kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

小川淳也の長所と短所 〜 総理大臣どころか衆院選での当選も微妙

 ついでだから以前有権者だった香川1区の小川淳也についても書いておこう。

 

 

 私は香川1区の有権者だったから、小川が民主党凌雲会所属でありながら、思想信条はボスの前原誠司とは相当違っていてハト派志向だったことは知っている。但しあくまでも保守政治家であり、いわゆるリベラルではないが。そもそも凌雲会の初期メンバーは仙谷由人(元社会党)、前原誠司枝野幸男であり、この3人の中でも前原誠司が突出した右翼新自由主義者だっただけの話だ。つまり前原の方が「変わった」人だった。そも前原も経済思想ではネオリベで安全保障政策ではタカ派だが、その他の点では「リベラル」なところもある。当時の民主党内でより右寄りのカラーが鮮明だったのは野田佳彦花斉会の方だろう。

 だから、私は小川淳也を主人公とする映画は見ていないけれども、2017年の希望の党騒動で思い悩み、見るからに立憲民主党に行きたがっている様子をニュースで見た時、彼はボスの前原誠司や同郷の玉木雄一郎らのしがらみで希望の党には行くのだろうけれど、いずれ立民に移ることは目に見えている、それなら最初から勇気を持って立民に行けば良いのにと思った。その後の彼の所属の変遷はあまりにも予想通りだった。要するに小川淳也もまた優柔不断な人なのだ。これは政治家としてはマイナスの資質だといえる。私は前々から枝野幸男にも優柔不断さを感じていたが(少し前にも書いた通り、枝野が旧立民の結党を決断するのも、理想的なタイミングよりも1日遅れた)、枝野の場合はまだリーダーには不適格というところまではいかない。しかし、小川の場合は明らかにリーダーに不適格だ。なぜ総理大臣になれないのかって、一番ダメなところは決断力に欠けるところだ。

 もちろん小川には長所もあって、一番高く評価して良いのは、2016年の参院選で香川選挙区を共産党に譲ったことだ。これは「野党共闘」を進めるならどこかの選挙区でやらなければならなかったことだが、一番最初に香川県で実現したことに私は驚いた。なぜならかつての社会党委員長・成田知巳高松市の出身であり、民主党のルーツの一つには社会党もあり、香川県は1974年から86年まで革新自治体であって社会党系がかなり強かったからだ。四国で共産党が強いといえばなんといっても高知県であり、同県では民主党系はいたって弱い。全国でも有数のめちゃくちゃな弱さだ。だから本来、野党共闘共産党候補にするのには一番適していたのだが、徳島県高知県が合区になってしまったために、かつて故仙谷由人がいて民主系が強かった徳島が譲らなかったのだ。この時は小川淳也も決断力を発揮したといえる。この時の小川の尽力は、どんなに高く評価しても過大評価になることはない。

 なお、2019年の参院選では徳島・高知選挙区が共産党候補が野党共闘候補になり、香川は民主系候補になった。これには、2016年に候補を立てた香川の共産党から強い不満が出たようだが、大局的に見れば当然の選択であり、前述の通り四国では高知県こそ共産党の地盤だ。2019年には徳島の民主系が我慢することになったが、どこかが降りなければ「野党共闘」は成立しない。私は2016年に香川県から共産党公認の野党統一候補が出たと知った時から、ああ、これは次の参院選では徳島・高知合区から共産党候補を出す話がついてるんだろうなと推測していた。というのは、四国で一番強い香川の旧社会党系を含む民主・民進系が、何の見返りもなしに共産党に選挙区を差し出すはずがないからである。そのあたりを含めて小川淳也が骨を折ったことは想像に難くない。軽率さとこういう大胆さを合わせ持っているのが、小川淳也という政治家の不思議な特徴だ。というより、軽率さと大胆さとは表裏一体なのだろう。

