kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

園遊会に男性が招待された場合、女性配偶者は「(夫の氏名)夫人」、女性が招待されるとその配偶者である夫は「(妻の氏名)夫」ではなく「○○××」と「夫」ではなく自分の名前で書かれるらしい(井戸まさえ氏のXより)

 昨日、園遊会なるものが行われたらしい。知らなかった(笑)

 以下は泉健太支持者のnaoko氏のTwilog経由で知った井戸まさえ氏のXの連続ポスト。

 

 

 

 

 

 3番目のXなんかを見ると、秋篠宮家の佳子氏は(個人としては)ずいぶんまともなことを言ってるじゃないかと思ったが、それはともかく上記Xの連続ポストを読んで直ちに思い出したのは、20世紀前半に書かれたイギリスのアガサ・クリスティのミステリの中に、しばしばファーストネームがわからない女性の登場人物が出てくることだった。

 たとえばヨーロッパには「セシル」というファーストネームがあるが、これはフランス語では女性の名前だが英語では男性の名前だ。イギリスの政治家にして帝国主義者だったセシル・ローズ(1853-1902)やアメリカのホームラン王で、日本の阪神タイガースでも活躍したセシル・フィルダー(1963-)らの名前が思い出される。

 ところがクリスティの最高傑作とされるのが『ロジャー・アクロイド殺し』(1926)にはセシル・アクロイド夫人という人物が出てくる。Wikipediaの「登場人物」の欄には下記のように書かれている。

 

セシル・アクロイド夫人
ロジャーの義妹。夫(ロジャーの弟)と死別し、娘とともにロジャーのもとで暮らしている。
フローラ・アクロイド
セシルの娘。若く美しい女性である。ロジャーの希望によって、1か月前にラルフと婚約した。

 

 普通の人はこれを見たら「セシル」というのはロジャーの亡くなった弟の妻の名前だと思うだろうが、違うのである。セシルは男性の名前だから、これはロジャーの亡くなった弟の名前なのだ。そして夫人の名前はとうとう一度も出てこずじまいだった。なんと気の毒な「名前のないキャラクター」だろうか、彼女の娘の名前(フローラ)は上記引用文の通り出てくるのに、とこのミステリを初めて通して読んだ一昨年(2021年)に思った。

 20世紀前半のイギリスでは、女性作家が書いたミステリでも女性の名前の扱いはかくのごとしだった。それと現在の佳子氏の発言とを比較すると、社会はやはり進歩するものなんだなあと思う。

 しかるに、現在の日本の「皇室」とやらは1世紀前のイギリス並みの水準であり、自民党復古主義系極右たちもまた同じだ。

 来月に区長選が行われるらしい江東区の区長に絡めて言えば、柿沢未途の操り人形だったとされる木村弥生もたいがいだったけれども、自民党極右勢力とのつながりが強い上、死んだ前区長のドラ息子にして文武両方での落ちこぼれである可能性が極めて高い山崎一輝よりはまだマシだったんじゃないかと思う次第。あんな奴だけは区長にさせたくない。