プロ野球元読売投手のチョ・ソンミン氏がソウルで自殺した。
元プロ野球選手のチョ・ソンミン氏が自殺か | Joongang Ilbo | 中央日報
元プロ野球選手のチョ・ソンミン氏が自殺か
6日午前5時26分、日本のプロ野球でも活躍したチョ・ソンミン氏が死亡しているのが見つかった。チョ氏はソウル・江南区(カンナムグ)にある知人のアパートの浴室で死亡しているのを知人が発見し警察に通報した。
警察関係者は、「チョ氏が浴室でベルトで首を吊って死亡しているのが発見された。遺書の有無や外部からの侵入の跡などを確認している」と伝えた。
チョ・ソンミン氏は1996年に日本のプロ野球巨人に入団し活躍した。女優チェ・ジンシルさんの元夫で、チェさんも2008年に自殺している。
(中央日報日本語版 2013年01月06日09時31分)
プロ野球選手の自殺というと、どうしても思い出されるのがヤクルトスワローズのエースだった高野光だ。2000年に高野が自殺した時、高野が読売のOBだったらこんなことにはならなかったのではないかと思ったものだが、その読売に在籍していたチョ・ソンミンが自殺した。もっともチョ氏が読売の余禄に寄りかかって生きていたわけではないことはいうまでもない。
それどころか、チョ・ソンミンの読売での投手生活は、非常に不運なものだった。元ヤクルトの杉村繁は下記のように語っている。
【スギのみぞ知る】1998年球宴、謎に包まれた投手続投劇 - スポーツ - ZAKZAK
(前略)球宴のベンチは、野村監督が「こんなメンバーでやったら負けへんやろな。やってみたいな」と話すほど、そうそうたる顔ぶれがそろう。だが、ピリピリ感はなくのんびりしたものだ。若手は隅っこに座り、ベテランは真ん中で足を組んで「勝ったら1人、ウン万円だから分けような」、「MVPはウン百万」などと駄弁っている。
最近は選手会の行事や代表戦を通して、球団間の交流が以前より盛んだ。和気あいあいとした雰囲気の中で、投手も思う存分、自分のベストピッチを披露している。
昔はいささか風景が違った。仲間同士なのは球宴だけ。後半戦に向け、やすやすと手の内は見せられない。たとえば巨人の捕手がいろんな球種を要求しても、ヤクルトの投手は投げたがらなかった。昔の球宴が直球勝負ばかりだったのは、こうした背景もあった。
そんな同じベンチの裏で、駆け引きがあったのではないかと物議を醸したことがある。1998年7月23日、千葉マリン(現QVCマリン)で行われたオールスター第2戦だ。
8回からセ・リーグの5番手で登板した巨人・趙成●(=王へんに民)(チョ・ソンミン)が、最終回の1死後に急激に制球を乱した。セ・リーグ監督の野村監督は「おかしいぞ」と何らかのアクシデントを疑い、同コーチの横浜(現DeNA)・権藤博監督を確認のためマウンドに送った。
結局2人でトレーナー室に引っ込み、しばらくして出てきた趙は、私たちの目の前で猛然と腕立て伏せを行い、グラウンドに戻っていった。
その場で「韓国の大学野球部はめちゃくちゃ厳しくて、あいつは冬場も氷水の中で鍛えていたらしい」という逸話を聞き、「さすが根性があるわけだな」と納得した。
ベンチの誰もが「あれだけ元気なら大丈夫」と送り出したのだが…。その後の投球は痛々しいほど。2死満塁からなんとか無失点でしのいだが、球宴後に右ひじの故障が発覚し、実質的に選手生命を絶たれた。
ライバル関係にあった巨人の投手を“つぶした”として、野村監督にも疑念の目が向けられた。だが、その場にいた私は事実でないと断言できる。
球団に事情を聴かれた趙は「『ひじが痛い。無理です』と訴えたが、権藤さんに『いけるだろ』と言われた」と説明したという。もし趙が降板したら、前日に投げた横浜・佐々木主浩が急きょ肩をつくり、登板するしかない状況だった。権藤体制1年目の横浜は当時セ首位を走り、佐々木は絶対的な抑え。トレーナー室でどんなやりとりがあったかは定かでないが、その年は横浜がペナントレースを制し、日本一に輝いた。
