次期自民党総裁・総理大臣が確実な菅義偉のスローガンは、2010年に定められた自民党綱領にもある「自助・共助・公助」だという。
官房長官、ニュース9のリモート出演では「自助、共助、公助」とフリップを出してたみたいですが、これは『新経済社会7カ年計画』(1979年8月)で登場した「個人の自助努力と家庭や近隣、地域社会等の連帯を基礎としつつ、効率の良い政府が適正な公的福祉を重点的に保障するという…我が国独自の道」
— 早川タダノリ (@hayakawa2600) 2020年9月2日
というネオリベ的「日本型福祉国家」理念のスローガンがもとになっています。同年の自民党『日本型福祉社会の構想』では「公助」のモメントがさらに後景化します。で、最近ではどうなっているのかというと……
— 早川タダノリ (@hayakawa2600) 2020年9月2日
特徴的なのが2006年版の厚生労働白書で、当該頁は、下記のリンクのようになっています。PDF:https://t.co/dvVAGsJ0kE pic.twitter.com/PTAn5VYZu5
— 早川タダノリ (@hayakawa2600) 2020年9月2日
とにかく41年前に策定された古~いスローガンを持ちだしているわけですが、どんなに社会状況が変わっても、「自助・共助・公助」という優先順位はぜーったいに変えないという日本型ネオリベど根性をみせつけているわけですね。
— 早川タダノリ (@hayakawa2600) 2020年9月2日
41年前の1979年といえば大平正芳政権時代だ。大平正芳は、1973年に田中角栄が打ち出した「福祉元年」をずいぶん新自由主義的な方向、つまり経済軸上での「右」側へと位置を動かした総理大臣だった。これが「保守本流」の一つの側面でもある。大平首相のスローガンの一つが「小さな政府」だったことに対して私は当時から批判を持っていたが、今こそ思い出されるべきだろう。もっとも1973年から79年までの間というのは、世界的にも急速に新自由主義化が進んだ時代だった。1973年といえばチリのアジェンダ政権を倒したピノチェトのクーデタ、1979年といえばイギリスのサッチャー政権成立が思い出される。翌1980年にはレーガンがアメリカ大統領選に勝った。大平の政策はこうした流れに乗ったものだったかもしれない。しかしそれでも、日本が福祉国家になり損ねた元凶の一人とのネガティブな評価は免れ得ないのではないか。
そういえば、最近大平正芳を引き合いに出した政治家として玉木雄一郎もいた。玉木は八方美人の人間ではあるが、どうやら一つだけ譲れない政治的信念があるらしい。それは「反共」だ。だから「民社党の復活」を掲げて、共産党との共闘を断固拒否すべく立ち上げられる「新国民民主党」の党代表に収まることになるようだ。連合会長の神津里季生は新民民は応援しないし、6産別の新民民入りも認めないとの態度に出ているようだがどうなるか。どうやら新民民は一定の規模で発足しそうだ。
玉木雄一郎は菅義偉とともに、大平正芳の流れを汲む新自由主義者といえるのではないか。
旧民主党系の再編も併せて、今回の安倍晋三辞意表明以降の政局は、それがなければ数か月かけて進むかもしれなかった動きを一気に加速させた。この点で、3年前の「希望の党」騒動を思い出させるものがある。ただし違いもあり、3年前には神津が「希望の党」成立に協力的だったのに対し、今回は玉木雄一郎の動きに一貫して否定的なことだ。この3年間で、旧民主党右派の没落が急速に進んだことを反映しているのだろう。今後も「民社党の再来」たる新民民の前途は限りなく暗いとしか言いようがない。
もっとも、小沢系だの極右だのネオリベだのが大量に合流する新立民の方にもたいした期待はできそうにもないが。
そういえば「自助・共助・公助」のうち「共助」を強調したがる人士として私が思い出す一人は "All for All" をスローガンに掲げる井手英策だった。彼は新立民ではなく、どうやら新民民に行きそうな前原誠司のブレーンだったが、新立民の方向性もそれを大きく超えるものとはいえないのではないか。