kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「立憲は○○を切れ!」またむくむくと湧いてきたあの議論…「共産切り」でも「連合切り」でもない立憲代表選の争点 (尾中香尚里氏, 8/9)

 自民党総裁選について、これまで小泉進次郎高市早苗は論外だと書いてきたが、もう一人論外がいることに気づいた。小林鷹之という泉健太と同い年だがまだ誕生日が来ていないために49歳の人で、統一教会とも関係のある極右だ。それこそ名は体を表す見本。

 もちろん石破茂だの河野太郎だのもダメダメなのだが、本当は石破や河野こそ「論外」で、小泉や高市や小林が「超論外」なのだろうけれども、次から次から「もっとダメな」人間が排出されるのが今の自民党だということだ。

 ところで立民代表選について立民の一部若手は野田佳彦の出馬をけしかけているという。下記はそれに関するきょんきょん氏のX。

 

 

 

 上記2件のポストについては、「野田佳彦は立民代表選に出るべきではない」という点には同意できる。野田は、民主党政権時代(2011年頃)にさとうしゅういち氏が「ネオコン」(新保守主義者)と評した通りの人だ。前原誠司とタッグを組んでいた民主党国対委員長時代(2005〜06年)には「偽メール事件」の対応を誤って自滅し、総理大臣となった2011〜12年には自公にすり寄った政権運営をして、その後に続く長い長い安倍政権リターンズを呼び込んだ。但し、よく言われる解散の時期については早過ぎたとは思わない。あれ以上遅らせても民主党の負け方をもっとひどくしただけだ(2009年には同じ理由で麻生太郎が大失敗した)。むしろ、橋下徹松井一郎安倍晋三をスカウトしようとした2012年8月よりも早く解散すべきだった。その場合でも自民党への政権再交代が起きたと思うが、総理大臣は安倍晋三ではなく谷垣禎一になったはずだ。そしてあの2012年の自民党の第2次改憲草案は実にひどい代物だったから、谷垣は安倍のように長く総理大臣を務めることはできなかったと思われる。安倍の場合は、最初に自身の名前を冠した(弊ブログはその片仮名6文字をNGワードにしているが)経済政策でほんの短期間だけ成功し、その惰性力で7年9か月もの超長期政権を維持した。その後の1年間の菅義偉政権と合わせて、本当に悪夢の9年間だった。

 自民党の話はともかく、過去の国対委員長時代及び総理大臣時代の野田佳彦の責任は非常に重い。それが野田は再出馬すべきではないと私が考える理由だ。

 きょんきょん氏は「党首選は将来の総理候補たちの顔見せの場である」というが、私は年齢や当選回数よりも、理念を打ち出せない人はダメだと思う。

 昨日、TBSの『報道特集』を見ていたら、中北浩爾氏が岸田文雄には理念がなく、統一教会問題にせよ裏金問題にせよ対応が場当たり的だったから国民の支持が得られず支持率が低下したと言っていた。また岸田が総理大臣になりたかった理由は日本で一番権限の強い人だと言ったことから、岸田に対しては最初から疑念を持っていた、岸田は権力の維持が自己目的化していたというようなことも言っていた。それは私もその通りだと思う。岸田は宏池会に属してはいるものの、「保守本流」の理念などは何もなく、ただ単に権力欲の強さと権力工作の巧みさによって現在の地位を築いたものの、総理大臣としては何もできなかった人だと私も思う。

 しかしそんな中北氏が立民代表選で推すのが野田佳彦である。つまり、中北氏は野田を理念を持った人だと買っていることになる。野田が理念を持っているという点にも私は同意するが、私が野田が良いと思えない最大の理由は、その野田の理念が、13年前にさとうしゅういち氏が野田を評した通りの「ネオコン」であることだ。