 以上書いたように小川淳也が「野党共闘」に汗をかいたからこそ、2017年の衆院選では希望の党所属でありながら共産党対立候補を立てなかった。これは香川の共産党の信義の厚さを感じさせるもので、私は大いに好感を持った。あの選挙では旧立民がブームだったから、小川が希望の党ではなく立民から立候補していたら、間違いなく小川は選挙区で平井卓也を破って当選していただろう。だが、「野党共闘」に汗をかいた政治家が維新にターゲットにされるのも、今の日本の政治に働く力学からすれば当然の動きだ。それに動揺してしまった小川が陰で圧力をかけるのではなく目立った動きで維新に泣きつき、普段はむしろ「寝た子を起こさない」編集方針で、紙面を見る限り共同通信の配信が多くてさして右寄りとも思われない四国新聞*1に狙われたのは迂闊というより、はっきり言って愚かだろう。地元のニュースだから、四国新聞にとっては「飛んで火に入る夏の虫」もいいところであって、小川のイメージを毀損することは平井卓也に大きなメリットになるから、四国新聞が書き立てたのは当然だ。そんな当たり前の計算もできないくらい冷静さを失うようでは、やはり総理大臣の器とは全くいえない。おそらく、維新の候補予定者が、同郷かつ高松高校(略称・高高=たかこう)の先輩で仲の良い玉木雄一郎の元秘書だったために動揺したのだろうが、そこで冷静さを取り戻して対策を講じる冷静さがリーダーには求められる。

 小川淳也は総理大臣どころか、比例復活を込みにした衆院選の当選すら盤石とは決していえない。玉木雄一郎が国民民主党所属というか党代表で、四国ブロックの比例票もかなり国民民主党に流れるだろうから、前回の旧立民のように風を受けていない立民が比例で1議席を確保できるかはかなり疑問なのだ。今までは玉木と同じ政党にいて、四国の民主・民進党候補としてはずっと玉木の次に強く、玉木は選挙区で楽々当選できるから、小川はそのおこぼれにあずかっていた。そうそう、2017年には玉木と同じ政党にいた方が比例復活の可能性が高いと計算して小川が希望の党を選んだ側面があったに違いない。四国比例ブロックは6議席しかなく、四国は大阪から近く、文化的にも関西の影響はそれなりに受けている*2ために、維新にもそれなりの勢力がある。非自民の比例票は立民、民民、維新の取り合いになるから、立民が間違いなく1議席を確保できるとは言い切れない。だから今回墓穴を掘ったことで小川は総理大臣どころか衆院選での当選も危うくなった。

 生方幸夫の件もあるし、何より山本太郎小沢一郎を主役とした密室政治を許してしまった東京8区のダメージは立民にとっては相当に大きかったはずだ。こんな記事を書いた私自身、立民や民進の候補に投票したことはあるが、それは音喜多駿(当選を許してしまった)や田中康夫(首尾良く落選に追い込めた)といった維新の候補を落選させるための「戦略的投票」に過ぎず、比例で立民に投票したことは一度もない。同党は旧党時代も現在も、明らかに過渡的な性格を持つ政党なので、思い入れはどうしても起きないのである。このように、もともと同党にかなり消極的な私は、今回の東京8区や同15区の動きは、立民からいよいよ心を離反させるものだった。衆院選での政権交代の可能性は相当低くなったと言わざるを得ない。三春充希氏の言う通り、政権交代の可能性は1%もなく、いわゆる「立憲野党」が3分の1の議席を確保できるかどうかの争いというのが実情だろうと思う。これには、立民の自滅というファクターがかなり大きい。枝野幸男の限界が明らかになってきたと思うが、後継候補は誰もいない。

*1:この新聞の最大の特徴は社説がないことだ。北國新聞のような極右紙を除いて、社説ではある程度自民党政府を批判するものだが、四国新聞は政治色を出すことを避けていると思われる。下手にかつての革新自治体の伝統を刺激すると平井卓也にダメージを与えるからである。

*2:ただ不幸中の幸いは、徳島県を除いて大阪の民放は視聴できないからその毒牙にはかかっていない。