kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

"頭がおかしい現象"が起きる根本原因…批判殺到で撤回の「子どもの留守番は虐待」条例案の本当の問題点 (千田有紀)

 今年最初にネットの政治界隈を騒がせたのは、岐阜の今井瑠々が立民を捨てて自民党に走った件だった。今井を初めとして「泥船」と化した立民などの野党から自民党に移りたがる人間が後を絶たなかった。しかし現在では岸田自民党への逆風が日に日に強まっているように見える。

 例の埼玉のトンデモ条例もその一例だった。親が子どもを部屋に置き去りにしてゴミ出しに出ることもまかりならぬとする上、そのような事例を発見した住民に通報義務まで課すという誰が見ても「あり得ない」条例が批判を浴びているのを知った時、ああ、これはさしもの自民党も条例を取り下げるだろうなと思ったらその通りになった。トンデモには反対の声を上げれば事態は改善されるという良い事例だ。人々はこれを機に覚醒し、積極的に権力を監視する必要がある。もちろんその対象は身の回りの組織全てを含む。人は誰しも「権力を疑え」を第一のモットーとしなければならないというのが私の強い意見である。

 それはそれとして、世襲貴族が支配する自民党国会議員の世界ならともかく、地方議会の自民党には土地の豪族みたいな人間が多いとも聞くけれども、それにしてもなんであんなトンデモ条例が埼玉県議会で可決されようとされていたのかが疑問だった。ネットでは自民党の復古的極右が信奉する「親学」なるトンデモの影響だろうとする声が多かったが、意外な真相だったようだ。

 下記は千田有紀氏がプレジデントウーマンに書いた記事へのリンク。

 

president.jp

 

 下記は編集部による記事のリードの部分の引用。

 

子どもだけでの留守番などを禁じる虐待禁止条例改正案を、10月4日に埼玉県議会に提出していた自民党県議団が10日、この改正案を取り下げると発表した。武蔵大学社会学部教授の千田有紀さんは「改正案は、少子化対策に逆行するとしか言いようがなく、取り下げられはしたものの、自民党は痛手を被っただろう。虐待防止は大切であるが、具体的な支援サービスの拡充を図ることなく、海外のシステムをただ輸入して精神論的に乗り切らせようとする態度に問題があったのではないか」という――。

 

URL: https://president.jp/articles/-/74784

 

 以下は千田氏の記事の中程の部分からの引用。

 

県議団団長は自民党の「左派」だった

 

さて、この条例案に対してネット上では、「やはり自民党は宗教団体と関係があるからダメなんだ」「右派だからだ」「『親学』の影響がある」などという声が渦巻いているのを見て、私は正直にいって虚を突かれた。

「なるほど、ひと昔前なら確かにそういうふうに解釈しただろう」ということを思い出した。確かに、そういう側面がまったくないとまではいえない。

しかし自民党県議団の団長の田村琢実議員は、埼玉県のいわゆるLGBT条例、性の多様性条例を成立させた議員でもある。また、圧力をかける宗教団体を批判し、その圧力をはねのけたことも公言している。いわば、稲田朋美議員と同様、与党自民党における「左派」なのである(稲田氏を、「左派」と書く日がくるとは、まさか数年前には思いもしなかったが)。

 

アメリカのまねではないか

 

この条例案を見て、即座に「アメリカのまねだな」と思った。

基本的にアメリカでは、小学生をひとりで家に置いておくことは、違法であり、虐待にあたる。虐待には、場合によっては通報義務がある。アメリカでは、どんどん親の責任が重くなってきている。パートナーが子どもの虐待をしているのに通報することなく「見て見ぬふり」をしたりすることも、罪を問われる場合がある。たとえ本人がパートナーからの暴力(DV)の被害者であったとしても同様だ。子どもへの虐待加害者よりも、さらに重い罪に問われることすらある。