 私は、泉健太岸田文雄とまったく同じタイプの、権力欲が強く、権力工作が巧みだが、その反面理念に欠ける人だと思っている。最近の泉のXには、妙にリベラル層にアピールしようとしているものが目立つが、昨年1月に乃木神社への初詣を批判された時には「息苦しいですね」などとキレていたし、胸のブルーリボンバッジもずっとつけ続けている。また何かにつけて「愛国」をアピールもしている。

 泉とは結局「自分の権力の獲得が第一」の人なんだろうと思う。現在見られるリベラル層へのアピールの動機は明らかではないが、サンクチュアリに手を突っ込んでいることのエクスキューズというか、立民の右派陣営内で重徳和彦を擁立しようとの動きがあって、それが泉を苦しくしているのかどうかは知らないが、何らかの理由でリベラル層へのアピールを余儀なくされていると思われる。

 しかし「政局の人」というだけなら枝野幸男も泉に負けていない。民民に転出したというより事実上手塚仁雄にいびり出された(と私はみている)井戸まさえ氏は著書で、故仙谷由人氏が、枝野は理念の人だと思われているが実は政局の人だと評していたことを直接仙谷氏から聞いて、それを枝野に伝えたら喜んでいたというようなことを書いていた(本は手元にないので記憶に基づいて書いている。希望の党騒動のあとに岩波書店から出た本に書いてあった)。

 今回の立民代表選に関していえば、8月7日に枝野幸男が早々と出馬表明したことがサンクチュアリ国のかたち研究会菅直人派)の引き締めにつながったことは想像に難くない。現にその少し前に朝日新聞が載せた政局記事には泉がサンクチュアリの有力者に執行部のポストを提示して手を突っ込んでいると書かれていた。あの記事が出たあたりから再選に向けてずっと前のめりだった泉の動きにブレーキがかかった。

 枝野は理念と政局の二刀流ということだろう。理念だけでもダメで、岸田や泉のように政局(というより権力工作)だけでもダメ、ましてや石丸伸二ばりのポピュリズム一点張りなど論外だ。

 とはいえ立民代表選に対抗馬が必要なことはいうまでもない。

 たとえば宮武嶺さんの下記ブログ記事に、宮武さんご自身が下記のコメントを書いている。

 

blog.goo.ne.jp

 

泉健太が推薦人を集められなくて立候補できず、野田佳彦が自制して出馬せず、枝野幸男が無投票で当選する事態も恐れてます

 

これだと立民には民主主義がないとめちゃくちゃ叩かれるだろうし、自民党総裁選挙ばかりが報道されて、立民が埋没しそうです

 

枝野vs泉vsもう一人は最低いないと困ります

 

 私は立民右派もそれなりの勢力を形成しているのだから誰かが出る必要があるとは思うが、別にそれが泉ではなく重徳和彦であっても構わないと思う。というか、重徳なら推薦人の数が揃えられて泉にはそれができないのであれば、重徳が出れば良いのではないかと思う。岸田も自民党総裁選に出ないことだし、無理に泉が立民代表選に出る必要もない。中間派はいちばん世評が高そうな野田を推したがっているようだが、前述の理由により野田は好ましくない。野田Gに代表される中間派は右から左までかなり幅が広そうだから、保守(右派)寄りとリベラル寄りからそれぞれ1人ずつくらい出れば良いのである。ポイントは、各候補者は理念でまとまるべきだということだ。以上の計3人が枝野幸男と争えば良い。前記宮武嶺さんの表現を一部変えて、「枝野vs泉(or重徳)vsもう2人くらい必要」というのが私の意見だ。

 最近はひところ「立憲野党」とか呼び習わされていた野党が長期的にはずっと衰勢にあるせいか支持層の組織防衛志向が非常に強く、そのために特にSNSの立民支持層内では泉への支持が非常に強いように思われるが、もし泉がなかなか推薦人の数を揃えられずにいるという真偽不明の情報が正しいのならば、実際の国会議員たちの世界では、SNSの立民支持層の人たちとはかなり傾向が違って、立民の国会議員たちの間では、それなりに「○花斉放○家争鳴」の気風が残っているのかもしれない。

