kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「敵の嫌がることをやる」橋下徹侮り難し。小沢一郎は顔色無し

橋下徹は動きが早い。矢継ぎ早に手を打つ。今や世間は「橋下ブーム」一色と言っても過言ではない。

特に敵ながら感心するのは、戦いを進める上で最大の障害になる「無能な味方」を切り捨てる一方、敵陣営に行きかねない有能な人材を籠絡して自らの陣営に確保するやり方だ。

前者の典型的な例が名古屋市長・河村たかし率いる「減税日本」の切り捨てである。読売新聞記事より。


http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120201-OYT1T00116.htm

橋下市長、減税日本との連携に難色「政策違う」


 地域政党大阪維新の会代表を務める橋下徹大阪市長は31日夜、市役所で記者団に対し、河村たかし名古屋市長の率いる「減税日本」との連携について、「僕らは減税を打ち出さない。河村さんが減税をどんどん打ち出すなら、政策が違う」と慎重な姿勢を示した。

 橋下市長は現在策定している国政向けの政策の中で、減税を主張しないと明言。そのうえで、「河村さんが減税の旗を降ろすのか、何か調整がなければ、一緒にはなれない」と説明した。

 橋下市長は河村市長が新年度から実施する市民税5%減税について、「大阪では効果が乏しい。それよりも、低所得者の子どもたちの教育支援を手厚くする方が効果がある」などと述べた。ただ、消費増税をめぐっては、「行革だったり、公務員改革だったり、前提条件をつけて、それをやるまでは反対ということなら組める」と含みを残した。

(2012年2月1日07時33分 読売新聞)


橋下からつれなくされた河村たかしの反応は哀れをきわめる。以下、同じく読売新聞の記事より。


http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120201-OYT1T01046.htm

せめて増税反対で…河村市長なお維新と連携意欲


 地域政党大阪維新の会」代表を務める大阪市橋下徹市長が、「減税の旗を降ろさない限り、連携は難しい」と発言したことに対し、「減税日本」を率いる名古屋市河村たかし市長は1日、愛知県庁での記者会見で、「少なくとも『増税反対』とは言ってもらいたい」と、維新の会との連携に改めて意欲を見せた。

 橋下市長は先月31日夜、大阪市役所内で記者団に対し、「僕らは減税を打ち出さない。河村さんが減税をどんどん打ち出すなら、政策が違う」と発言。減税を第一の公約に掲げる減税日本との今後の連携に慎重な姿勢を表明した。

 河村市長は1日、愛知県の大村秀章知事とともに、名古屋市博物館で県と市が共同で行う文化事業に関する発表記者会見に臨んだ。

 この会見で河村市長は減税について、「党名にもしている。国民にも期待する声はあり、経済政策を考える中で根底的なものだ」と改めてその意義を強調。橋下市長に対しては、「僕のところの特色は減税だが、そうでない方とも仲良くやっていかないと、人生を渡っていけない。増税型政治ではない、と言ってほしい」と、党の最大公約の取り扱いを棚上げにする形での連携に期待を寄せた。

 また、東京と愛知、大阪の3大都市圏での連携を模索している大村知事は、「河村市長との盟友関係はこれからも変わらない。大都市の自立を目指し、連合軍でやっていける」と強調した。

 会見中、隣の河村市長に何度も目をやり、話題を振るなどしたが、市長は終始、浮かない表情。目を合わす機会はほとんどなく、共同会見終了時の“お決まり”の握手も、この日はせずに立ち去った。

(2012年2月1日20時41分 読売新聞)


この件に関する的確な論評は下記。


河村市長を敬遠する橋下市長は手強い : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)

河村市長を敬遠する橋下市長は手強い

橋下徹大阪市長

河村たかし名古屋市長の減税日本との連携に難色を示したそうです。

橋下市長は、河村市長の住民税減税に反対。

むしろ、それくらいなら、低所得者の子どもの教育に回した方がいい、とおっしゃいます。

たしかに、そのとおり。

河村市長のそれは低所得者には恩恵はあまりない。お金持ちに手厚い。

橋下市長のほうが、庶民にとっては良さげに見えます。

現下の情勢は、自民党民主党も失望されている。

その中で誰が票を集めてもおかしくない。

そして、その中で、橋下市長が相対的にまともに見えてしまう。

脱原発も反貧困運動が取り組んできた子どもの貧困も橋下市長支持に回収されてしまう。

これは、結局、民主党がしょせん、公務員や電力会社員ら労組の利益代弁者であること。
そして、橋下市長以外に、大きなアンチ自民、アンチ民主勢力が育っていないことにあるでしょう。

橋下市長を批判するのは簡単だが、維新の会以外に非自民、非民主の旗とビジョンを示して行くことが大事なのです。


みどり広島(仮称) 2012年第2回会議 
2月19日(日) 16時半から18時半 市民交流プラザ会議室A
みどり広島(仮称) 第二回会議
これまでに賛同者をさらに集めましょう!
連絡先 事務局長 さとう 090-3171-4437 
参加費:無料


脱原発も反貧困運動が取り組んできた子どもの貧困も橋下市長支持に回収されてしまう」とのことだが、昨日来リベラル系のネット住民を騒然とさせているのが、橋下徹を絶賛する飯田哲也Twitterだった。


http://twitter.com/#!/iidatetsunari/status/164176146769002496

橋下徹大阪市長(@t_ishin)を囲む企画の朝生(1/27)をiphoneへの録画で見る。批判サイドが抽象論・形式論・重箱のスミ論に留まっていたのに対し、政策の実質・実現などリアルを問い続ける橋下市長の独壇場。問題意識とアプローチが飯田も全く同じで共感 #asamadetv
1月31日 Twitter for iPadから


