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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

1813年生まれの大作曲家ワーグナーの孫、ヴォルフガンク氏が死去

http://www.asahi.com/obituaries/update/0322/TKY201003220223.html より。

作曲家ワーグナーの孫、ウォルフガングさん死去

2010年3月22日20時14分


 ウォルフガング・ワーグナーさん(ドイツ作曲家リヒャルト・ワーグナーの孫)DPA通信によると、21日、独南部バイロイトの自宅で死去、90歳。

 独を代表する偉大な作曲家ワーグナーの楽劇だけを演目とする「バイロイト音楽祭」を、兄のウィーラントさんとともに1951年に復活させた。兄の死後は、ワーグナー家が優先される総監督に長期にわたり君臨した。

 健康問題を抱えた総監督の後継者問題は骨肉の争いとなっていたが、07年に支えとなっていた妻グドルンさんを亡くし、08年に引退。音楽祭はウォルフガングさんの2人の娘が共同運営という形で引き継いだ。

 ウォルフガングさんが演出を手がけた「ローエングリン」は東京でも公演された。(ベルリン=金井和之)


今月4日の日記*1にも書いたが、ワーグナーの音楽と政治について論じた、下記の本を読んだのは今月初めだった。


バレンボイム/サイード 音楽と社会

バレンボイム/サイード 音楽と社会


大作曲家リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)は反ユダヤ主義者だった。イスラエル国籍のユダヤ人ピアニスト兼指揮者であるダニエル・バレンボイムは、ワーグナーの思想を酷評しながら、その音楽は高く評価しており、戦後イスラエルワーグナーを指揮した初の指揮者となった。そのバレンボイムは、しばしばヴォルフガンク・ワーグナー氏が総監督を務めていたバイロイト音楽祭ワーグナーの楽劇(歌劇)を指揮している。

もちろんリヒャルト・ワーグナーの存命中にはナチなどなかったわけだが、戦時中にワーグナーの息子・ジークフリートの妻、ヴィニフレートはヒトラーに急接近し、Wikipediaを見ると、ヴィニフレートとヒトラーは「結婚するのではないかというデマが流れるほど親しい関係」を築いたとか、晩年の1975年に受けたインタビューで、「ヒトラーへの変わらぬ尊敬も告白した」などと書かれている。このヴィニフレートが、亡くなったヴォルフガンク氏の母親である。

しかし、とんでもないナチス協力一家だったかというとそうではない。ヴィニフレートの長女でヴォルフガンク氏の姉・フリーデリンデ(1918-1991)は母ヴィニフレートのナチスへの協力を嫌って、アメリカへ亡命した。そして、兄・ヴィーラント(1917-1966)とともに戦後バイロイト音楽祭を立て直したヴォルフガンク氏は、政治的な文脈で語られることはほとんどないように思われる。

それにしても、1813年生まれの大作曲家の孫が、2010年まで存命だったことも驚きだ。ヴォルフガンク氏は1919年生まれ、父のジークフリートは1869年生まれだった。つまり、ジークフリートリヒャルト・ワーグナー56歳の時の子で、ヴォルフガンク氏はジークフリート50歳の時の子だったのである。

朝日新聞の訃報記事には、「健康問題を抱えた総監督の後継者問題は骨肉の争いとなっていた」と書かれているが、この件については全然知らない。