 きょんきょん氏は前記2件目のXに

花斉会幹部の蓮舫さんと手塚さんが都知事選に負けたことが、立憲の支持率低下に与えた影響は無視できないし、

そのことによって泉代表が追い詰められている現状を奇貨とするようなやり方にも賛同し兼ねる

と書いているが、都知事選に蓮舫手塚仁雄という野田G幹部が盛大に負けたことは紛れもない事実だし、野田に出馬を要請している野田Gを中心とした人たちが「野田Gの重鎮が都知事選に負けたために泉が追い詰められている現状を奇貨とするようなやり方をしている」と言われても仕方ないとは私も思う。

 しかし、それを言うなら、4月の衆院東京15区補選でも泉は何もしなかった。あの補選で動いたのは手塚と高野勇斗江東区議という野田Gコンビだった。あの3補選で立民の政党支持率が爆上がりしたのは2勝1敗ではなく3勝だったからであって、その爆上がりした戦果から「これはいける」と判断して都知事選に挑んだものの全く歯が立たなかったばかりかぽっと出のポピュリストに過ぎない石丸伸二にまで負けたのが今年春から夏にかけての立民だったのであり、支持率急増にも急降下にも泉は寄与していない。

 だから、反泉を「歴史修正」だとして批判する下記Xの方がよほどひどい歴史修正なのである。

 

 

 上記Xは「2021年衆院選の敗北」が大きかった。それを立て直したのが私だ」という泉健太の宣伝に乗っかったXだといえる。それにしても、

一部の反・泉の人々があたかも「それまで右肩上がりに勝利を重ねてきた立憲が泉体制になってから衰退した」かのように語るのは噴飯物の歴史修正だと思う

とほざくのは、そちらこそ噴飯ものの歴史修正だ。

 そもそも、「それまで右肩上がりに勝利を重ねてきた立憲」などと言った「反泉の人間」などどこにいるのだろうか。2019年参院選で立民は伸び悩み。21年衆院選で惜敗した事実を認めていない「反泉の人間」などどこにもいない。本当にいるというのなら「大地の子」氏がその実例を示さなければならない。挙証責任は「大地の子」氏にある。

 たとえば弊ブログは、立民は2021年衆院選に「間違った総括」を行い、その結果泉執行部が「提案型路線」に走ったと認定している。その結果、2022年参院選で立民は比例票を21年衆院選の比例ブロックや19年参院選比例区と比較して大きく減らした。21年衆院選との比較では実に36.5%も減らした。下記Xが指摘する通りである。

 

 

 その通り、立民の党勢は昨年の統一地方選の直後に行われた衆参5補選のうち、立民系の候補が立たなかった1つを除いて立民が4選全敗してからもなおしばらく低落し、昨年秋頃から今年春にかけてV字回復したが、それは主に自民と維新の敵失によるもので、立民党内ではむしろ一部の野田Gが寄与した。しかし野田Gは都知事選惨敗でその寄与をまるまるチャラにして、泉も野田Gも差し引きゼロである。

 

 

 上記Xがいう「そのあとの選挙」というのも2022年参院選のことだ。あれは本当の大惨敗だった。その最大の責任者が泉健太だった。

 ところで、ここまでの文章では泉も野田Gも差し引きゼロだと書いてきたが、野田Gに属する前記高野江東区議が弱体の立民江東区議からたった1人の立民会派を立ち上げるとともに、同僚の区議だった酒井菜摘を国会に送り込んだ。また都知事選にしてももののみごとに惨敗したとはいえ結党後初めて立民系候補を立てたことで、東京都における立民の現在の実力(のなさ)を明らかにした。これには一定の評価が与えられるべきだと思う。泉健太と彼のGからは、このような挑戦はこれまで見られなかったし。今後も期待できないと私は信じて疑わない。