さすがにこれは全くいただけない。


http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20120201 でもこの件が取り上げられており、私が予言したところの「『脱原発』の『ハシズム』への回収」が現実のものになろうとしていると評していただいたが、「あらゆる運動が『ハシズム』に回収されていく」と指摘したのは、確か『きまぐれな日々』にお寄せいただいた杉山真大さんのコメントだった。私は杉山さんの表現をブログ記事で借用したものだ。


ところで、この飯田哲也Twitterを有名ブログ『世に倦む日日』の管理人氏が批判している。


http://twitter.com/#!/yoniumuhibi/status/164562855318929408

飯田哲也橋下徹礼讃は凄まじいな。「問題意識とアプローチが飯田も全く同じで共感」なのだそうだ。http://bit.ly/zmVB2B こういう人間の「脱原発」は信用できないな。ま、いずれ、橋下徹渡辺喜美も、再稼働と原発推進へ舵を切るのは確実だが。#genpatsu


飯田氏のTwitterは厳しく批判されて当然だが、この『世に倦む日日』の管理人氏の見通しは甘いと思う。「『脱原発』は左派のもの」という根拠のない思い込みがある。考えてみればすぐにわかることだが、国策で推進しなければ何の経済的メリットもない原発から脱却しようという考え方は、新自由主義と非常に相性が良い。だから、自民党内の新自由主義派である河野太郎や、元経産官僚で「みんなの党」やほかならぬ橋下徹のブレーンである古賀茂明は強力な「脱原発」論者だ。そして、飯田哲也は以前から河野太郎や古賀茂明と懇意である*1

私は、橋下徹は本気で「脱原発」をやると思う。なぜなら、現在の日本において、「脱原発」ほど国民に熱烈に支持される政策はないからだ。そして、橋下が「脱原発」をやった時、それまで「あいつの正体は右翼で新自由主義者だから、『脱原発』なんてできっこない、いずれ馬脚を現すよ」と高をくくっていた左翼は、打つ手がなくなってしまう。


さて、以上見てきた橋下徹と正反対に、このところ「敵が喜ぶこと」ばかりやってきた政治家がいる。いうまでもなく小沢一郎である。小沢は、2007年の参院選や2009年の総選挙で「国民の生活が第一」というスローガンを掲げて圧勝したにもかかわらず、誰が考えたってそのスローガンと真っ向から対立する「経済極右」の河村たかし(「減税日本」)を支援した。「減税」と言い出せば「愚民」は喜ぶに違いないと浅はかに考えたからだろう。

一方で小沢は、東電原発事故を受けてそれまでの「積極的原発推進」から一転して「脱原発」に政策を転換しようとした菅内閣に対する自公の不信任案提出を煽って、不信任案自体は否決されたものの3か月後の退陣へと追い込んだ。そして、民主党代表選では「原発推進派」の「野ダメ」(野田佳彦)に対する対抗馬として、同じく原発推進派の海江田万里を支援した。小沢も民主党も、「脱原発」を求める国民世論を自分から敵に回したようなものだった。

そんな小沢一郎が、大阪のダブル選挙で橋下徹(「大阪維新の会」)が圧勝すると「私の考えは橋下市長と同じ」と言って橋下にすり寄った。

だが、その橋下は今、筋の悪い「減税日本」を切り捨てようとしている。「経済極右」である「減税日本」と比較すると、橋下の方がマシに見えてしまうのは仕方ない。問題は、こんなトンデモ市長を輩出(排出)した民主党という政党、中でも小沢グループにあるが、小沢もひどいけれども小沢を批判できなかった「親小沢」の政治家たちや小沢支持者(「小沢信者」を含む)もいただけない。原発の件にしてもそうで、「小沢信者」たちは「今の菅を支持するのは本物じゃない」と言って飯田哲也を批判したけれども、原発推進論者の海江田万里を推した小沢一郎を批判することはできなかった。そういった一切合財のつけが今の「橋下ブーム」である。たとえば飯田哲也にしても、脱原発自然エネルギー推進を打ち出す政治家なら誰とでも協力したに違いないから、小沢が菅内閣不信任案を煽ったり代表選で海江田万里を支援したりしなければ、小沢にも付け入る隙は十分あったはずだ。だが、小沢は自らそのチャンスの芽を摘んだ。

橋下が河村たかしを切り捨てようとしている現状を見て、確信できることが一つある。それは、橋下徹は必ずや小沢一郎を切り捨てるだろうということだ。そりゃそうだ。国民の嫌われ者・小沢一郎と組んだりしたら、橋下の絶大な人気がかげってしまう。だから最初から小沢一郎と手を組むはずなどないのだ。

橋下にすり寄った小沢一郎にはそのくらいのことも計算できなかったのだろうか。もはや「自分が見えていない」としか言いようがない。

小沢一郎に夢を託してきた人たちも、もういい加減、橋下徹にもなびかず小沢一郎をも捨て去って、自ら立ち上がるべき時なのではないか。

*1:私が金子勝飯田哲也の論考に接して影響を受けるようになったのは2008年だが、その頃、金子勝とアンドリュー・デウィットの共著『環境エネルギー革命』を読んで、必要な「規制緩和」というものもあるのだと考えるようになった。社民主義をとる北欧諸国も、電力政策についてはその道筋をたどってきた。