kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

読売の「巨大戦力」がぶち壊したプロ野球観戦の楽しみ

いまどきこんな馬鹿な文章を書く人間がいるのかと呆れた。


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巨人戦の地上波中継は、いまやほぼ絶滅している。


90年代までは視聴率20%が当たり前だったが、00年の後半戦から下落。
原監督第一次政権で日本一に輝いた02年には回復傾向を見せたものの、03年に突如辞任すると、視聴率低下に歯止めが掛からず、05年(129試合放送)には年間平均視聴率が10.2%にまで落ち、翌年から巨人戦中継が減っていき、昨年の地上波ナイタ―中継はわずか17試合となった。


「00年の後半戦から下落」。そう、あの頃忘れられないプロ野球中継があった。2000年8月のことである。

あの夜、くそ暑い山陽地方某市の野外で、会社の飲み会があった。出たくもない飲み会だったが付き合いで出ざるを得ない。瀬戸内の夏の夜は風が凪ぐので異様に蒸し暑い。トイレに行こうとしたら、テレビに同じようにくそ暑いであろう広島市民球場で行われている広島対読売の試合が映っていた。そこで、前年まで広島に在籍していた江藤智がホームランを打った。江藤だけではなく、読売打線が大爆発して広島に圧勝した。この試合を含む3連戦は、いずれも読売の猛打が爆発して3連勝。『夕刊フジ』には、長嶋監督が「こんな野球をやりたかった」と語った言葉が載っていたそうだが、私には「ギャングが瀬戸内にやってきて銃弾を撃ちまくって市民を大虐殺した」光景にしか見えなかった。プロ野球の試合にこれほど興ざめした記憶はかつてなかった*1

「00年の後半戦から視聴率が下落」したということは、私と同じような印象を受けてプロ野球熱がさめた人が少なくなかったことを意味する。「金の力で巨大戦力を築き、監督采配不要の試合で勝ちまくる」という読売の黄金パターンは、ほかならぬプロ野球ファンに否定されたのだ。

近年、話題に上る『新卒社員が3年以内で辞める』ことと『巨人戦中継絶滅』には深い関係があるのではないか。
彼らを「ゆとり世代だから根性がない」「『自分探し』なんてしたって、一生わからない」なんて言うのは簡単である。 なぜ、彼らは根性がなく、自分探しをしてしまうのだろうか?


巨人戦中継がほぼ絶滅したからだ。


「え、何言ってるの? そんなの関係ないだろ、この野球脳が!」と思ったあなたこそ、よく読んでほしい。
当たり前だが、野球というのは、1回から9回までお互いが攻撃と守備を繰り返し、その結果、1点でも多く取ったチームが勝ちになるスポーツだ。


仮に3ヶ月で辞めた新卒社員がいるとする。彼らは1回表で全てを投げ出している。
『トータルで物事を見る』という俯瞰力に欠けるのだ。


野球中継を見ていれば、仮に1回表に3点取られても、「まだ9回も攻撃がある。これからだ」という思考ができる。いくらでも挽回可能だとわかるのだ。
自分の人生というトータルで考えれば、
「3ヶ月で辞めたら転職活動にも支障をきたすから、とりあえず我慢しとこう」と思えるはずなのだ。


読売との試合で1回表に読売に3点をとられたら、もうその試合は終わりである。「1回表で全てを投げ出して」しまうのも当然だ。読売の強力打線をもってすれば、初回の3失点などなんてことないかもしれないが、相手球団にとってはそうではない。

実際、昭和の人間は、「堀内は立ち上がりいつも悪いからな。尻上がりに調子を上げるタイプだから、こんなもんだろ」と昨日観ていた巨人戦中継を思い出し、「今日はダメだったけど、明日から頑張ればいいや」と自分に置き換えていた。
野球中継を2時間見れば、
「ここのピンチを乗り切れば、次の回は1番からだし、必ずチャンスが巡ってくる」
「この選手はまだ出始めだから、今はバントもして、信頼を勝ち取らないといけない」


と、いろいろな思考が頭を巡る。そして、それは全て自分に置きかえられることなのだ。
ここまで言えば分かると思うが、巨人戦中継の絶滅は、ゆとり世代と呼ばれる若者から類推力を奪い、忍耐力を身につける場所も失わせてしまったのである。
テレビ局がもっと地上波で野球中継を流せば、日本人の元来持つ“我慢強さ”が呼び起こされるはずだ。


断言しよう。野球中継は、ビジネスパーソンの生きるヒントの宝庫である。
(岡野誠)


プロ野球を観戦する者から想像力を奪ったのは読売の巨大戦力だ。もっとも、読売がいないパシフィックリーグには、まだプロ野球の観戦の楽しみは残っている。だから、札幌や千葉や福岡の試合にファンが大勢詰めかける。昨年までは、交流戦でもパシフィックリーグセントラルリーグ(読売リーグ)の球団に一度も優勝を譲らなかった。

そしたら、読売は昨年の日本シリーズの覇者・福岡ソフトバンクホークスからローテーション投手2人を引き抜いた。2000年の工藤公康江藤智、ダリル・メイらの引き抜きを思い出させる大型補強である。

千葉ロッテのエース・成瀬が読売から2勝を挙げて抵抗したが、読売はロッテとの最終戦に勝って、交流戦の優勝マジックを出した。

これでまたプロ野球観戦の楽しみが一つ減った。

*1:なお、この2000年のシーズンで、ヤクルトは川崎憲次郎伊藤智仁が読売打線に立ちはだかって読売に勝ち越したが、両投手ともこの年限りで故障してしまい(川崎はFAで中日に移籍したが1勝もできなかった)、ヤクルトは翌年から一昨年まで読売戦10年連続負け越しを記録した。それでも2001年にヤクルトは優勝したが、それが最後の輝きであり、2002年からは読売、中日、阪神の「3強」がセントラルリーグ(読売リーグ)の優勝をたらい回しするようになった。