kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

担ぐ神輿は軽くてパーがいい

あまりに海江田万里がむかつくから、「軽くてパー 海江田」でググってみた。その結果見つけたブログ記事。

ニコブログ 小沢氏は海江田氏支持 野田、鹿野、馬淵氏も出馬表明

小沢氏が海江田氏を支持したと聞いて、まず「御輿は軽くてパーがいい」という言葉を思い浮かべました。言葉通りの人選です。経産相としては経産省の言いなりでした。5候補の中でも1番積極的な原発推進派ですね。それにしても、前回は樽床氏、今回は海江田氏と小沢氏が推す人物がどうしようもないですね。それもこれも小沢グループが自前で候補を用意できないからですが、小選挙区を導入した弊害で人材が育っていないことは小沢氏の自業自得です。

最有力候補と見られていた前原氏は、小沢氏の党員資格停止処分を見直す気がないようでしたし、小沢氏との人事の交渉でも折り合いがつかなかったようです。これで前原氏と海江田氏の一騎打ちになるのでしょうか。野田氏は前原氏と支持グループが重なりますし、鹿野氏はどこまで支持を集めるか未知数です。馬淵氏は少ないでしょうね。小沢グループの支持が固まり、海江田氏が首相になれば、原発推進、TPP参加ですね。前原氏でも大差はありません。前原首相誕生か海江田首相誕生の可能性が高いとは、日本の政治もいよいよ末期だなと実感します。


ところでつい最近知ったのだが、「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」という言葉は、一般に海部俊樹を指して小沢一郎が口にしたと伝えられているが、実はそうではなく、1982年に中曽根康弘が総理大臣になった時に小沢一郎が口にした言葉だったという。これを暴露したのは田原総一朗だった。といっても田原が暴露したのは大昔の話。海部俊樹小沢一郎に「本当にそんなことを言ったのか」と直接確かめたという。

とはいえ、1982年といえば当時中曽根康弘は64歳で小沢一郎は40歳。この時には田中角栄が「操縦し易さ」を基準に中曽根を選択したのであって、小沢など言ってみれば「虎の威を借る狐」程度のチンピラに過ぎなかったのだが、口にする言葉だけはふてぶてしい限りだ。しかし、中曽根康弘は「パー」どころではなかった。若い時には日本で初めて原子力の予算をつけ、1974年には田中角栄政権下で通産相として「電源三法」を作った。総理大臣に就任すると、「日本における新自由主義政治」の開祖となり、経済のバブルを発生させて今日の日本の没落の原因を作った。とんでもない「モンスター」だったのである。田中角栄は、中曽根康弘を操縦するどころか、部下の竹下登金丸信小沢一郎らに裏切られ、狂ったように酒を飲み続けたあげく、脳出血で倒れて政治生命を失った。その後、重石がとれた中曽根康弘はやりたい放題。1986年には衆参同日選挙に圧勝し、自民党政治のピーク(政治の中身ではなく議席数だけの話なので誤解なきよう)を極めた。

小沢一郎が選んだ海部俊樹鳩山由紀夫、それに海江田万里はいずれも田中角栄が間違って選んだ中曽根康弘のような「モンスター」ではなく、正真正銘の「軽くてパー」な神輿に過ぎないから、その点中曽根のような巨大な悪行をなす危険性はないが、小沢一郎自身が「モンスター」であるとはいえると思う。この男は、ついに民主党を滅ぼすんだな。私はそう確信する次第である。