kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

現実を変えられない政党や政治家は無価値だ

なんだかんだ言って私が政治に関心を持つより、ジャーナリズム、というより新聞に興味を持つようになった方が早かった。日本が憲法で戦争を放棄した国だと知ったのは、小学校3年生くらいの頃だったと思うが、父親が『重要紙面に見る朝日新聞の九十年』(朝日新聞社、1969年)という、大事件の起きた日の朝日新聞記事の縮刷版を集めた大判の本を持っていて、それによって朝日新聞が戦争中いかにひどい報道で戦争に協力したかを知った。このことと、1972年の「西山事件」によって(この事件が起きた頃に家でとっていたのは毎日新聞だった)政治に興味を持つようになった。私が左翼の言うところの「商業新聞」の記者の視点に共感を持つのは、上記の経緯と関係があるかもしれない。私は、思想を通じて政治に関心を持つようになったのではなく、新聞を通じて政治に関心を持つようになった人間なのである。

昨日も紹介した『人物戦後政治 私の出会った政治家たち』を書いた石川真澄は、マルクス・レーニン主義者に対して強い批判を持っていたが、いうまでもなくそれ以上に強く自民党の政治家を批判していた。ただ、批判記事を書きながら保守本流真正保守じゃないよ)には甘かった。

石川氏は共産党にはほとんど共感を示していない。前掲書から再び引用する。

 共産党は別の意味で余り接触のない党であった。というより、接触できない党であった。「商業新聞」には文字通り堅く門戸を閉ざしていたのである。東京・代々木の党本部へ入ろうにも入り口でチェックされ、事前の約束がなければ誰とも会えなかった。記者会見、発表などは選挙のときの公認候補発表くらいなもので、その時ばかりは本部の中に入れてもらえた。新聞などというものは、党の都合のいいときだけ利用するものであって、ふだんは敵であるといわんばかりであった。

石川真澄『人物戦後政治 私の出会った政治家たち』177-178頁)

石川氏は、そんな共産党不破哲三上田耕一郎の兄弟が中央委員に選ばれた1964年頃から少しずつ門戸を開いていったとしているが、それでもずっと共産党は苦手だったようだ。

社会党成田知巳元委員長についても、石川氏は下記のように書いている。

 成田氏とはこの前後(注:1964年の社会党ソ連・東欧訪問)から、社会党委員長を辞める七七年ごろまで十数年に及ぶ期間、よく会い、よく話し、さし向かいで飲みもしたが、どうも印象に残るような会話は記憶に残っていない。常に「科学的社会主義者」として、商業新聞の記者などには心を許さないのだろうかと、ある時そのままの疑問を氏自身にぶつけてみたことがある。答えはほぼ肯定だった。「以前、昵懇だった記者に、酔って党の人事について話したところ、その記者もかなり酔っていたのに、這うように電話の所に行き、原稿を送った。以来、記者には気を許していない」

石川真澄『人物戦後政治 私の出会った政治家たち』155頁)

これについては、人事を新聞記者にうっかりしゃべってしまうとはとんでもない失態であって、政治家が新聞記者に気を許さないのは何も「科学的社会主義者」に限らないだろうと思うのだが、開かれていない左翼政治家の体質を快く思わない石川記者の心情もわからなくはない。

ところで、左翼政党に対する評価だが、私は政治は結果がすべてであって、いくら正しいことを言っても、それを現実に反映できない政党や政治家は無価値だと思う。自分たちだけが正しいことを主張し、それが潰された時に、彼らは「かわいそうな私たち」などと自己憐憫(れんぴん)の情にかられるのだろうか。そんなものは偽善に過ぎない。実際には共産党の政治家や活動家たちは現実の改善に寄与していると思うが、共産党支持者の中には、現実の改善に何の貢献もしていないのに自分だけが偉いと思っている人間がかなりいるのではないか。彼らの主張は、現実の「経世済民」に何も寄与していないではないか。多数派を形成する努力を最初からしないでどうする。そう私は言いたい。

かつての社会党はそれでも、自民党に「社会党カード」をアメリカとの外交に使わせる程度には機能していたから、万年野党といっても全否定はしない。しかし、それよりも政権をとって現実を変えていく方がずっと有効だし、私は中学3年から高校生にかけての時分から、科学的社会主義を唱える社会党左派や共産党には共感せず、社会主義協会と抗争を展開した江田三郎を応援していた人間だった。そういえば、当時左翼にかぶれまくっていた本多勝一でさえ、社会主義国の欠点として、報道の自由がないことを挙げていた。「西山事件」で報道や政治に対する関心を強めた私にとって、党の体質が開かれているかどうかは非常に重要なのであって、だからどうしても自民党同様、当時の社会党左派や共産党を支持する気にならなかったのである。80年代前半には私は社民連の支持者だった。

現在は、70年代当時とは全然違うだろうし、むしろ現在の脅威は、少数派を排除する「翼賛体制」が形成されることではないかと私は考えている。だから、一部の民主党シンパによる共産党バッシングを批判したのだが、これもやはり新聞を含めて皆が翼賛体制礼賛に走った戦前の失敗を繰り返してはならないという思いからきており、私自身としては主張は首尾一貫しているつもりである。


人物戦後政治 私の出会った政治家たち (岩波現代文庫)

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