kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

地球温暖化(気候変動)対策に配慮しつつ脱原発を進めるしかないと考える理由

 東京は雨が降って気温が下がり、猛暑が一段落したが、かつて神戸に住んでいた1970年代の高校生時代には秋の訪れはこんな形じゃなかったよなあと思う。

 たとえば1977年は異様に残暑の厳しい年で、9月14日まで蒸し暑い日が続いたが、9月15日に突然空気が入れ替わり、爽やかな秋晴れになった記憶が鮮烈だ。そこでもうすぐサービスが終了する「goo天気」で1977年9月の神戸の天気を確認してみた。

 

 確かに9月14日と比べると15日は朝の最低気温が7度も下がり、朝9時の天気は曇だったが15時の天気は晴だ。この日の午後は湿度が劇的に下がって実に気持ちの良い秋晴れだった。

 しかし、私の目を引いたのは9月1日から14日までの最低気温だった。当時、あれほど蒸し蒸しして夜も暑いなあと感じていたのに、熱帯夜は3日だけだった。前月の1977年8月にも熱帯夜は8日しかなかった。

 1979年の秋の訪れは8月28日だった。この年は77年よりも蒸し暑い夏で、8月の熱帯夜は17日を数えたが、27日に雨が降ったのを境に空気が入れ替わり、28日は最低気温22.9度、最高気温30.2度の秋晴れになった。

 今の東京はあの頃の神戸よりずっと暑くて暮らしにくい。もちろん2023年8月の神戸を調べると、東京と同じくらい蒸し暑くて深い夏だったことがデータでもわかるが、ここで言いたいのは東京と神戸との違いではなく、今と昔の夏の違いだ。私が最初に上京した頃は、ちょうどその年が冷夏だったせいもあるかもしれないが、東京の夏はなんて涼しいんだろうと感心したものだったが、今では暑い暑いと思っていたあの頃の瀬戸内の夏よりも東京下町の夏の方がはるかに暑くて苦しいのだ。

 長く生きていると、ヒートアイランド現象と地球温暖化の両方の作用なのだろうが、都市化の進行と、気温のベースライン及び変化の振幅が年々大きくなり続ける地球温暖化及び気候変動を体感できる。

 だから私は気候変動対応はもう待ったなしだと強く訴えるのだ。

 だからといって脱原発も進めるべきだとの主張も変わらない。原発には12年前に東北で東電が引き起こしたような大事故のリスクの他に、決定的なデメリットが2つある。

 1つは「トイレのないマンション」、つまり放射性廃棄物の問題だ。現代の科学でこれを解決する手段がない以上、原発を続けてはならない。

 もう1つは安全保障上の問題で、戦争になった時に原子炉を狙われるリスクがある。また放射性物質を溜め込むことによって生じる核兵器製造のポテンシャルを海外諸国に警戒されるデメリットもある。

 このように、原発はほぼデメリットしかない技術であって「脱原発」は当然の方向なのだ。ただ悩ましい問題が一つあって、それが気候変動との兼ね合いだ。

 これまで弊ブログの記事にしたことは一度もなかったが、昨年グレタ・トゥーンベリ氏が「原発擁護」発言をしたとして話題になったことがあった。

 

mainichi.jp

 

 グレタ氏を小泉純一郎が批判したが、首相時代に原発を推進しまくった「お前が言うな」としか私には思えなかった。

 

japan-forward.com

 

 小泉は論外にしても、反(脱)原発原理主義者が気候変動を無視しする傾向を私は批判するし、一時期オザシンがアメリカ共和党支持者と一緒になって叫んでいた「地球温暖化陰謀論」に走ったりするのに至っては小泉以上にひどい「アウトオブ論外」だと思う。

 私は地球温暖化対策に配慮しつつ脱原発を進めるしかないと考えている。そのための一時的な妥協もありうるとの態度だ。

 とはいえ、安倍政権が舵を切った「脱『脱原発』」からさらに岸田政権が進めようとしている「原発推進への回帰」が絶対に認められないことには変わりない。

 そもそも歴代自民党政権原発推進政策が間違っていた。このことは工業技術の観点からもいえる。

 太陽光発電パネルにせよ蓄電池にせよ、日本は技術的に大きなアドバンテージを持っていた。特に後者に関してはノーベル賞受賞者(吉野彰)まで出している。

 一方、原子力発電に関しては日本はたいした技術を持っていない。

 自然エネルギー普及の鍵は蓄電池だとは以前から言われていたにもかかわらず、安倍、菅、岸田の自民党3政権は原発回帰政策を取り続けた。安倍は既に死んだ(殺された)が、菅義偉岸田文雄もその罪は万死に値するとしか言いようがない。

 しかし日本国民の多くはその自民党だの第二自民党たる日本維新の会だのに靡き、野党第一党の党首もそういう政党にすり寄ろうとする。また元号を冠した野党は気候変動に対する意識が稀薄で、組の独裁者は石炭火力に置き換えれば良いじゃないかとでも思っていそうだ。

 これではどうしようもないと思う次第。