 都知事選からいえることは、東京の衆院選では島根1区や長崎3区のような戦い方では勝てないことであり、つまり東京ではあの15区補選の戦い方で良かったということだ。

 このあたりを正確に指摘しているのが、少し前に元毎日新聞編集委員の尾中香尚里氏が書いた下記記事だ。

 

jbpress.ismedia.jp

 

 この記事の2〜3ページ目から以下に引用する。

 

都知事選の敗北、共産党のせいではない

 

「○○を切れ」論は必ず、敗北した選挙についてその原因を「共産党の支援を受けたから」(いわゆる「立憲共産党」批判)に求め「共産党を切り、無党派層を取り込むため軸足を『中道』に寄せよ」とぶち上げる。これに共産党や左派系の識者が反応して、双方の批判がエスカレートしていく、という見飽きた展開をたどる。

 

 議論のほとんどが党外での場外乱闘だ。立憲が衆院選で公示前議席を減らした2021年衆院選の時も同様だったが、都知事選の敗北で再現された形だ。いずれも直後に党代表選を控えていることも無縁ではあるまい。

 

 ということで議論の発端となった都知事選を振り返ってみたいのだが、最初に強調したいのは「敗因は共産党のせいではない」ということだ。

 

 立憲、というよりそれ以前の旧民主党勢力は、国政選挙での政権交代を優先したこともあり、過去20年ほど都知事選を自前でまともに戦ってこなかった。だから、一定の組織力を誇る自民、公明両党に対して、現在の立憲は都知事選をまともに戦える地盤を持っていないのだ。

 

 さらに言えば現在の都政特有の状況として、連合東京が小池百合子知事と、小池氏が特別顧問を務める都民ファーストの会の支持に回っていることがある。そして立憲は2017年、小池氏が国政復帰を狙って画策した「希望の党騒動」によって旧民主党勢力が粉々にされたなかで、小池氏に反旗を翻し結党した政党だ。

 

 ただでさえ地力のない旧民主党勢力が、現在も小池氏側と立憲側に分かれているわけだ。小池氏が知事の座を去らない限り、この状況を修復するのは困難だろう。

 

 こんな事情もあり、立憲は都議会で、共産党をも下回る第5会派に甘んじている。

 

 都知事選は選挙区がべらぼうに広く、無党派層の比率も高い。「日本一の人気投票」とも揶揄される特殊な選挙だ。さらに東京における旧民主党勢力には、前述したようにほかの地域とは相当に異なる政治的事情がある。

 

 そんな選挙の結果に踊らされて、安直に全国の選挙で「○○を切れ」論争を繰り広げるのは、つくづく無意味である。

 

自民だって「超右派」から「公明」までまとめているのに

 

 立憲にとって参考にすべきなのは、都知事選の前に3戦全勝で世論の立憲への期待感を膨らませた、4月の衆院3補選の方だろう。

 

 島根1区、長崎3区では、連合の地域組織がしっかりと活動し、共産党もあまり表に出ない形で、独自に下支えをする形で勝利に結びつけた。一方、連合地方組織の一部が小池氏の推す対立候補の支援に回った東京15区では、都議会の議席数で立憲を上回る共産党が、他の2補選よりは前面に出て戦い、勝利につなげた。

 

 衆院選で立憲が目指すべきなのは、このような柔軟な戦いを全国に広げることではないのか。

 

 巨大な自民党という権力構造に対峙するには、あらゆる立場の人々からの応援が欠かせない。そのために立憲は「排除の論理」は取らず、どの勢力からの支援も拒まない「包摂の論理」を掲げる。

 

 あとは、地域事情に応じて支援の枠組みの仕方を十分に工夫して、自民党に勝てる可能性を最大化すべきだ。現に自民党は超右派の勢力から公明党までをまとめ上げ、支持率が下がってもしぶとく選挙に勝ってきた。

 

 こんなことは自明のことだと思うのだが、外野がいかにも「立憲のためだ」みたいな顔をして「○○を切れ!」と声高に叫ぶ理由が、筆者には全く分からない。

 

