kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

月刊『現代』2008年10月号の表紙・麻生太郎から思い出したこと等々

かつて講談社から出ていた月刊『現代』を、休刊前から2年間くらい毎月買っていた。その多くはもう処分したが、何冊か残っている。そのうち1冊を処分しようとしているのだが、その前にちょっとこのはてなダイアリーにメモしておこうと思い立った。

それは麻生太郎政権が発足する直前の2008年10月号で、麻生が漫画本を右手に抱えている表紙の絵柄が面白かったのと、麻生についていくつか記事が書かれていたからだ。

『現代』には「国平修身」という人物が「政界ディープスロート」なる連載を持っていたが、東京新聞論説委員(現論説副主幹)の長谷川幸洋が書いたものだったと明かされたのがこの号。新自由主義者である長谷川は、積極財政論を唱えていた麻生を批判する立場に立っている。私は長谷川の主張に与するものではないが、一部保守層からの支持が高かった麻生の政策も全くほめられたものではなかったことの一端が長谷川の記事からうかがわれる。

当時麻生は証券優遇税制の拡充策を唱えていたのだ。現在でもまだ続いている配当や売却益の優遇制度(本来の税率20%を時限的に10%としている)をさらに押し進め、1人あたり300万円の株式を1年以上保有した場合、配当や売却益を非課税にすると提案していた。だが、長谷川も指摘している通り、この政策は株式を保有していない家計にはメリットはない。

長谷川はそれと比較して定額減税を提案していた公明党に軍配を上げているが、ここらは新自由主義者の長谷川らしい。ただ、当時公明党や長谷川が推した「定額減税」は、その後の河村たかしの「減税真理教」もとい「減税日本」が主張した「定率減税」よりはよほどマシだ。というのは「定額減税」であればベーシックインカムと同じく「逆人頭税」に相当し、中所得以下の層への恩恵が手厚くなるからだ。但し、橋下徹のように社会保障や福祉を「バサーット削る」のではかえって過激な新自由主義ということになる。現在、長谷川幸洋が橋下を支持していることはいうまでもない。

月刊『現代』の話に戻ると、この長谷川幸洋が連載を持っていたことからもわかるように、この雑誌には新自由主義寄りのカラーがあった。ちなみに私がこの雑誌を毎号買っていた最大の理由は、辺見庸が巻頭に「潜思録」と題した巻頭言を書いていたからだ。この号では辺見は「五輪後の中国」というタイトルで中国を辛辣に批判した文章を書いている。共産党が一党支配しているが事実上の資本家がいくらでもいて、マルクス・レーニン主義を放棄してはいないが、公害、人間疎外、絶望的なまでの貧富の差があるという中国を、辺見は「これはまるで、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足をもち、トラツグミのような気味のわるい声で鳴くという伝説中の化け物『鵺』(ぬえ)である」と評している。だが、この月刊『現代』自体もまた、「鵺」的な性格を濃厚に持つ雑誌だった。そして、同じ性格を『現代』が休刊した翌年に政権を奪取した民主党も持っていた。

下記は、巻末の「今月の表紙」なるコラムの文章。

 今から7〜8年前、都内の飲み屋。偶然横に座った男性と話が弾んだ。聞けば「仕事を辞めて田舎に帰る」とのこと。わがままな "上司" にとても付いていけないんだとか。「仕事は何を?」という問いに、差し出した名刺を見ると「麻生太郎事務所秘書」とある。次期首相に擬せられる麻生氏。そのとき、国民は付いていけるでしょうか。(崇)

『現代』の発売日は毎月1日だったか、前月の末だったかは忘れたが、ちょうどこの号が発売された頃の2008年9月1日、当時の福田康夫首相が突如辞意を表明した。期せずしてこの号はタイムリーな表紙となり、長谷川幸洋がこの号に書いた「麻生&公明党が仕掛ける福田内閣10月退陣!」は1か月前倒しで現実のものとなった。しかし、麻生が総理大臣就任直後の解散の機を逃したことが、翌年の総選挙における自民党の歴史的惨敗につながったのだった。麻生政権時代には「西松事件」もあり、総選挙で政権交代が実現すれば総理大臣就任確実と見られていた小沢一郎民主党代表辞任に追い込まれた。しかしこれが逆に小沢一郎の政治生命を長らえさせる結果となった。

今にして思えば、総理大臣就任直後に麻生が衆院を解散し、そこで政権交代が起きていたなら小沢が総理大臣になり、鳩山由紀夫と同様に普天間基地移設問題でしくじったり、菅直人と同様に突如消費税増税やTPP参加をぶち上げて失敗し、今頃政界引退に追い込まれていたのではないか。そうなれば小沢が橋下徹にすり寄ることもなく、政界の混迷も今ほどひどくはならなかったのではないかと思える。

もっとも、小沢一郎が総理大臣を務めている時に東日本大震災と東電原発事故が起きたら、菅政権下どころではない大混乱に陥ったことは間違いない。小沢はもともと原発推進派だったから、小沢政権であっても確実に前のめりの原発推進政策をとっていただろう。加えて小沢一郎だったら、総理大臣が雲隠れして、その間自らの原発利権の確保に血眼になったりしたかもしれないし、与党内野党の立場にいたからこそ言えた「決死隊の投入」どころか、東電の撤退を認めて東電原発事故は最悪の局面を迎え、今頃東京は廃墟になっていたかもしれない。安倍晋三が総理大臣をやっていても同じような事態になったと思うが、小沢の信用ならなさも決して安倍にひけはとらない。

結局誰がやっていてもろくなことにはならなかったということか。