kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

菅義偉と玉木雄一郎は大平正芳の流れを汲む新自由主義者

 次期自民党総裁・総理大臣が確実な菅義偉のスローガンは、2010年に定められた自民党綱領にもある「自助・共助・公助」だという。

 

 

 

 

 

 41年前の1979年といえば大平正芳政権時代だ。大平正芳は、1973年に田中角栄が打ち出した「福祉元年」をずいぶん新自由主義的な方向、つまり経済軸上での「右」側へと位置を動かした総理大臣だった。これが「保守本流」の一つの側面でもある。大平首相のスローガンの一つが「小さな政府」だったことに対して私は当時から批判を持っていたが、今こそ思い出されるべきだろう。もっとも1973年から79年までの間というのは、世界的にも急速に新自由主義化が進んだ時代だった。1973年といえばチリのアジェンダ政権を倒したピノチェトのクーデタ、1979年といえばイギリスのサッチャー政権成立が思い出される。翌1980年にはレーガンアメリカ大統領選に勝った。大平の政策はこうした流れに乗ったものだったかもしれない。しかしそれでも、日本が福祉国家になり損ねた元凶の一人とのネガティブな評価は免れ得ないのではないか。

 そういえば、最近大平正芳を引き合いに出した政治家として玉木雄一郎もいた。玉木は八方美人の人間ではあるが、どうやら一つだけ譲れない政治的信念があるらしい。それは「反共」だ。だから「民社党の復活」を掲げて、共産党との共闘を断固拒否すべく立ち上げられる「新国民民主党」の党代表に収まることになるようだ。連合会長の神津里季生は新民民は応援しないし、6産別の新民民入りも認めないとの態度に出ているようだがどうなるか。どうやら新民民は一定の規模で発足しそうだ。

 玉木雄一郎菅義偉とともに、大平正芳の流れを汲む新自由主義者といえるのではないか。

 旧民主党系の再編も併せて、今回の安倍晋三辞意表明以降の政局は、それがなければ数か月かけて進むかもしれなかった動きを一気に加速させた。この点で、3年前の「希望の党」騒動を思い出させるものがある。ただし違いもあり、3年前には神津が「希望の党」成立に協力的だったのに対し、今回は玉木雄一郎の動きに一貫して否定的なことだ。この3年間で、旧民主党右派の没落が急速に進んだことを反映しているのだろう。今後も「民社党の再来」たる新民民の前途は限りなく暗いとしか言いようがない。

 もっとも、小沢系だの極右だのネオリベだのが大量に合流する新立民の方にもたいした期待はできそうにもないが。

 そういえば「自助・共助・公助」のうち「共助」を強調したがる人士として私が思い出す一人は "All for All" をスローガンに掲げる井手英策だった。彼は新立民ではなく、どうやら新民民に行きそうな前原誠司のブレーンだったが、新立民の方向性もそれを大きく超えるものとはいえないのではないか。