巨人の広報として当時、同じベンチにいた香坂英典(現巨人編成部)との間では、今でも「謎だよな…」と語りぐさになっている。
(夕刊フジ連載「杉村繁 スギのみぞ知る」 2012年7月12日付より)
「ライバル関係にあった巨人の投手を“つぶした”として、野村監督にも疑念の目が向けられた」というのは、どうせ読売びいきのマスメディアあたりが垂れ流したヨタ話だろうが、そんな話は聞いた記憶がない。この年のヤクルトは開幕早々から不振で、記事にもあるように、読売リーグ(セントラル・リーグ)の優勝争いは横浜がリード、中日が猛追し、読売はかなり離れてこの両球団を追う展開で、その下にヤクルトがいた。こうしたペナントレースの展開もあって、当時疑われたのは野村克也よりもむしろ当時の横浜監督・権藤博だった。私もこの試合のテレビ中継を見ていたが、ブルペンにも向かわずベンチに座ってヘラヘラ笑っていた佐々木主浩の印象は、大のアンチ読売である私にとっても非常に悪いものだった*1。杉村が書く通り、この故障でチョ・ソンミンは実質的に選手生命を絶たれた。
この件について、Wikipediaには下記のように書かれている。
1998年のオールスター戦での肘の故障以降の低迷の原因は、当時の横浜ベイスターズ監督の権藤博のせいだと宝島社『巨人軍タブー事件史』内のインタビュー「憎んで愛したジャイアンツ」の中で語っている。本人によると「権藤に『肘が痛いので交代したい』と日本語で申し出たが、権藤は『こいつ何言ってるんだ』としらを切った」との事である。
中央日報日本語版の記事をもう1件引用する。
チョ・ソンミン氏自殺、子どもと会えない心労が背景か | Joongang Ilbo | 中央日報
チョ・ソンミン氏自殺、子どもと会えない心労が背景か
チョ・ソンミン氏の死亡の知らせに哀悼の波が続いている。チョ・ソンミンの死で母親のチェ・ジンシル、叔父のチェ・ジニョンも失っている長男ファンヒと長女ジュンヒの心身状態に対する心配も大きくなっている。ファンヒとジュンヒは昨年KBS第2テレビ「ハッピーサンデー」の「男の資格」プロジェクトのひとつ「ファミリー合唱団」に出演した。2人は悲しみを振り払ったような姿で多くの視聴者を安心させた。
ネットユーザーらは「子どもたちはどうするのか。とても残念だ」「いっそ記事を見なければいいだろう」「放送では明るく見えたが…」と気遣った。
チョ・ソンミンの知人は本紙との通話で、「最近までもチョ・ソンミンは特別なことはないようすだった。ただ子どもたちに会えずつらいようだった。これにより極端な選択をしたとみられる」と話した。
チョ・ソンミンは2000年に女優のチェ・ジンシルと結婚して話題を集めたが3年9カ月で離婚した。その後チェ・ジンシルが悪性のデマに苦しめられ2008年に自殺し、チョ・ソンミンは養育権問題をめぐり厳しい時期を送った。2010年にはチェ・ジンシルの弟のチェ・ジニョンも自殺している。
チョ・ソンミンは1995年から2002年まで日本のプロ野球巨人で活躍した。その後韓国に戻り2005年から2007年までハンファで現役生活を過ごし、2011年から昨年までは斗山(トゥサン)の2軍ブルペンコーチを務めた。韓国でのプロ通算成績は3勝4敗4ホールド平均自責点5.09だった。
(中央日報日本語版 2013年01月06日11時40分)
そういえば高野光のプロ野球とのかかわりの最後も、韓国プロ野球チームの臨時投手コーチだった。チョ・ソンミンは韓国の人だからそういう経歴が当然ではあるけれども。
故人のご冥福をお祈りする。