kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

阪神が優勝した9月14日は高温多湿の夏の日。こんな天気の日にプロ野球チームがリーグ優勝を決めたことがあったか

 やけくそ気味でタイガースの話題から始める。

 下記共同通信大阪支社のXが4千万回以上もアクセスされている。

 

 

 下記は報道カメラマンの方のX。

 

 

 へえ、そんなもんか。

 ところで今日も東京は蒸し暑い。それは大阪も、甲子園球場のある兵庫県西宮市も同じだろう。

 今日は9月17日だが、もう今週末には秋分の日だというのに、いまだに大陸からの移動性高気圧がやってきて湿度が下がった秋晴れの日が一度もない。過去にこんな例があっただろうか。

 去年も残暑は厳しかったが、ヤクルトスワローズがリーグ優勝を決めた9月25日は気持ちの良い秋晴れの日だった。しかしそれが去年初めての秋晴れの日だったわけではなく、たとえば9月16日は最高気温31.1度、最低気温19.5度の秋らしい気候の晴天だった。

 「春一番」という言葉があるが、夏の空気が秋の空気に入れ替わって最初の秋晴れになる日を記録しても良いように思う。少し前にも書いたが、関西では1977年が異例の遅さである9月15日で、それなりの猛暑だった1979年は8月28日だった。もうすぐ配信停止となるgoo天気で、私が住んでいた神戸ではなく大阪での1977年9月の天気を調べてみると、9月9日から14日まで6日連続の熱帯夜を記録していた。それで大阪のラジオが「異例の厳しい残暑」と大騒ぎしていたわけだ。

 1977年9月14日の大阪は最低気温25.0度で最高気温32.5度、翌日は最低気温20.5度で最高気温28.1度だった。それが神戸では14日が最低気温24.0度で最高気温31.4度、15日が最低気温17.1度で最高気温27.7度だった。

 神戸でも大阪でも秋の空気が入って最高気温はともに4度ほど下がったが、大阪では最低気温が4.5度しか下がらなかったのに神戸では6.9度も下がった。実は1977年はそれまで住んでいた阪神間から神戸市に移り住んだ年だったのだが、ちょっとしか距離が離れていないのに阪神間では1977年の神戸ほど鮮やかに季節の移り変わりを感じたことがなかった。だから1977年9月15日の秋晴れの印象が強烈だったのだ。1979年はそれが8月28日に訪れた。1979年以上の猛暑だった1978年の秋の訪れの日が何日だったかははっきりと覚えていないが、77年と79年の中間の9月上旬ではなかったかと記憶する。

 その後久しぶりに瀬戸内の夏を過ごした2000年の岡山で、職場で「岡山は暑いですねえ」と言ったら、ずっと地元に住む職員から「でもお盆を過ぎたら朝晩は涼しくなるよ」との返事だった。だが2000年はなかなか涼しくならず、9月2日土曜日朝に前月分の新聞代集金に応じるためにドアを開けたらすさまじい熱風に襲われて閉口した。これもgoo天気で調べてみたら、2000年9月2日の岡山は最低気温28.2度で最高気温34.5度という、特に最低気温が異常に高い日だった*1

 でもその直後に空気が入れ替わり、9月4日には最低気温21.7度、最高気温31.2度で湿度の低い秋晴れになった。この2000年も猛暑の年だったが、たとえ暑い夏でも9月上旬には秋の乾いた空気が入ってくるのが普通だった。翌2001年の岡山は8月26日に雨が降って翌27日には最低気温21.4度、最高気温31.9度の、昼間は暑いながらも朝晩は本当に涼しい秋の晴天になった。

 それらかつての記憶と比較して、今年は夏(明らかにまだ終わっていない)のなんと暑くて不快なことか。そもそもプロ野球チームの優勝があんなクソ蒸し暑い日に決まったことなんかあっただろうか。