こうしたアメリカの枠組みをそのまま日本に輸入したのだろう、というのが条例案をパッと見た感想だった。

もちろん、アメリカではひとりで子どもが出歩くことなど、治安の問題からして考えられないことである。学校にはスクールバスがあり、家の前まで送迎をしてくれる。私立校に通わせていたり、バスがないとしても、親が車で出勤するついでに学校に寄るというスタイルを取っていることが多い。

通勤も出勤も、朝早い。移民のベビーシッターがおり、送迎を頼むこともできる。こういった社会の条件があるなかで、システムが構築されている。

それをそのまま、日本にもってきたとしても、うまくいかないのは道理である。ただでさえ待機児童や学童不足が嘆かれているのに、「子どもにつきっきりでいるべきだ」とは、非現実的もいいところである。

 

URL: https://president.jp/articles/-/74784?page=2

 

 このあたりは「はてなブックマーク」のコメント(「ブコメ」)にあった自民党支持者からの反論を通じて知ったところだった。彼らはアメリカでも行われている、ニュージーランドでは小学校3年生どころか14歳以下の子どもが対象だ、などと力説していた。

 しかし、そうであるにしてもあまりにナンセンスな条例なのだ。そんなところにもってきて、過去には「親学」にかぶれるトンデモ極右議員らを自民党が排出してきた実績があるから、その極右らの悪行が寄与した分もひっくるめて埼玉自民党の「サハッ」たちが猛攻を浴びたものだろう。

 千田氏は記事を下記の文章で締めくくっている。

 

条例案の真の問題点

 

話を埼玉の虐待禁止条例案に戻そう。

虐待を防止したいという願いに、賛同しない人はいないだろう。しかし問題は、こうした理想主義的な目標を掲げたにもかかわらず、そのために何が必要であるのか、地に足をつけて考えることのないその態度なのではないか。具体的な子育て支援サービスの提供や、保育園や学童の拡充などをすることなく、海外のシステムをただ輸入すればいいと考え、精神論的に乗り切らせようとする、その安直さなのではないだろうか。

 

URL: https://president.jp/articles/-/74784?page=3

 

 私もこの件については自民党復古主義的極右イデオロギーの産物との視点だけで見ていたが、その要素も確かにあるにせよ、自民党政策集団としての極度の「無能化」の側面が強いようだ、とやや認識を改めた。

 なぜこうなったか。いつの頃からか日本国民やメディアの権力に対する批判が鈍って、自民党を甘やかし続けたからではないかと私は思う。自民党以外でも「ヤンキー」「イキリ」「反社」などの言葉しか思い浮かばない、イカレた無能者集団の維新が異様なまでに甘やかされている。

 最近はヤフコメなどを見ていても岸田政権への批判がずいぶん強まっているように見えるが、中には「保守派は岸田なんか支持していない」とする安倍信者のコメントもある。しかしそれらに対して「岸田だろうが保守派だろうが自民党自体がダメなんだよ」とする声の方が勢いがあるように見える。何より「保守派」を自認する極右たちも、立民や共産の支持層と同様に、あるいはそれ以上に高齢化している。彼らのボリュームは急激にやせ細ってきているのである。近く新党を立ち上げるという百田尚樹にしてももう67歳であり、50歳で『永遠の0』を書いた頃からみるともう17歳も歳をとった。私があの新党の国政選挙での議席獲得はあり得ないとする根拠は、いかな極右人士でも国会議員に手が届くポテンシャルを持った人間なら「あんな年寄りのイカレ百田なんかの言いなりになってたまるか」と考えるに決まっていると思うからだ。三春充希氏も指摘する通り、参政党は旧来の極右政党の支持層ではなく若年層の支持が多かったから「一時は」勢いを得た。だから氏は参政党を極右政党のカテゴリに入れていない。日本保守党だとそうはいかない。若年層の支持は見込めないから、少なくとも衆院選議席を獲得する可能性は絶無だ。それこそ「永遠の0」である。

 しかしそんな百田でさえ、岸田文雄との比較なら案件によっては立民や共産の方がマシな場合もあると言い放っている。

 人々の急激な「自民党離れ」を反映しているように私には思われる。