kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

大隅典子・東北大教授「健全性を損なわせる『商業化』」(朝日新聞インタビュー)

朝日新聞(4/15)のオピニオン面に「STAP 逆風の科学界」と題して、大学教授2人のコメントが掲載されている。このうち、東京大学のロバート・ゲラー教授のコメントには大して感心しなかったが、東北大学大隅典子教授のコメントは本質を捉えていると思った。

冒頭部分を引用する。

 この10〜20年に研究の世界で起きた変化、とくに生命科学の研究が抱えている問題が、今回の出来事にすべて凝縮されている、と思います。いろいろな角度からきちんと検証する必要があります。

 一言でいえば「科学の商業化」です。とくに生命科学は実利に直結し、少しでも先んずればノーベル賞、という世界なんです。

朝日新聞 2014年4月15日付オピニオン面掲載「健全性を損なわせる『商業化』」(東北大学大隅典子教授)より)

「この10〜20年」の範囲にすっぽり収まるのが、2001〜06年の小泉純一郎政権である。この時代は、日本における「新自由主義ルネッサンス」と捉えられる。初代の経済産業大臣だった平沼赳夫が、産学官促進を提唱する「平沼プラン」を発表した*1

新自由主義に基づく政治は、当時日本だけでなく世界的な流行だった。韓国の盧武鉉政権もまぎれもない新自由主義政権だったが、その盧武鉉政権時代の2005年に韓国で起きたのが「黄禹錫(ファン・ウソク)事件」だった。そして、小泉純一郎に「後継者」に指名された安倍晋三が二度目の政権について、やはり新自由主義の政治を推進している2014年、日本で「STAP細胞事件」が起きた。

きまぐれな日々 「STAP細胞」騒動と「金になる研究の公的支援」の陥穽(2014年4月14日)のコメント欄より*2

数か月前に李成柱『国家を騙した科学者』 http://t.co/P6oXcDNqw2 ってのを都下某市の図書館リサイクル市でゲットし只今読んでいるんですけど、政府やマスコミがあっという間に飛びついて(捏造と解るまで)バックアップしたこととか、批判者に対する官民挙げてと言っていいほどの圧力・捏造した本人ばかりか関係者も含めた思惑など、今回のSTAP細胞の一件は黄禹錫の件と余りに似ているとこが多いので正直唖然としています。黄禹錫の件では、日本のウヨとか「保守派」とかが「これだから韓国は嘘吐きで」云々って今ならヘイトスピーチ間違いなしな言説が飛び交ってましたが、自分の頭の上のハエも追えずによくもあぁ大口を叩けたもんだなって今改めて思っています。(後略)

2014.04.14 09:50 杉山真大

大隅教授は、科学とは本来、長い時間をかけて研究者の論文が検証され、正しい学説が生き残り、誤ったものが消えていくもので、それが「100年以上かけて作り上げられた近代科学のお作法」だとする。以下再び朝日新聞記事から引用する。

 私の専門分野では、神経再生の可能性が1960年代初めに提唱されました。当初はだれも信じなかったのですが、技術の進歩もあって証明され、提唱者は2年前に国際生物学賞を受賞しました。

 実に半世紀がかり、そうやって、本当のものが定着していきます。1本の論文だけで何かをいうのは、時期尚早なのです。

 ところが、研究の「成果」が求められるようになり、評価の指標として一つひとつの論文が重視されるようになりました。とくに一流誌に載ることが重要です。中でもネイチャーに論文が載ることは大変な栄誉であり、研究費やポストの獲得にもつながる。それが研究機関にとっても、研究資金に直結するようになってきました。

 ネイチャーは、イギリスの出版社が発行する商業誌で、専門家集団が検証する学会誌とは性格が大きく異なります。広い読者を得るために、よりインパクトの大きい論文を求める傾向は否めません。そんな商業誌が大きな力を持つという構造的な問題もあります。

 これまでは、論文を書く前に学界などで発表し、議論して、もまれる、というプロセスが一般的でしたが、「掲載まで伏せる」というのがネイチャーの厳格な方針です。とにかくまずネイチャーに、と考える研究者も少なくありません。特許との関係から事前には一切発表しないケースが増えてきたこととあわせ、科学の健全性を損なう結果を招いていると思います。投稿論文をどうチェックするのか。ネイチャーの責任も非常に重いと思います。

朝日新聞 2014年4月15日付オピニオン面掲載「健全性を損なわせる『商業化』」(東北大学大隅典子教授)より)

"Nature" に関する指摘は、大隅教授のインタビューの中でも特に興味深かった。民間企業の研究者にも "Nature" に論文を載せた人はもちろんいて、私はその一人を知っているのだが、国に研究機関の研究者である小保方晴子笹井芳樹のような俗物とは大違いで、優秀な研究者であるばかりか人格者だった。そして信じられないほど多忙で、移動にも夜行列車を使って時間を節約するほどだった。私はその姿を見て、「これが本当の『エリート』の姿なんだろうな」と感心したものだ。彼の仕事は常人に務まるようなものではなかった。そしてそのような人は決して「頑張った者が報われる社会でなければならない」などという竹中平蔵のような「似非エリート」が発するような戯言は口にしないものだ。

しかし、それとは別に、"Nature" って商業誌だよなあ、それが何でそんなに権威を持っているのかなあという疑問はずっと持ち続けていたのだ。数年前、当時民主党鳩山由紀夫平智之が書いた解説記事が "Nature" に載ったことがあって、彼らの支持者は「すごい、すごい」と囃していたが、東電の福島第一原発を国有化すべきだと主張するそれは論文ですらなく、なんでそんなものが騒がれるに値するのかと反感さえ持った。実際に記事を書いたのは鳩山由紀夫ではなく平智之だろうが、平は民主党を逃げ出して「みんなの党」から2012年の総選挙に臨んだものの落選した。

そして、特許についていえば、バカンティ・小保方氏らの国際出願に優先権主張の記載があったので、その根拠は学会発表かと思って調べてみたら、米国特許庁への特許出願であって、その発明者には笹井芳樹の名前は入っていなかったのであった。つまり、「STAP細胞」もまた、特許出願を学会発表に先行させた事例だった。

朝日新聞記事の最後の部分より。

 分野によっては、研究結果や発見にこそ独創性があるので、他の文献や論文からの引用は、出典を明記すれば素材として活用していいという考えもあると聞きます。急速に広がったITを私たちはまだ使いこなせていない。便利だけれど、どう扱うべきなのか。

 科学者は科学のあり方を見直す必要があります。社会の側でも科学本来の姿を理解し、長い目で見守ってほしい、と思います。

朝日新聞 2014年4月15日付オピニオン面掲載「健全性を損なわせる『商業化』」(東北大学大隅典子教授)より)

「研究結果や発見にこそ独創性があるので、他の文献や論文からの引用は、出典を明記すれば素材として活用していい」というのは、特許出願の世界を思わせる考え方だが、製品化を前提としない純粋な科学でもそういう考え方の分野があるということか。

「科学本来の姿」とは何かという大命題はともかくとして、大隅教授のインタビューの最初の方にある「科学の商業化」の弊害の表れが今回の「STAP細胞」騒動だったことは確かだろう。

*1:「平沼プラン」の内実は極右政治家である平沼の思想に基づくものではなく、単に経産省の官僚がつくったものに過ぎまいが、私はこの一件を理由に、ずっと以前から平沼を新自由主義者とみなして批判し続けている。

*2:http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1342.html#comment17816