kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

志賀原発、活断層の疑い 1、2号機運転困難に(中日)/保阪正康『日本原爆開発秘録』を読む

下記は朝日新聞(5/14)一面トップと同じニュースだが、ネット版の記事を比較して、原発の地元(石川県)により近い地域のメディアである名古屋の中日新聞の記事を選んだ*1

http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015051402000085.html

志賀原発活断層の疑い 1、2号機運転困難に

◆規制委調査団が意見書

 北陸電力志賀原発(石川県)の敷地内断層について、原子力規制委員会有識者調査団は十三日の会合で「活動性を否定できない」として、地盤をずらす可能性のある断層(活断層)の疑いを指摘する意見書を公表した。1号機建設時に作成された断層の調査図面の分析などから有識者四人全員の見解が一致した。

 原発の新規制基準では地盤をずらす断層上に原子炉建屋など重要施設の設置を禁じており、規制委が最終的に断層の活動性を認めれば1号機は廃炉となる可能性が高い。

 また規制委は昨年八月に北陸電から申請のあった2号機の新基準に基づく審査を保留しており、有識者の評価を「重要な知見」として、あらためて審査する。審査で断層の活動性が認定されると、現状では2号機の再稼働は困難となる。

 担当の石渡明委員は「次回の会合で評価書案を確定させたい」と述べた。原発敷地内の断層をめぐっては日本原子力発電敦賀原発福井県)など六原発で調査が行われ、志賀を含む五原発で評価の方向性が示された。

 活動性を疑われているのは、1号機の原子炉建屋直下を走る「S−1断層」と、1号機と2号機のタービン建屋直下を走る「S−2、6断層」。

 北陸電によると、S−2、6断層は2号機原子炉建屋直下を走ってはいないが、原子炉周辺機器の冷却に用いる重要な配管を横切っている。審査でも活動性を認められれば、配管の改造など困難な対応を求められる可能性がある。

◆仮定に基づく推論多い

 <北陸電力の金井豊副社長の話>主張が認められず大変残念だ。会合を傍聴していたが納得できない。志賀原発1号機建設当時に専門家にチェックしてもらっており、そこで重大な見落としがあるとは思っていない。今日、初めてうかがう話が多く、率直な感想として仮定に基づく推論が多かったように思う。当社の見解をまとめ、しっかりと伝えていきたい。

中日新聞 2015年5月14日 朝刊)


中日に限らず朝日や毎日の記事にも活断層の図が出ているが、原発直下を活断層が走っており、この図を見ただけでも1号機の廃炉はもちろん、2号機も決して動かしてはならない原発だと直感させられる。北陸電力原発はこの志賀原発の2機しかないから、北陸電力は早いとこ原発を2機とも廃炉とするべく、経営方針を改めるべきであろう。

志賀原発に関して、最近Twitterからしばしばリンクを張られる元敦賀市長・高木孝一の妄言を批判した記事にリンクを張っておく。「高木孝一」を検索語にしてGoogle検索をかけると、下記の記事が筆頭に表示されたのは痛快だった。

上記記事では、高木孝一の倅である自民党衆院議員・高木毅の悪行にも言及している。

さて、原発の話題が出たところで、昨日読み終えた下記の本もメモしておく。


日本原爆開発秘録 (新潮文庫)

日本原爆開発秘録 (新潮文庫)


著者が保阪正康なのであまり期待していなかったが、期待度の低さの割には好著であった。本書で取り上げられている「ニ号研究」や「F号研究」の概略は、2010年に読んだジョン・ダワーの『昭和』で知ってはいたが。


昭和――戦争と平和の日本

昭和――戦争と平和の日本


保阪正康の『日本原爆開発秘録』の最後の第七章「原子爆弾から原子力発電へ――平和利用は幻なのか」は、タイトルを見ただけでは一見反語に見えたので、著者は原発肯定派なのかと警戒して読み進めていたが、何のことはない、反語ではなく単純疑問文であって、著者は原発にも批判的なのであった。本が書かれたのが東電原発事故翌年の2012年であったせいもあるかもしれない。

本書は単行本初出時には『日本の原爆―その開発と挫折の道程』と題されていた。


日本の原爆―その開発と挫折の道程

日本の原爆―その開発と挫折の道程


以下、単行本のアマゾンカスタマーレビューより。

★★★★★ 悪魔か天使か、原爆と原発の狭間の科学者の有り様と責任を原点から問う好著
投稿者 Rob Jameson 投稿日 2012/5/12

日本の原子力開発の歴史では本史と切り離されて短い前史の扱いでしかなく、他方昭和史(あるいは第二次大戦史)では全く効果なく失敗した試みとしてほとんど光を当てられることがなかった、いわば“秘史”の扉を開くものである。

