kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「幸福実現党初の国会議員」だった大江康弘を自民党が参院選候補に公認(呆)

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130524/stt13052421000009-n1.htm

自民、格闘家佐竹氏ら5人公認 嶋大輔氏は見送る方向


 自民党は24日、夏の参院選比例代表に格闘家の佐竹雅昭氏(47)、タレント伊藤洋介氏(49)、日本放射線技師連盟理事の畦元将吾氏(55)、ドッグトレーナー田辺久人氏(53)、参院議員の大江康弘氏(59)の5人を公認した。大江氏以外は新人。同党の公認候補は選挙区49人、比例代表29人の計78人となった。

 佐竹氏は格闘技「K−1」で活躍し、人材養成塾を主宰するなど教育分野の活動を評価した。大手芸能事務所に所属する伊藤氏は、解禁されるインターネットを使った選挙運動で、芸能人がブログなどを通じて投票を呼び掛ける予定という。

 大江氏は2007年参院選比例代表民主党から当選。現行法の規定により現職のままでは自民党公認を得られないため、22日に辞職した。

 一方、芸能界を引退して自民党からの出馬を希望していた嶋大輔氏は擁立を見送る方向だ。

MSN産経ニュース 2013.5.24 20:57)


この大江康弘について、3年前下記記事を書いた。

時事通信*1より。

大江参院議員、幸福実現党入りへ

 大江康弘参院議員(無所属)は11日、参院議員会館で記者団に対し、宗教法人「幸福の科学」を支持母体とする政治団体幸福実現党に入党する意向を明らかにした。同党としては初の現職国会議員となる。
 大江氏は「保守という理念が全く一緒だ。思想信条も政策的にもほぼ同じだという安心感もあり、決意した」と入党の理由を説明した。
 大江氏は改革クラブに所属していたが、舛添要一厚生労働相の入党に伴う新党改革への衣替えに反発して離党。その後も「改革クラブ」を名乗り、自民党統一会派を組んでいた。 
 自民党は11日、大江氏との統一会派を解消、参院事務局に会派変更届を提出した。これに伴う参院の新しい勢力分野は次の通り。
 民主・新緑風会・国民新・日本122▽自民71▽公明21▽共産7▽新党改革6▽社民・護憲連合5▽たちあがれ日本2▽無所属7▽欠員1。(2010/05/11-18:52)


大江は2001年の参院選自由党から出馬して初当選。その後自由党民主党に合流したため、3年前の参院選で、民主党公認候補として比例区で当選。一昨年に福田康夫首相(当時)が辞意を表明する直前に「改革クラブ」を結成したが、姫井由美子に逃げられて政党要件を満たせず恥をかいた。

和歌山県の出身だが、兵庫県にある芦屋大学を卒業している。この芦屋大学というのは、関西で大金持ちの家に育ちながら、あまり勉強のできない学生が入る大学として知られている。おそらく実家が和歌山県における一種の「土豪」で、地域の大金持ちだったのではないかと推測される。

そんなDQNが、おそらく小沢一郎に惹かれたのだろうが、自由党入りして、以後民主党改革クラブと渡り歩き、行き着いた先が幸福実現党だったわけだが、今年の参院選では非改選なので、あと3年あまりも幸福実現党議席が続くという悪夢が現実になってしまった。

大江の言う「保守」とは、俗に言う「真正保守」とほぼ同義だろうし、自民党は大江との統一会派を解消したとはいっても、昨年の衆院選前に幸福実現党とコラボした小池百合子という議員を抱えていることを忘れてはならない。

そういえば、小池百合子兵庫県芦屋市の出身で、小池の父は石原慎太郎とつるんで1969年の衆院選に立候補したものの落選したのだった。

かくして、芦屋という地を共通項にして、大江康弘小池百合子幸福実現党石原慎太郎らが絡むという「金持ちカルトネットワーク」が観察されるのである。


そう、産経の記事には、

大江氏は2007年参院選比例代表民主党から当選。現行法の規定により現職のままでは自民党公認を得られないため、22日に辞職した。

としか書かれていないが、「幸福実現党初の国会議員」だったという恥ずかしい過去を持つ人間なのである。大江は2010年の年末に幸福実現党を離党したが、半年あまりにわたって幸福実現党史上唯一の国会議員だったという事実は消えない。

そんな大江をなぜ自民党が公認したかというと、大江がおそらく安倍晋三好みであろう極右思想の持ち主であることと、もともと大江が自民党籍を持つ和歌山県議だったからだろう。

父の大江敏一も自民党和歌山県議だったらしいが、3年前にも書いたように地元和歌山の富豪(「土豪」)一家だったに違いない。実家の資産以外に取り柄がないから金持ちの子弟しか入れない(金さえあればDQNでも入れる)兵庫県芦屋大学にでも入るしか、そして和歌山県議にでもなるしかなかった。

ただ、そんな典型的な「でもしか」地方議員であっても時流に乗る才能だけはあったらしく、地元選出の国会議員・中西啓介二階俊博らとともに自民党を離党して、小沢一郎が開いた新生党に参加し、新進党自由党と「小沢一派」の主流コースをたどった。今でこそ「ルンペンプロレタリアートのアイドル」と一部で揶揄される小沢一郎だが、かつては「保守本流」に飽き足らない右寄りの(右翼的と言っても良い)富裕層や中間層のアイドルだったのだ。

当時の小沢一郎の支持層は、現在の安倍晋三の主要な支持層と重なる。だからこそ、こんなとんでもない野郎を自民党が公認したのである。