 そもそも「立憲がどこか他の勢力と組む」ことが前提になっている議論自体が、実はおかしいことなのだと思う。

 

URL: https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/82569

 

 引用文の最後の方、私も本当に「自明のことだ」と思うが、主に立民支持層右派やそのイデオローグと化した感のあるこたつぬこ(木下ちがや)氏にとっては全然自明ではないようだ。現に氏は下記のXをポストしていた。

 

 

 上記Xへの反例として、先の衆院東京15区補選が挙げられる。なお15区以外でも東京9区の山岸一生衆院議員が「野党と市民の共同候補」*1を標榜している。この9区の自民党支部長が21年衆院選自民党執行部によって柿沢未途と競り合わされて惨敗した極右の今村洋史だから、山岸議員はずいぶんと恵まれている(笑)。

 ところで、尾中氏の記事の核心は最後の4ページ目だと思う。以下に引用する。

 

立憲の「媚びる」姿勢が見透かされている

 

 立憲はまず、政権の選択肢となる野党第1党の責務として、衆院定数の過半数の候補者をそろえる。「単独でも政権交代を実現する」意気込みで、小選挙区は可能な限り自らの力で戦う覚悟を明確にする。

 

 その上で「自民党政権を倒して新たな社会像に基づく政権を樹立する」志をともにできる他の野党や各種団体のすべてに、可能な限り幅広く「立憲中心の政権樹立」に向けた協力を呼びかける。

 

 それぞれの小選挙区で立憲に与するか、競合してでも独自の候補を擁立するかは(もちろん選挙区ごとに事前の十分な話し合いはあるべきだろうが)最後はそれぞれの野党が自らの戦略に基づき判断する。

 

 野党各党は比例代表では存分に切磋琢磨して、野党陣営全体の得票増を図り、各党は比例選挙の結果によって存在感をアピールし、立憲にプレッシャーをかける。

 

 野党陣営にとって候補者一本化が死活的に大事であることを否定するつもりはない。しかし「比例代表が並立されている小選挙区制」の戦い方とは、本来こういうものではないだろうか。

 

 いつまでも「他党や支持組織にどうやって媚びるか」みたいな話が前面に出るから、無党派層は立憲に「政権の選択肢」としての信頼を十分に与えようとしないのではないか、と筆者は考えている。

 

 せっかくの代表選だ。立憲にはこの機会に、外野による「○○を切れ」的なくだらない煽りに、安易に乗らない耐性を身につけてほしい。

 

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/82569?page=4

 

 立民代表選で枝野幸男が勝てば、立民は上記尾中氏が書いたような路線を取るだろう。枝野は相手が共産党だろうが媚びたりはしないと思われるから、一部の「共産党信者」から悪評を買うこともあるだろう。しかしそれで良いと私は思う。

 泉健太は、今回の代表在任中の2022年に発した「維新八策に大部分強調できる」という維新へのお追従に代表されるように「媚びる姿勢」がやたらと目立った。だから任期の最初の2年では結果が出せず、自民と維新の自滅によってやっと「野党第一党効果」のボーナスを得た。それには野田Gの高野区議を初めとするあらたな挑戦も貢献したが、それは都知事選でいったん頓挫したため差し引きゼロになった。

 だが、今後の日本の政治に求められるのは大きな変化であり、泉健太はそれに適した政治家ではない。泉や岸田文雄のように理念より権力工作を得意とするタイプは、平時ではそれなりの力を発揮できるかもしれないが、残念ながら今の日本は平時とはとてもいえず、大きな変革が待ったなしだ。

 枝野幸男になら対応できるかといえば正直言ってそれもわからないが、少なくとも泉健太野田佳彦との比較であれば枝野に軍配を上げるしかないと弊ブログは考える。

 記事が非常に長くなったが、ようやく懸案だった尾中香尚里氏の記事の紹介ができた。

*1:4月の補選までの「共闘」が「共同」に代わった。