仁科芳男に率いられた理化学研究所の面々と京大荒勝文策研究室の俊英がいかに自ら原爆開発に関与したかを原資料と取材に基づき証明していく。仁科は日本軍のガダルカナル敗退、アッツの全滅を目の前にして原爆開発に走り(p94)、広島に原爆が投下された翌日「米英の研究者は日本の研究者、即ち理研の49号館の研究者に対して大勝利を得た」と「負け」を認めており(p20)、荒勝グループの湯川秀樹は「国に捧ぐ いのち尚ありて 今日も行く 一筋の道 限りなき道」と和歌によせて軍学協力を是認した(p168)ことが明らかにされている。戦後沈黙を盾にナチに抵抗したという「神話」に隠れたドイツのハイゼンベルクとは異なるにしても、彼らが戦中に果たした役割は消すことはできまい。

戦後湯川をはじめとして朝永振一郎武谷三男等がアインシュタインラッセルの反核(兵器)運動に賛同したのは、アメリカ従属の原発開発に邁進した嵯峨根遼吉と同一の評価ではないが、負の遺産を精算する意図・期待があっただろう。また軍に徴用され技術将校となった科学者(山本洋一、鈴木辰三郎等)の苦渋と率直で正直な見解を引き出したのは著者の見事なインタビューの賜物であろう。関係者は全て物故しているだけに貴重である。

武谷だけではないが彼を先頭に原子力の平和利用を“天使”と位置づけたのだが、フクシマ原発事故はTMI、チェルノブイリに続いて“悪魔”へと回帰したことを証明した。「私たちのこの時代そのものが次の世代への加害者になる」(p260)、「次世代の子供たちの運命が、今の世代の過ちによって歪むことのないよう祈る」(p267)という著者の真摯な訴えに共感するものである。

惜しむらくは「まるゆ」と称された陸軍潜航輸送艇の就役年、活動実態やドイツからウランを運搬しようとしたU-234の運命など軍事専門事項にささいだが誤りがある。一方、本書に対して内容のうすい通俗書と評する向きもあるが、それは読み手の問題意識のレベルの反映ではあるまいか。


借り物だけでは何なので、私の感想も書いておく。「文庫版あとがき」の下記の文章が興味深かった。以下引用する。

 アメリカの歴史学者ウィリアム・H・マクニールは、『(邦訳)戦争の世界史―技術と軍事と社会』の中で、「(われわれの子孫は)一千年紀(紀元1001年から2000年まで=引用者註)を、人類史上の異常な激動期として認識するだろう」と言って次のように書いている。

「約一〇〇〇年間にわたって人間のなす努力に対する政治統制と公的経営の方法の発達が、輸送と通信網の発達にくらべて重大なたちおくれをきたしたために、その一〇〇〇年間は、個人もしくは小集団の私利私欲とイニシアティヴが、人間の日常の行動を決定するうえで、例外的、一時的にひじょうに重要な役割を果たした時代となった」

 二十世紀の官僚的統制とデータ分析が、世界政府の樹立につながるという意味だと、マクニールは指摘する。世界政府の樹立の方向に、好むと好まざるにかかわらずむかうというのだ。私はこの論に関心を持ち、人類の文明は二〇〇一年から三〇〇〇年までの一千年紀はこうした方向にむかうための時間ではないかと思う。むろんもっと短期間に二十一世紀という枠組みで捉えてみても、人類の一歩はその方向にむかうであろうし、あるいは地球以外の他の惑星にむかうのかもしれない。

保阪正康『日本原爆開発秘録』(新潮文庫,2015)326-327頁)


最後の「あるいは地球以外の他の惑星にむかうのかもしれない。」という部分にずっこけてしまったが、それ以外は面白い考え方だ。一般に「保守」とされる保阪正康がこのような「進歩史観」を持っていることが興味深い。私もまた、1970年代や80年代、明治時代、江戸時代のどの時代をとっても「その頃に戻りたい」と思う時代は一つもない。テロリストの吉田松陰がのさばった幕末などは論外だ。「その時代に生きたい」と思う社会は未来にしかないのである。その意味で、私もまた「進歩史観」を持っているといえるのだろう。

現在は残念ながら、「個人もしくは小集団の私利私欲とイニシアティヴが、人間の日常の行動を決定するうえで、例外的、一時的にひじょうに重要な役割を果たした時代」の真っ只中だろう。原発の再稼働や、それにとどまらず新規原発の建設をたくらむ安倍晋三や電力会社や経産官僚たちが形成する「小集団の私利私欲とイニシアティヴ」が「人間の日常の行動を決定」してしまっている。少し前には、核燃サイクル推進派の青森県知事選候補を当選させるために「剛腕」とやらをふるった小沢一郎の「私利私欲とイニシアティヴ」にしてやられたこともあった。残念ながら私の生きているうちにこの時代から脱却することはできそうにもないが、人類がいつの日にかこのような理不尽な時代から脱却できることを願ってやまない。

*1:石川県の地元紙・北國新聞は悪名高い右翼紙なので、最初から比較の対象外である(笑)。