kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

枝野幸男の「猫もしゃくしも改革。乗ってしまった反省がある」とのコメントを「『改革を掲げない野党』って何の存在意義があるのかね?単なる再分配なら、安定感のある自民党公明党に任せりゃいい話」と超ネオリベ側から批判した「ななしさん」に呆れ返った

 「ななしさん」ってとんでもない新自由主義者なんだな。ちょっとびっくりした。

 発端は朝日の無料記事に載った枝野幸男の下記コメント。

 

www.asahi.com

 

立憲・枝野氏「猫もしゃくしも改革。乗ってしまった反省がある」

2024年8月13日 21時30分

 

立憲民主党枝野幸男前代表(発言録)

 

 国会に送って頂き、32年目になる。でも(私は)まだ若い。米国の民主党の大統領候補であるカマラ・ハリス氏は、私と同い年だ。世代交代を受けた側であることは、強調しておきたい。

 

 日本新党から初めて衆院選に立候補した時も、責任ある「変革」が党のスローガンだった。それから30年余り、猫もしゃくしも政治家は、「変革」「改革」と言う。ずっとやってきたのは、小さな政府と民営化と規制緩和。私も最初の10年間は、その主流派に乗ってしまっていた反省がある。

 

 (行政の)無駄にメスを入れるのと、ただ金をカットするのは別問題だ。高齢化は進み、介護の必要な人たちが増えているにもかかわらず、介護サービスを小さくしてきてしまった。

 

 無駄は削る。しかし、本当に社会のために必要な予算をしっかりと確保していこうではないか。(宇都宮市での街頭演説で)

 

朝日新聞デジタルより)

 

URL: https://www.asahi.com/articles/ASS8F42B7S8FUTFK018M.html

 

 枝野が「主流派」つまり新自由主義側に乗っかっていたのは、「最初の10年間」(1993〜2003年)よりもう少し長かったように思うが*1、それでも00年代後半には現在と同じような立場に転向していた。

 上記記事にリンクを張ったoricquen氏の下記ポストに、「ななしさん」が反応した。

 

 

 

 

 要するに「ななしさん」は今でも十分すぎるくらい新自由主義的な自公政権から、もっと超ネオリベ的な政権に代えろと言っているわけだ。そんな人が支えるのが泉健太や重徳和徳だ。しかもこの「ななしさん」はプロフィールを見ればわかる通りオザシンであり、氏が私淑する小沢一郎は12年前に「私の考えは橋下市長と同じだ」というのが口癖だったし、今も「泉では維新と話ができない」と言ってネオリベ側から泉を批判している論外の政治家だ。

 当然ながら「ななしさん」のポストは批判されている。

 

 

 

 

 

 ちなみに、こたつぬこ(木下ちがや)氏がよくリポストする「レバ子」氏は同じ枝野幸男のコメントに関して下記の興味深い連続ポストを発している。

 

 

 こたつぬこ氏が「カツレツを作る」とか言って勝利を確信していた2021年衆院選に、かくして立民と共産は敗れた。この時に志位和夫が総括を拒否した時点から共産党の迷走が始まったが、それはともかく。

 

 

 要は、連合側から見れば泉健太共産党だけ切って旧民主の結集をやれば良かったのに、連合が頼みもしない維新へのすり寄りに走って立民党内に緊張を走らせたと言っている。そして泉立民の維新へのすり寄りを支持した、というより強力に擁護したのがこたつぬこ氏だった。

 

 

 「立民と維新の協調など破談になれば良い」というのが連合の本音であって、泉はその意には沿わなかったが幸運にも維新の方から破談にしてくれたので泉が助けられた。それどころか今春の衆院3補選全勝で代表交代を言い出せるような空気ではなかった。それが都知事選で空気が一変したといったところだろうか。東京15区補選でも都知事選でも泉は何もしなかったのに、勝手に「空気」ばかりが変わっていった。不思議なものだ。

 前記3件のレバ子氏のポストのうちの2件目に下記のレスがあった。

 

 

 泉は「その場その場」ばかりで理念が何もない(ようにしか見えない)からダメなんだと思う。

 本当は今年の代表選あたりでは西村智奈美あたりが枝野に取って代わるような展開になってしかるべきだったが、西村氏は前回代表選でも4人中4位だった。前回衆院選での維新の躍進といい、現在の立民支持層でなお「ななしさん」のような人がでかい顔をしているらしいことといい、維新にすり寄った泉を「まだカイカクが足りない」とばかりに「物足りない」と評する重徳和彦といい、未だに維新に固執する小沢一郎といい、ネオリベの惰性力は今なお馬鹿にならないくらい強い。

 ここはやはり、いったん立民代表を枝野幸男に戻すしかないだろう。

*1:なぜなら2005年の郵政総選挙において枝野が小泉純一郎を「新自由主義批判」の観点から批判していた印象が全くない。郵政総選挙からほどなくして急に強まった新自由主義批判の流れ、それは 2006〜09年にかけて盛んだったが、それに乗っかってネオリベ批判側に転向したイメージがある。