kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

小沢一郎と朝日新聞

今朝(4/27)の朝日新聞の紙面には吹いた。

昨日の記事 小沢一郎無罪。「信者」たちの内心やいかに - kojitakenの日記 へのブコメで、私を「反小沢に行き過ぎたカルトのようなもの」と評した人間がいたが、そんな私でもあそこまでは書けないと思う「反小沢」記事のオンパレードである。おそらく、「小沢信者」から集中砲火を浴びることだろう。


社説の冒頭部分を引用する。

小沢氏無罪判決―政治的けじめ、どうつける


 民主党元代表小沢一郎被告に無罪が言い渡された。

 これを受けて、小沢氏が政治の表舞台での復権をめざすのは間違いない。民主党内には待ちかねたように歓迎論が広がる。

 だが、こんな動きを認めることはできない。

 刑事裁判は起訴内容について、法と証拠に基づいて判断するものだ。そこで問われる責任と、政治家として負うべき責任とはおのずと違う。政治的けじめはついていない。

 きのう裁かれたのは、私たちが指摘してきた「小沢問題」のほんの一部でしかない。

■「うそ」は認定された

 私たちは強制起訴の前から、つまり今回の刑事責任の有無にかかわらず、小沢氏に政界引退や議員辞職を求めてきた。

 「数は力」の強引な政治手法や、選挙至上主義の露骨な利益誘導などが、政権交代で期待された「新しい政治」と相いれない古い体質だったことを憂えればこそだった。

 3人の秘書が有罪判決を受けたのに国会での説明を拒む態度も、「古い政治」そのものだ。

 そして本人への判決が出たいま、その感はいよいよ深い。

 (後略)


私は、小沢一郎党員資格停止なんか早く解いて、小沢やその信者に変な言い訳をさせないようにすべきだと思っている。昨年、東日本大震災が起きても、小沢は今年の新年早々に被災地入りするまで、昨年内には一度も被災地に足を運ばなかった。それさえも、「小沢信者」は「党員資格停止にされているからだ」などと言い訳した。そのくせ、小沢が自公の内閣不信任案提出を煽るとその尻馬に乗り、民主党代表選で小沢が原発推進派の海江田万里を担いだ時には口をつぐんだ。もっとも、後者をきっかけに、「きまぐれな日々」の常連だった「小沢信者」のコメンテーター(2人いたうちの1人)はぱったりコメントをよこさなくなった。おそらく、小沢一郎を見限って「信者」を卒業したものと私は推測している。

私は、野田佳彦を「野ダメ」と表記していることも明らかなように、民主党執行部系も支持しないが、代表選には小沢一郎本人が出馬すれば良いと思うし、どうせそのあとは民主党政権は1年も続かないのだから、小沢一郎に総理大臣をやらせてみれば良いのではないかとさえ思っている。それで小沢一郎が「大阪維新の会」などとくっついてトンデモ政策を行ない、人々がそれを支持するのであれば、やはり日本は一度焦土と化してそこから再生する道をたどるほかないのではないか。河村たかしの「減税日本」を支援したり、最近では橋下徹にゴマをすりまくっている小沢一郎を、民主党執行部以上に私が全く評価していないことはいうまでもない。

朝日の記事に戻ると、1面では社会部長・山中季広が「勝者なき無罪判決」と題された記事で「限りなく有罪に近い無罪判決」と書き、2面では政治部長・曽我豪が「市民感覚に根ざした政治を」と題された記事を書いている。驚いたのはあの『文藝春秋』2008年10月号に掲載された麻生太郎の「論文」のゴーストライターを務めたといわれている曽我豪が朝日新聞政治部長に就任していたことだ。朝日新聞はついにそんな新聞に成り下がってしまったのかと愕然とした。

だが、意外にも曽我豪は結構まともなことを書いている。以下引用する。

 小沢氏もいままでの「実力者」でいていいはずがない。

 消費増税原発再稼働に反対して*1政権を追いつめた先に何があるのか。政権交代後4人目となる民主党代表・首相をつくりたいのか、政界再編か。判決後も記者会見さえしない小沢氏である。合理的説明のつかない政局優先の行動だと思われれば、人心は離れ、それこそ政局の主導権確保など望むべくもない。

その通りだ。いまや麻生太郎支持の政治部記者の方が、民主党の政治家(主流・反主流を問わず)やその支持者たちよりまともなことを言うようになった。

*1:曽我豪はこう書くが、実際には小沢一郎原発再稼働に反対するどころか、再稼働反対論を「暴論」と決めつけている。