kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

西岡武夫は1993年、自民党公認で当選しながら支持者を裏切った

西岡武夫の死去に関する論評がいくつかのブログに出ている。だが、それらの記事であまり指摘されていないことがあるように思う。


たとえば、西岡武夫氏の訃報に接して~まっすぐで一途な政治家&最期まで小沢氏と同志 : 日本がアブナイ! には、下記のように書かれている。

 たまたま検索をしていたら、コチラの写真が見つかった。
 90年、海部首相と党の政務3役(小沢一郎幹事長、西岡武夫総務会長、加藤六月国対委員長)の4人が、とてもにこやかに談笑している姿が写っているものだ。

 いまやいまや政界の超ベテラン組になっている彼らだが。(加藤六月氏は06年に他界。)
 この写真は、もう20年以上前のもの。この頃は、海部氏が59歳、西岡氏が54歳、小沢氏が48歳と、自民党の幹部としては比較的若い人たちが結集して、党内改革を進めようとしていた感じがあったのだが。
 当時は、今よりももっと長老派の権限や派閥間の権力争いが大変な時期だっただけに、思うようには行かず。

 でも、この4人は派閥が異なるものの、この時にかなり意気投合したようで。結局、4人とも93年に自民党を離党。
 その後、新進党を結成に加わり、4人とも自由党分裂まで共に政治活動を行なっていた。


だが、上記の4人が自民党を離党した時期はそれぞれ異なっている。

小沢一郎は1993年6月に自民党を離党。野党が提出した不信任案に賛成して解散総選挙となったが、小沢は新生党を結成して選挙を戦った。

これに対し、残る3人は1993年の選挙を自民党公認で戦ったのである。加藤六月衆院選直後に自民党を離党し、翌94年4月に新生党入りした。

西岡武夫は加藤より遅れて93年12月に離党し、94年6月に新進党に合流した。

海部俊樹は、その94年6月の首班指名小沢一郎の誘いに乗って自民党を離党し、新進党入りした。


私は常日頃小沢一郎を批判している人間だが、上記4人のうち唯一筋の通った行動をしたのは小沢一郎だと言わざるを得ない。他の3人は、「自民党公認」で当選した。つまり、有権者はそれぞれ「自民党の加藤」、「自民党の西岡」、「自民党の海部」だと思って投票したのに、政治家が彼ら支持者を裏切ったわけだ。私はもちろん自民党の支持者ではないけれども、こういう「裏切り行為」は厳しく批判されるべきだと考える。

もちろん彼らに誘いをかけた小沢一郎の罪も重いが、小沢は96年の総選挙後に自民党の「一本釣り」を食らって意趣返しされた。


このように、平然と支持者を裏切る行動をとった西岡武夫を「気骨のある政治家」と評することは、私にはできない。

それに、談笑している姿が映っている加藤六月は、そもそもロッキード事件の「灰色高官」ではないか。そんな男と意気投合するような西岡武夫を私は嫌っていたのだった。


同記事にTBされている http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20111105 を見ると、

今日外回りで渋谷ハチ公前を歩いていたら、西岡武夫参院議長の死去を伝える読売新聞の号外が配られてました。

とのことだが、「原発再稼働」と「菅降ろし」を訴える西岡の主張を読売は一面に大きく掲載したことがあるから、読売にとっては「大政治家」だったのだろう。それは読売の都合だから勝手に号外でも出していれば良い。号外を出したからって費用がかかるばかりで、西岡武夫の支持者が感激して新たに読売を購読することもあるまい。


なお、今回の西岡武夫死去に当たっても、一昨年の中川昭一死去の時と同様、「故人のご冥福をお祈りする」という決まり文句を私は書かなかった。追悼する気もないのに、わざわざ形式的にそんな文章を添える気は起きなかったからだ。