kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

中曽根康弘のブレーンだった高坂正堯は、中曽根がもくろんだ「防衛費対GDP比1%枠」の撤廃に反対した。それが今では野党の政治家までもが‥‥

 世の「リベラル」人士の中には、私が見る範囲では『日本がアブナイ!』の運営者などが典型的な例なのだが、故安倍晋三の流れを汲む「アブナイ」政治家や政治勢力の歯止めとして岸田文雄に期待を託している人たちがいる。内閣支持率が2割あるかないかになった今となってはごく少数派だとは思うが。

 しかし、私はその人たちには全く同意しない。

 岸田内閣支持率が大暴落する遠因となったのが軍事費(防衛費)の倍増政策だった。私はここで「と思う」などと書かずに断定形で書いた。当然ながら軍事費の倍増には財源が必要であり、増税しなければ福祉や社会保障、インフラ整備などに大きな皺寄せが行くことは自明だったからである。岸田がこの政策を打ち出すや否や、弊ブログはこのを強く非難する記事を公開した。2022年5月31日のことだ。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 タイトルから明らかな通り、私は憲法9条的な観点からではなく25条的な観点から軍事費増大政策を批判した。実は私は9条的観点からも軍事費倍増政策には反対なのだが、弊ブログの運営方針として、常に9条的観点よりも25条的観点を優先させることにしている。この国に住む人々にとってより切実な問題は後者だと信じるからだ。

 以下に上記記事の一部を引用する。

 

 この問題は「世界の警察官」であり続けるのに必要な国力を失いつつあるアメリカが、軍事費の一部を「同盟国」に肩代わりさせようとしていることから発していることは自明だが、多くの日本国民が直視していないのは、日本の国力はアメリカどころではなく急落しているという事実である。

 そんな時に軍事費(防衛費)の大増強をやった場合、間違いなく降りかかってくるのは社会保障や福祉の削減だ。

 以下は日経の記事についた「はてなブックマーク」より。

 

防衛費増額「GDP比2%以上」 賛成55%、反対33% - 日本経済新聞

GDP1%分(=6兆円)増額って、消費税3ポイント分なんだけど、55%の人は、どこから持ってくる気なんだろう?

2022/04/27 07:19

b.hatena.ne.jp

 

防衛費増額「GDP比2%以上」 賛成55%、反対33% - 日本経済新聞

いつも福祉については財源について同時に議論が行われるが、この件については財源の話が出てこないのは何なのだろうな。どこから金をひねり出すつもりなのか。

2022/04/27 11:44

b.hatena.ne.jp

 

 これらの懸念に対し、安倍晋三は「国債で賄えば良い」と言っているとのこと。

 誰かを思い出さないか?

 そう、山本太郎である。

 山本も防衛費増額には肯定的な発言をした。山本も「国債で賄えば良い」とか「どんどんお金を刷りなさい」とかいうスタンスだろう。

 私は財政均衡論には与しないが、野放図な国債発行にも与しない。国債の利払いは紛れもない逆再分配になるからだ。

 昨今は第2〜4次安倍内閣時代にネトウヨが絶叫していた「日本スゴイ」論をあまり聞かなくなったような気がするが、多くの人が日本の国力低下を実感するようになったからではないだろうか。

 そんな時に防衛費の激増など、40年前に流行した言葉で言えば「逆噴射」政策にほかならない。私には、およそナンセンスもいいところの政策であるとしか思えない。

 そんな政策を「保守本流」を標榜しておいでらしい岸田文雄が唱え、泉健太山本太郎が追随する。「リベラル・左派」も岸田にはやたらと甘い。岸田がやろうとしている防衛費のドラスティックな増額がこの記事で指摘したようなトンデモ逆噴射政策であるなどとは、夢にも思っていないのではなかろうか。

 こんな現状に対して強い危機感を抱かないわけにはいかない。

 

URL: https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2022/05/31/075642

 

 ブコメに示されている通り、岸田が軍事費倍増政策を打ち出した当初には、日経の世論調査でこの政策への支持は55%を占めた。しかしこの時は岸田が語らなかった財源について、増税所得税法人税などの直接税)で賄うとの方針を打ち出したら、しばらくして岸田に「増税メガネ」とのあだ名がつき、支持率の低落が始まった。慌てた岸田が減税を言い出すと、言を左右にするとして批判された。さすがにここまで露骨だと、いかに権力に弱い人間が多い日本国民といえども、もう騙すことはできなくなっていた。だから、岸田内閣支持率が大暴落したのは完全に自業自得なのである。

