kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

勝間和代に「反省の色」なし

東電原発事故がいっこうに収束の気配を見せない間に、原発推進派の勢いはどんどん落ちている。当初、森永卓郎が「小沢一郎原発のスイッチを入れよ」などと妄言を吐いたりしていたが、今では御用学者・小佐古敏荘までもが「原子力村」を裏切るありさまだ。今回の件での小佐古の主張自体には理があるにせよ、これまで小佐古という人間が何をやってきたかということは、毎回必ず併せて論じられなければならない。政局がらみの意図があればなおさらだ。

もっとも小佐古は「寝返った」だけまだましかもしれない。「原子力村」の住人ではないが、そのお先棒を担いで中部電力原発を宣伝してきた勝間和代は、『AERA』5月15日増刊号「原発と日本人」で、下記のような呆れたことを言っている。以下引用する。

 原発政策で最も間違っていたのは、専門家が示す科学的データで一般の人の感情もねじ伏せようとしたことです。専門家が大丈夫だという放射線量のレベルと、一般の人が健康面で心配するレベルには大きなギャップがある。私自身も事故前には気づいていませんでした。大変反省しています。一般の人の心配を解消することも含めて、リスクに対する丁寧なコミュニケーションが必要だったのに、東電や国はそれを怠り、「原発安全神話」を国民に押しつけてきた。事故後はそのツケが現れていると思います。(後略)


なんと、勝間は今になっても全然「気づいて」もいなければ「反省」もしていない上、自らが原発推進勢力の走狗として「原発安全神話」を国民に押しつけてきた責任を棚に上げて、「東電や国」を批判する始末だ。

勝間は、これに続く文章で、「電力の自由化」だの、「電力供給の地域独占体制をやめる」だの、「送電線を開放する」だの、「小規模で分散型の電力供給を可能にするべき」だの、それだけを切り取れば正論を書いているが、これらはいずれも勝間の反対側の陣営が言い続けていたことだ。要するに「バスに乗り遅れるな」とばかり「転向」しようとしているに過ぎない。

しかも、「原発を廃止と存続の二元論で語ることより、国民の意思を反映するシステム、インフラの整備に向けた法改正こそ急務」だとか、「原発を即座に全廃するのは現実的ではありません」などと言い出し、最後には「早急に安全策を整備して、今ある原発を稼動していくしかないと思います」という文章で結んでいる。

これでは、同じ特集号に出ている中曽根康弘の結びの言葉「安全の再点検を十分にし尽くして再起・継続を図るべきです」と大差ない。勝間は、これまでお世話になった原発推進勢力にも配慮を見せながらもバスに乗り遅れるまいと必死なのだ。原発推進派と反対派を両天秤にかけた、電波芸者ならではの処世術だと思った。

呆れるほかはない。