kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

井上章一『京都ぎらい』を読む

昨年末だったか年明け早々だったかに買ってあった井上章一の『京都ぎらい』(朝日新書,2015)を読んだ。


京都ぎらい (朝日新書)

京都ぎらい (朝日新書)


洛中人による洛外人差別(著者は京都市の中心部から西に外れた嵯峨に育ち、現在は京都市の南方にある京都府宇治市在住)というテーマは面白かった。

とはいえ、私の体験した限りでも類似の例は他にもずいぶんある。

その中でも一番笑えたのは、岡山市民と倉敷市民、岡山と広島の対抗意識だった。2000年に聞いたある岡山市民の言い草は今思い出しても可笑しい。彼は倉敷に対する対抗心をむき出しにしており、他県の人は岡山県の県庁所在地を倉敷だと思っているなどという被害妄想を口にして怒っていた。私は、おいおい、他県人に多い反応って、倉敷市が何県に属しているのか知らないってことだろ、と思ったが、もちろん口にはしなかった。

また、彼は岡山を差し置いて広島が中国地方の盟主とされていることにも大いにご立腹で、岡山は広島ではなく関西の仲間に入れてほしい、と言っていた。ちなみに彼は阪神タイガースのファンだ。少年時代に神戸市民だった私は、神戸の人間は目が大阪や京都にばかり向いていて、岡山など眼中にないことをよく知っていたが、もちろんそんなことは口にしなかった。以前にも書いたと思うが、三宮より東に住み、父親が毎日大阪に出勤している少年は、岡山どころか兵庫県内であっても三宮や元町より西は、もう眼中になかったのだ(遠足や家族旅行の海水浴で、姫路城、須磨浦海岸、垂水などに行ったことがあるだけだ)。

同様のことを著者も語っている。著者は洛中人の「中華思想」に怒りながら、さらに京都の中心から遠い亀岡(嵯峨よりさらに西)や城陽(宇治よりさらに南)に優越感を持っていると白状する。もちろん自虐的に。つまり、大嫌いな「京都人」と自分も同じ心根を持っているのだと。それだけ「京都人たちの中華思想に、汚染されてしまった」(43頁)のだと。

1960年代頃まで、嵯峨の老人たちは京都の市中に行くことを「京へ行く」と言っていたとのこと。私が思い出したのは、映画「寅さん」のシリーズによって、今では東京・下町の代名詞とも思われている葛飾区柴又のあたりでは、昔は都心に行くことを「東京に行く」と言っていたらしいことだ。歴史的にも、江戸時代より前の時代には、隅田川の東側は下総の国に属していた。最近でも、浅草などの「下町っ子」は、「川向こう」(隅田川の東岸)の本所(墨田区)・深川(江東区)を「下町」と認めず「場末」とみなしていた(る)という。

それらにも増して「京都人」の「中華思想」がすさまじいらしいのは、東京(江戸)とは歴史が違うからなのかもしれない。「京都人」の脳内には、京都の中心部を頂点としたヒエラルキーがあり、浅草と本所・深川の対抗心も、ましてや広島と岡山、その岡山の中での岡山市民と倉敷市民の対抗心も、すべて頂上から見下ろして高笑いできるのかもしれない。洛中の中でも、中京(なかぎょう)・新町御池の人間が西陣の人間(故梅棹忠夫氏)の意識を「西陣ふぜいのくせに、えらい生意気なんやな」(27頁)と評したりする。

もちろん、現在の実生活においては、京都に代わって東京都心を頂点にしたヒエラルキーが出来上がっており、「京都人」の「中華思想」はその現実からはなはだしく乖離している。だからそれを戯画化したこの本は笑える。

私が著者の本を読んだのは、2001年に読んだ『阪神タイガースの正体』(太田出版)以来(下記のリンクは文庫化されたもの)。


阪神タイガースの正体 (ちくま文庫)

阪神タイガースの正体 (ちくま文庫)


この本も、「阪神タイガースへの幻想が、人為的につくられた」(太田出版版の帯より)ことを暴く本だった。それを、熱狂的なタイガースファンである著者が書いたところが面白かった。書かれている内容は、タイガースの地元で生まれ育ちながら(大阪府生まれで阪神間のち神戸市の育ち)、大学進学以来関西から離れてスワローズファンになってしまった(村上春樹とも似通う)経路をたどった私には、「実にその通り!」と心から納得できるものだった。現在のタイガースのあり方は、「関西らしい」「大阪らしい」*1ものでも何でもなく、その「らしさ」は神戸のサンテレビや大阪の朝日放送(ABC)などによって作られた「幻想」にほかならないのである。 子ども時代にサンテレビの画面を通じて見た読売戦以外はガラガラの阪神甲子園球場のスタンドを覚えている私は、あの暴力男・星野仙一の監督就任以来、数の力をバックに広島カープから選手(現阪神監督の金本や広島に出戻りした新井(貴)など)を強奪した阪神に腹を立て、あれじゃカープの江藤やスワローズの広沢やハウエルやペタジーニやグライシンガーらを強奪しまくった読売*2と変わらないじゃないか、スワローズよ、読売と阪神にだけは負けるな、などといきり立つのだが、私のような「敵」が「阪神タイガースの正体」を指弾するのでは空気が殺気立って無用な喧嘩を招くだけだ。そうではなく、熱狂的な虎キチである著者が書いたからこそ面白い読み物になった。「敵」である私が読んでも面白いのだから、心ある*3タイガースファンが読めばもっと面白いに違いないと思う。

それと似たことが『京都ぎらい』にもいえるかもしれない。嵯峨という京都市内にありながらの「洛外」からの視点で書かれたからこそ面白い。これが、昔から京都に敵愾心を燃やす大阪人(私もその末裔だ)や、新興の首都・東京からの視点で書かれたものであってはそうはいかないのだろう。

*1:そもそも阪神甲子園球場大阪府にではなく兵庫県にあるのだが。

*2:こうして思い出すだけでも読売への激しい敵意がかき立てられる(笑)。

*3:あくまで「心ある」タイガースファンに限る(笑)。阪神が負けた試合で東京ドームのスタンドからグラウンドにラジカセを投げ込んだり、その前日に同じ球場のレフトスタンドで虎の法被を着ていたくせに読売の選手が打ったホームランボールを拾って大喜びしていた「阪神フリーガン」は論外である。