 実は2003年の阪神が優勝直前にもたつかず、9月2週目の神宮かナゴヤドームでリーグ優勝を決めていれば今年の前例になることができた。この年は8月上旬まで冷夏だったが、そのあとにすさまじい残暑が襲ってきた。この年には四国の高松に住んでいたが、その蒸し暑さには閉口したものだ。同年の神戸の気温を見ると、9月13日まで熱帯夜が続いていた。また大阪の気温を見ると、1977年と同じように9月14日まで熱帯夜が続いていた。

 タイガースは9月8〜10日に神宮で2敗1引き分け、11〜13日にナゴヤドームで3連敗して、確実とみられたこの週での優勝決定ができなかった。阪神のマジック対象チームだったのがわれらがヤクルトスワローズである。

 1日移動日を挟んだ9月15日は、その26年前ほど鮮やかに気候が変化したとはいえなかったようだ。9月14日の神戸の最低気温24.9度、最高気温29.7度に対して、9月15日は最低気温22.8度、最高気温29.0度と、最低気温は2.1度下がっただけだった。でも翌9月16日には最低気温21.1度、最高気温28.9度だったから、着実に秋の空気が入りつつあった。それが2003年9月15日の甲子園球場だった。甲子園は大阪と神戸のちょうど中間あたりにある。

 あの試合はNHK-BSで(酔狂にも)見(てしまっ)た。デーゲームで阪神がサヨナラ勝ちしたが、その時点ではまだマジック「1」で、薄暮時代で行われた横浜スタジアムでの横浜対ヤクルトの結果待ちとなった。その試合は1回表にヤクルトが4点を先制したが横浜に逆転され、阪神の優勝が決まった。甲子園に詰めかけた阪神ファンたちはヤクルトの負けが確定して(にっくき)星野仙一監督の胴上げを見ようと席を立たなかった。

 そんなことも思い出しながら、それにしても今年は暑くてたまらんよなあと思う。山どに行くと特に痛感するが、気温の高さもさることながら何よりも体にこたえるのは高い湿度だ。汗が乾かないから低湿度の時には発汗の気化熱によって得られる体の冷却効果が得られずに体に熱がこもるため、疲労の進行速度が全然違う。体感的には疲労進行が2倍を超えて3倍以上ではないかと思われるほどだ。もちろんそれは感覚的な話で、実際にはそこまでは違わないのかもしれないが。だから大谷翔平もカリフォルニアにこだわるのだろうし、その選択は正しいと私は思っている。その大谷はついに(同じカリフォルニアのチームに所属するダルビッシュ有に続いて)故障者リスト入りしたが、故障の引き金となったのは多湿のアメリカ東部で行われたダブルヘッダーだった。大谷はその第1試合、つまりデーゲームで完投シャットアウトをして、第2試合では本塁打2本を放ったが、最後の打席に立つことはできなかった。大谷の故障はその試合から始まった。だが、その大谷がそれまでに残した好成績や、ダルビッシュ有がサンディエゴ・パドレスに移るや否や復活した要因には間違いなく湿度の低いカリフォルニア南部の気候があると私はにらんでいる。

 今年はオリックスの「絶対エース」山本由伸をヤンキーズが狙っているらしいとかいう不穏な噂もあるが、あの球団とはじめとする東海岸の球団は止めた方が良いと強く思う今日この頃。

 

[追記]

 記事を書き終えてからしばらくして、1990年9月上旬の土曜日にヤクルトの川崎憲次郎が読売の吉村禎章サヨナラホームランを打たれて読売のリーグ優勝が決定した不愉快な記憶が突然甦った。調べてみると1990年9月8日であり、この年の首都圏(私は横浜市在住だった)も当時としてはひどい猛暑だったのだが、9月8日の東京は最低気温19.7度、最高気温27.3度の晴天だった。前日には雨が降っており、読売が優勝を決めた9月8日の天気は秋らしい晴天だった。

*1:この頃はプロ野球の読売が異様に強かったという不快な思い出もある。この土曜日を含むナゴヤドームでの中日3連戦に読売は全勝し、4年ぶりのリーグ優勝を確実にしていた。