kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

冨田勲とドビュッシーとかまぼこと

冨田勲の訃報は気になっていたがなかなか書くタイミングがつかめなかった。

富田勲 - Living, Loving, Thinking, Again(2016年5月11日)より

勿論『新日本紀行』や『きょうの料理』が富田勲の代表作であるということはいうまでもないけど、「てっちゃん、てっちゃん、かねてっちゃん、ちくわとかまぼこ、ちょうだいな」が富田勲作曲だったというのは知らなかった。富田といえば、というか最初に富田という名前を意識したのは、1970年代のクラシック4部作である。さらに、クラシックの〈再創造〉をオリジナル曲で繋いだ『バーミューダ・トライアングル』という傑作もあったのだが。『新日本紀行』とかは勿論それ以前から旋律や音色を知っていたけど、あの富田勲が昔こんなの作っていたんだ! という仕方で、事後的に吃驚したということになる。 まあ、私がドゥビッシーやストラヴィンスキーに親しみを感じるということには幾分か富田勲の影響はあるのかも知れない。

訃報で知ったのだが冨田勲は亡父より1歳年下だった*1ドビュッシーのアルバムはその亡父が持っていた。あの中の「アラベスク」は原曲を聴くよりも冨田勲のアレンジ版を聴いた方が早かった。親父の寝室から聞こえてきた「アラベスク」の冒頭の分散和音を耳にした妹が、何を面白いと思ったのか吹き出したことを覚えている。その次のムソルグスキーの「展覧会の絵」も思い出深い。「展覧会の絵」はラヴェルによるオーケストラ版が有名だけれど、原曲はピアノ曲アシュケナージが地味な演奏をしてた。一方、地味な原曲に飽き足らなかったホロヴィッツが、同じピアノ版ながら演奏効果の上がるように編曲したものもあった。そうしたいろんな「展覧会の絵」を聴いたものだ。ただ、3作目のストラヴィンスキーの「火の鳥」は原曲の魅力が同じ作曲家の「春の祭典」や「ペトルーシュカ」には及ばないし、4作目のホルストの「惑星」は、出だしから4曲目のジュピターまでは良かったが、そのあとの曲は原曲から逸脱した部分を含めてピンとこないというかよくわからないところが多かった。

それよりも、

「てっちゃん、てっちゃん、かねてっちゃん、ちくわとかまぼこ、ちょうだいな」が富田勲作曲だった

というのは私も知らなかったし、このコマーシャルが首都圏でもやっていたとは知らなかった。関西ではおなじみで、「てっちゃんの歌」は子どもの頃から聞き慣れていたけれど。
Wikipedia「カネテツデリカフード」には、以下のように書かれている。

創業者の村上鉄雄が、1926年(大正15年)に兵庫県西宮市で練製品の製造を始める。間もなくして第二次世界大戦の開戦により、1944年(昭和19年)には戦時企業統制令の発令で、同社を中心に数社の同業者を統合し、神戸かまぼこ株式会社に改名。社長に就任すると共に、戦後になって、同業者が合同の状態で、再び企業名をかねてつ蒲鉾株式会社に改名。また本社及び工場を、西宮市から神戸市兵庫区神明町に移転する。

1951年(昭和26年)に誕生したマスコットキャラクター、「てっちゃん」の登場ならびに、CMソング「てっちゃんの歌」で、関西から西日本では、一躍その名が知れ渡ると共に、地元・関西では有名企業の一つとして知名度を高めるが、東海地方から東では、同業最大手の紀文を筆頭に、他にも小田原市に本社を置く、鈴廣や籠清など競合他社が多数しのぎを削っていたこともあり、今ひとつの知名度に甘んじていた。しかし1982年(昭和57年)に、当時同社の常務だった村上健(現社長)が、コピーライターの中島らも灘高校の同級生であった縁から、『宝島』誌上で2ページの新聞記事もどきの広告「啓蒙かまぼこ新聞」の連載を開始する。かまぼこなどの練り製品に興味を持たない読者に対し、あの手この手の奇手奇策を凝らした内容が話題となる共に、これに乗じて、関東地方を中心とする東日本への営業展開を開始。関西で有名企業だった同社の名前が、ついに全国区の知名度を得ることになる。ただ「啓蒙かまぼこ新聞」は、編集方針そのものがかなりいい加減であったため、読者に対し企業側の思惑とはかけ離れたイメージを与えることも少なくなく、時には批判の声が上がることもあった。

そうか、80年代には首都圏でも有名になってたわけね。

なお、冨田勲とは関係ないが、子どもの頃にテレビのかまぼこのコマーシャルで耳に残っているのは、「むらかみーーーの、かまぼこーーーーーおおおお」(「おおおお」のところで一音ごとに音程が変化する)というやつだ。「カネテツデリカフード」の創業者も村上氏らしいが、これとは別だろう。ネットで検索すると、愛媛県「かまぼこの村上」というのがみつかったが、これだろうか。よくわからない。

冨田勲は晩年になっても「初音ミク」を使って作曲をするなど、老いても意気盛んなんだなと感心していた。故人の冥福を祈る。

*1:そういや冨田勲は50歳で亡くなったグレン・グールドと同い年なんだね。