 財源が増税だろうが当時はまだ生きていた安倍晋三が言ったような国債だろうが私は反対なのだが、記事中で泉健太山本太郎も、少なくとも初動の段階では岸田を批判できなかったことは本当に由々しき問題だと今でも思う。野党でさえこの始末だから、自民党内はもちろん、保守派の知識人からも岸田が打ち出した軍事費倍増政策に反対する声など全く出なかった。

 しかし最近、『海神日和』という、トマ・ピケティの本に関する記事を載せたりしているブログに下記の記事が載っていることを教えてもらって、昔の中曽根康弘のブレーンだった保守派の学者・高坂正堯が中曽根が目論んでいた防衛費増額に反対していたことを知った。高坂といえば、京都弁の憎たらしい保守派の学者として昔の私が大嫌いだった保守派の人士だ。

 ブログ記事には、服部龍二が書いた高坂正堯の評伝(中公新書, 2018)が紹介されている。

 

www.chuko.co.jp

 

 以下、下記リンクのブログ記事から引用する。

 

kimugoq.blog.ss-blog.jp

 

(前略)高坂は1983年8月から中曽根首相の私的諮問機関「平和問題研究会」の座長を務めていた。「総合的な安全保障政策」を提案するのが、この研究会の目的だった。

 

 しかし、もっと生々しくいうと、「防衛計画の大綱」と防衛費GNP1%枠の見直しが課題だったといってよい。

 

 これにたいし、高坂は翌年3月の中間報告で、「防衛計画の大綱」の見直しは不要、防衛費1%枠にさほど根拠はないが、何らかの新しい歯止めは必要であり、それができなければ当面1%枠を保持するという意見書を提出している。ちなみに、「防衛計画の大綱」は、専守防衛非核三原則周辺諸国に脅威を与えないことなどを基本としていた。

 

 だが、中曽根本人はこの意見書に満足しない。大見得を切って、アメリカのレーガン大統領に約束した手前もある。

 

 平和問題研究会の答申素案はその後3回にわたり出されたが、中曽根はそれに干渉し、「防衛計画の大綱」は見直すべきこと、防衛力の整備は「定性的」に(つまり状況に応じて)考えることを指示した。とうぜん1%枠の撤廃が示唆されている。

 

 こうして、中曽根の意見が取りこまれ、1984年12月に最終報告書が提出された。高坂にとっては不本意なものだったという。

 

 けっきょく中曽根にしたがうことになったものの、高坂はけっして「御用学者」ではなく、政府に批判的な見解ももっていた、と服部はあくまでも高坂を擁護している。(後略)

 

URL: https://kimugoq.blog.ss-blog.jp/2024-02-19

 

 防衛費(軍事費)は結局、対GDP比1%をわずかに超えたものの、その後はずっと「ほぼ1.0%」で推移してきた。それを一気に2%に引き上げることを表明したのが岸田文雄なのである。

 私にはこんな政治家は欠片ほども支持だの擁護だのをする気になれない。『日本がアブナイ!』を運営するmew氏はこの件についてどう思っておられるのだろうか。

 また現在の立憲民主党(立民)に軍事費増額そのものを批判する政治家はほとんどいない。国会議員ではないけれども衆院愛知10区の支部長で次期総選挙立候補が内定している「ワラ氏」こと藤原規眞氏を(私が知る限り)唯一の例外として。氏は昨年年初に泉健太乃木神社参拝を批判した、なかなか気骨のある人だ。ツイート(当時)もよく見ていたが、Xからアカウント未取得者が排除されて以来ほとんど見ることができなくなったのが残念だ。もちろん私はXに屈したりは決してしないから、今後ともXのアカウントを開設するつもりなど全くない。

 ワラ氏は例外として、こういうところが立民の残念な特徴の一つだ。

 それはともかく、1980年代には保守派の学者は内閣のブレーンに登用されても平気で時の首相に楯突いたことは読者の皆様にもよく認識していただきたい。

 かつて弊ブログに「誰に帰依するかをはっきりさせろ」と迫ったトンデモコメントが寄せられたことがあった。だが1980年代まではそのような権威主義的な考え方は、少なくとも政治を議論しようとする人たちの間では決して主流ではなかった。

 それがいつの間にか権威主義が蔓延するようになって今に至る。自民や共産はもちろんのこと、立民の支持層でも権威主義者が多数を占めるように私には思われる。「草の根」を標榜した枝野幸男をも「えだのん」と呼んで崇拝する人たちが跡を絶たなかったことが苦々しく思い出される。

 そこで弊ブログのモットーを一つ考えてみた。

 「専門知には敬意を払え、権力からは自由であれ。」

 たいていの陰謀論者はこれとは逆で、専門知から自由であろうとするから陰謀論にはまる一方、権威や権力(者)に盲従したがる。

 今後ブログ記事に上記のモットーをしばしば掲げたい。