kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

極右と「リベラル」が「安倍談話」をともに歓迎し、安倍内閣支持率が上昇(呆)

共同通信やFNN・産経の世論調査安倍内閣の支持率が微増した。それでなくとも、8月に入って安保法案反対の攻勢に決め手を欠き、内閣支持率減少傾向に歯止めがかかるのではないかとは予想していた。しかし8月上旬には九電川内原発の再稼働があってNHKと毎日の調査で内閣支持率が続落した。特に毎日の調査では32%にまで落ち、危険ラインの30%を割り込む寸前にまで言った。

それが一転して翌週には支持率が持ち直したのは、8月14日に発表された「安倍談話」を右翼と「リベラル」の両方が理解し、支持したからだ。あの「安倍談話」は「村山談話」に含まれる「4つのキーワード」を引用しつつ骨抜きにした上、最後に「自衛隊の海外での戦争参加宣言」以外の何物でもない「積極的平和主義」を謳い上げるというとんでもない代物なのだが、それでも「4つのキーワード」が含まれたことに勝利感を抱いた「リベラル」たちは、その程度で満足してしまったのである。

たとえば、ある「リベラル」のブログを見ると、「支持率、求心力低下で、村山談話否定は果たせず」などとタイトルにあり、今回の談話には安倍晋三と不愉快ななかまたちが普段言っていることの半分も盛り込めていない、これだとそのうち「超保守派」(「リベラル」氏はなぜか「極右」とは言いたがらない)仲間から「安倍おろし」が起きるのではないか、などと書いてある。

なんとも恐るべき「お花畑」である。「リベラル」が連戦連敗する理由もわかる。現実には安倍内閣の支持率は上がった。そもそも「安倍談話」を批判する極右などほとんどおらず、たまにいたとしても、それはもともと安保法案に反対し、安倍内閣を支持していない小林よしのりのような人間だけである。そういえば、「リベラル」氏は小林よしのりも安倍政権を批判したとか安保法案に反対したなどと嬉しそうに書いていたが、下記の記事を読んでどう思うか聞いてみたいものである。

小林よしのり氏 戦後70年談話の感想を問われ猛批判「こんな談話」 - ライブドアニュース

小林よしのり氏が安倍談話を猛批判「村山談話が冗長になっただけ」
2015年8月15日 18時17分

14日の深夜に放送の「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)で小林よしのり氏が、安倍晋三首相が同日に発表した70年談話を猛批判した。

番組では「激論!戦後70年の総括と明日の日本」と題して、戦後70年目の終戦の日を迎えるなか、各界の識者が議論を戦わせた。

スタジオでは、司会の田原総一朗氏が小林氏に、安倍内閣が14日に閣議決定した「戦後70年安倍談話」の感想を尋ねた。

これに対して、小林氏が「安倍晋三はこんな人間じゃないんですよ」と切り出し、「だいたい、保守派(自民党右派)は全員、村山談話が大嫌いなんですよ!」と声を荒らげたのだ。

また、小林氏は今回、安倍首相が談話を出した理由について、95年に当時の村山富市首相が発表した「村山談話」を乗り越えたかったからだと持論を展開。

そして、小林氏は不満げに「ところが、いざ出してみると、(安倍談話は)村山談話が、ただ冗長になっただけ」と談話の意義を否定し、今回の安倍談話は安保法制の整備に追い込まれた、安倍首相の妥協の産物であるかのように語ってみせた。

さらに、小林氏は過去の戦争に「反省とお詫び」を訴える安倍談話について「本当だったら、保守派も相当怒らなければいけないんだけれども」と分析し、「今、保守派は『安倍真理教』にハマってしまっているから」と、安倍首相への支持をカルト宗教に例えて笑いを誘ったのだった。

同時に小林氏は、「左翼は喜ばなきゃいけないですよ?村山談話そのままなんだから、左翼はみんなでバンザイしなきゃいけないんですよ。それを、まだ(野党が)難癖つけてるのがね!」「やめればいいんだ、こんな談話なんか!」と声を荒らげ皮肉を語り、スタジオを沸かせてみせた。

ライブドア トピックニュースより)


こんなことを言う人間が安保法案に反対したなどと喜んでいるうちに安倍内閣の支持率が上がった現実からは、「『右』も『左』もない」などと言っていた人間が、第1次安倍内閣が倒れると同時に「水に落ちた犬は叩かない」と宣言して安倍晋三への批判を止めてしまい、それどころか安倍晋三とのつながりの深い城内実平沼赳夫の応援にのめりこんでいったことを、「リベラル」のブロガーがまともに批判できず、当該右翼ブロガーとつるんでいくうちに、気がついてみれば第2次安倍内閣が発足していたという2007〜12年のことが思い出される。

とはいえ、小林よしのりの指摘にも見るべき点はある。

「本当だったら、保守派も相当怒らなければいけないんだけれども」

「今、保守派は『安倍真理教』にハマってしまっている」

として、

安倍首相への支持をカルト宗教に例えて

いたことだ。上記の指摘は「保守派」を「極右」に置きかえなければならない点を除いて正しい。
ネトウヨを含む極右たちは、安倍晋三を属人的に支持している。だから「4つのキーワード」を盛り込んだ安倍晋三を批判するのではなく、キーワードを盛り込まざるを得なかった安倍晋三の心中を「忖度」してこれに同情するのである。「安倍信者」というべきこの心理規制は、「リベラル」の側にもそっくりなサンプルがあった。そう、「小沢信者」である。

「小沢信者」も「安倍信者」も決して合理的には思考しない。まず小沢一郎安倍晋三)擁護ありきなのだ。すべてはそこから論理が組み立てられる。

上記「リベラル」氏もそうだったが、「リベラル」の多くは「小沢信者」とつるんでいた。自らの側の心理規制に思いを致せば、「安倍信者」どもが「安倍談話」を批判するはずもないことくらいわかりそうもないのにもかかわらず、それさえもできず、「あんな談話を発表した安倍晋三は、支持者からも見放されるだろう」などと希望的観測に走る。そんなことが間違っても起きないことは当たり前だと私は思うのだが、「リベラル」はそうは思わない。

野球の試合にたとえれば、「安倍談話」はリードする法案推進側が9回表に放った犠牲フライのようなものである。このフライは浅く、ホームで三塁走者を刺してしかるべきものだったが、守備側の左翼手(レフト)は、あろうことか打者を打ち取ったことに満足してしまい、山なりの返球をしてむざむざダメ押しの1点を与えてしまった。あるいは、浅い当たりに「バンザイ」してしまって打球を後ろに逸らし、打者走者まで生かしてしまった可能性すらある。

残念ながら、安保法案の成立は不可避の情勢になりつつある。