kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

釘は使わないがボルトは使いまくりの「大阪万博のお化けの木製リング」(呆)/古舘伊知郎「万博の後にIRがあるから」と大阪万博を翼賛(激怒)

 今日も余裕がほとんどないので簡単に。

 宮武嶺さんのブログ記事より。

 

blog.goo.ne.jp

 

 私は少年時代に行われた1970年の大阪万博には地元民として熱狂したのだったが*1、その55年後の2025年開催「予定」の大阪万博に対しては掌を返している。

 なので、木製のリングのことなどつい最近知ったばかりなのだが、それが「釘は使わないがボルトは使いまくり」とは。申し訳ないけれども徳島の祖谷渓にあるワイヤー入りかずら橋を連想してしまった。いやあそこには何度か行きましたがいいところですけどね。

 それよりも、あれを見ていつも思うのはまるで「維新お化け」の頭の上にのっかった輪っかみたいだな、ということ。

 しかし腹が立って仕方ないのは、何年か前に報棄てのキャスターを辞めた古舘伊知郎大阪万博を擁護していることだ。下記はYahoo! JAPANが配信したスポーツニッポンの記事。

 

news.yahoo.co.jp

 

 以下引用する。

 

古舘伊知郎 万博是非めぐる議論に持論「国際博覧会で終わるなら大反対だけど、その後にIRが」

11/18(土) 21:51配信

 

 フリーアナウンサー古舘伊知郎(68)が18日、ABEMA「NewsBAR橋下」(土曜後9・00)にゲスト出演し、350億円リング建設の是非など物議を醸している大阪・関西万博について持論を語った。

 

 リングは会場のパビリオンにかかる木製の大屋根で、万博のシンボルとして建設が開始されているが、建設費が350億円と高額なことなどが指摘されている。リングは25年2月ごろに完成する。

 

 野党側からは、リングの海上部分の建設をやめれば100億円の経費が節減できるとの意見が出ているが、古舘は「それが違うと思っている。やるなら350億を倍増させて、無駄遣いを超える無駄遣いの方が絶対、経済活性につながるって」と主張した。

 

 古舘が「報道ステーション」のキャスターを務めていた時代は、万博招致に消極的だったため、否定派の急先鋒(せんぽう)とみられがちだという。しかし、「座右の銘が増えまして、前言撤回」と前置きし、現在の考えを披露。「国際博覧会で終わるなら大反対だけど、その後にIRがあります。IRはカジノもそうだし、コンベンションホールも含めてものすごい総合施設。ああいうふうにゴミで埋め立てたところは、しっかり有効利用しようというところまでやらないと」と、経済政策として万博をやり切ることの大切さを訴えた。

 

スポーツニッポンより)

 

URL: https://news.yahoo.co.jp/articles/5ef9c94bbde7e329528c357af066e3a63a8f2e65

 

 ふざけるな、古舘!!!!!

と私が激怒したことはいうまでもないが、同時に古舘のキャスター時代から弊ブログが一貫して古舘を批判していたのは正しかったことが証明されたな、とも思った。他所(たとえば某「世に倦む」御仁など)がどんなに古舘を持ち上げても、弊ブログは頑として古舘批判のスタンスを崩さなかったつもりだ。

 古舘及びあの番組が新自由主義的であることを弊ブログはしばしば指摘していたし、あの番組でよく安倍晋三批判をぶち上げていた古賀茂明もゴリゴリのネオリベだった。古賀に対しても弊ブログは民主党政権時代の2012年頃からずっと批判してきた。

 その古舘の化けの皮が剥がれたなと思った次第。

 安倍晋三さえ批判してれば良いってもんじゃない。ネオリベはやはり徹底的に批判しなければならない。

 そういえば古舘が後継者として目をかけていた富川悠太トヨタ入りしやがった。何が「トヨタイムズ」だよ、とコマーシャルを見るたびに腹を立てている。奴はジャーナリストを自称しているが、トヨタの飯を食っているジャーナリストなどあり得ない。立場上絶対にトヨタの批判はできないのだから。まあ古舘が目をかけていた人間などその程度のものなのだろう。

 あの頃、小川彩佳は結婚してもキャスターを続けるような人ではないだろうという噂話が書かれた記事を目にしたこともあるが、それは女性を差別する男性目線を持つ人間の間違った思い込みに過ぎなかったことがその後証明された。逆に、古舘の後継者は小川なのではないかとの観測もあったが、その方がまだ本質を突いていた。結局古舘が小川よりも富川を選んだわけだが、その選択はやはり間違っていた。富川がコロナに感染して批判されたのは不当きわまりなかったしあれには同情したが、その後がやはりいけなかった。

 維新といい古舘といい、本当にどうしようもない。

*1:何を隠そう、1967年まで幼児の私は吹田市民だった。