドラスティックに変えなければならないが、求められるのは民民の極右党首・玉木雄一郎がいうような自民にアクセルをかけるのではなく、その逆に自民党政治に急ブレーキをかけることだ。玉木は自民党に擦り寄ろうとしているが、本当に自民党の政治をアクセラレートしようとしているのは、玉木と民民代表選を争う前原誠司がすり寄ろうとしている日本維新の会だ。だから、玉木も前原もどちらも同じくらいどうしようもないといえる。

 だが、彼ら以上にどうしようもないのはこの国の人々の考え方だ。

 それをよく示しているのが、2017年にノーベル文学賞をとった日系イギリス人作家・カズオ・イシグロの代表作『日の名残り』をいわゆる「先進国」中で一番理解できていない国が日本だと思われる嘆かわしい事実だ。

 このことは既に読書ブログには何度も書いたが、きわめて政治的な話なのでこちらに書くことにした。但し、『日の名残り』のネタバレがもろに含まれるので、この小説を読んでみたいと思われる方はここでこの記事を読むのを止めていただきたい。

 例によってブックレビューをネットで渉猟してみたが、以前調べた時と同様大部分が本作を誤読していた。それもそのはず、読書案内が読者の誤読を誘うようなものになっている。下記はその一例。

 

sakidori.co

 

日の名残り

 

長編小説3作目にして、英語圏最高の文学賞とされるブッカー賞を受賞した、カズオ・イシグロの傑作長編小説。老執事の現在と過去から失われゆく伝統的イギリスの姿を描き、大きな感動を呼びました。1994年に映画化もされています。

舞台は1956年のイギリス。アメリカ人の主人の勧めと、かつて屋敷で女中頭を務めていた女性からの手紙に心を動かされ、老執事・スティーヴンスは彼女に再会するべく短い旅に出ます。美しい田園風景のなか、スティーヴンスは古き良き時代の思い出を回想し…。

ティーヴンス視点で旅の様子と過去の思い出を描きながら、執事としての品格を追求し続けてきた彼の生き様と時代の輝きを語る本作品。カズオ・イシグロの代表作としてまず手に取りたいおすすめの1作です。

 

URL: https://sakidori.co/article/1468484

 

 だが、『日の名残り』は上記赤字ボールドにした部分に書かれたような小説ではない。ネット検索でヒットした数少ないまともなレビューの例を下記に示す。

 

弓削さんの感想

 ★★★★★

 

村上春樹の解説つきということでこの版を選びましたが、まぁこの小説自体普通にわかりやすい内容なので、特に必要ないかも?笑
イシグロの作家性について触れてる部分はなかなか面白かったです(以下ネタバレです)。

執事という役割に殉ずるあまり、雇い主の罪すら罪と認めることができず、自分の恋愛(人生)も犠牲にしてしまうってものっそい日本人っぽい職業人生だなと思いました。この執事は一言で言うならナチス・ドイツアイヒマン(凡庸な悪)そのものなのですが、おそらく本人はこの先もそれを自覚することはないでしょう。
わたしはカズオ・イシグロの小説に漂うある種の諦観に触れるたびに、かなり憂鬱な気分になるのですが、それはそれとして名作であることは間違いないです。

 

URL: https://booklog.jp/users/l050275/archives/1/4152097582

 

 本作に描かれたイギリス人執事は「古き良き」イギリスを体現しているというよりは、日本には現在も根強く残る旧弊で無意味な人生を送った古きイギリス人でしかない。イシグロは、そうした旧弊に対しては強い批判を込めながらも、そのような人生を送らされた執事に対する眼差しはどこまでも温かい。それがこの小説をイシグロの代表作たらしめたのではないか。

 主人公の執事が仕えた雇い主は第2次世界大戦でナチス・ドイツに協力した人物だ。それを「信頼できない語り手」たる主人公は正面から認めない。時折暗示するだけだ。つまり、執事自身も雇い主の戦争犯罪に加担した。そんな仕事のために自らの恋愛を犠牲にした。そんな人が強調する「品格」に何の意味があるというのか。そう作者は言いたいわけだ。

 

 『読書メーター』からも以下に引用する。

 

とまと

 

謙虚を装った語りの奥底でずっと存在を主張し続ける傲慢さをどう理解すべきかわからないまま読んでいたけど、最終章でようやく、ああすべて虚勢だったのか、と。ご立派な英国紳士兼執事様ではなく、ただひとりの壮年を通り過ぎた男性が泣いていた。こんな感想を抱いていいのかわからないけれど、なんて哀れで美しい物語なんだろうと嘆息した。傲慢で、愚かで、哀れで、浅はかで、生きていくってきっと、そういうことだ。文章の精緻さが際立っていて、これは訳者さんの力だな。地理や歴史を知っていたらもっと楽しめたんだろなあ。

 

URL: https://bookmeter.com/reviews/113167571

 

 これも良いレビューだ。赤字ボールドにした部分は『日の名残り』がいかなる小説であるかを短い言葉で適切に書いているし、青字ボールドにした部分には本当にその通りであるとともに、正直言って私自身にも該当する部分が大いにあると思わずにはいられない。

 だが、大多数のレビューは上記2件とは異なる。1件目のレビュワーは「かなりわかりやすい」と書いたし、私もその通りだと思うのだが、読書サイトを見渡す限り、現実には「わかっていない」読者が大多数だとしか言いようがない。それが証拠に、執事が虚勢を張って言い募る「品格」に感心したというレビューがあまりにも多い。以前読書ブログに記事を書いたときには、久しぶりに再会したかつての恋人には「品格がなかった」と書いたレビューを見て開いた口が塞がらなかった。たかが読書サイトに書く感想文にまで、なんでそんなに格好をつけたがるのだろうかと思った。

 この国には、自らは貧乏人でありながら富裕層の立場に立って物事を考えようとする人間や、マスメディアの「勝ち組」の記者たちに誘導されてか、弱肉強食の競争社会を目指すと看板を掲げ、その実自分たちが新たに築いた勝ち組の階級を固定化しようとする手口を隠そうともしない恥知らずの政党(ホニャララ団よろしく「会」を名乗っている)の支持へと自ら喜んで誘導される人間などがあまりにも多すぎるのではないか。

 この国の多くの人には、まず自分自身を解放する必要があると思うとともに、こんな調子だとこの国が大きく変わる日など本当に来るのだろうかと絶望的にならずにはいられない。