kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

全米テニス騒動、問題は人種差別や女性差別ではなくセリーナの未熟さ

今週は平日に更新できなかった。来週も同じになると思う。

前の週末に、全米オープンのテニスで大坂なおみが優勝したが、大坂に負けたセリーナ・ウィリアムズの醜態が話題になった。

あれを女性差別や人種差別に対するウィリアムズの怒りととらえる見方は間違っている。差別というなら、一部の日本人による大坂選手に対する差別の方がずっとひどい。大坂を差別する者は同時に中国や韓国に対する憎悪に燃える者である場合が大半だ。

むしろあれは、純粋にセリーナの人間としての未熟さを露呈した出来事と見るべきではないか。

私は以前にはトップアスリートは人間的にも優れた人が多いのではないかとも思い込みを持っていたが、近年、そうした偏見が間違っていることを知るに至った。トップアスリートでもろくでもない人間が多いと私に教えてくれたのは、たとえば野球(プロ野球MLB)の佐々木主浩であり、柔道の谷亮子だ。ロンドン五輪の頃だったか、谷を批判する記事をひところずいぶん書いたものだ。あの当時は谷は国会議員(小沢一郎系の民主党議員を経て国民の生活が第一、生活の党所属)だったが、2016年の参院選に立候補せず政界を引退した。立候補していたら間違いなく落選していただろうから、それが嫌で政治家を辞めたのだろう。山本太郎とひどい不仲だとの話もあった。そういえば選挙前から谷は立候補しないだろうとの予想を何回かこの日記に書いた記憶がある。

セリーナのは、「田村で金、谷で金、ママになっても金」と公言して2008年北京五輪の優勝を目指した谷と酷似して、その野望を大坂に砕かれる試合展開になったことに切れただけだ。しかも、大坂はセリーナ自身と同じプレースタイルで、力でも技でも全盛期ならともかく現在の自分には歯が立たなくなった。その現実を感じながらそれを受け入れられないセリーナという人間の器の小ささが、あの醜態に結びついたのだ。

そういえば、マリア・シャラポワも好きになれない選手だ。セリーナ同様、人間としての未熟さを感じる。しかもこの人はドーピングまでやらかしていた。一方、セリーナの姉、ビーナス・ウィリアムズに対しては、セリーナやシャラポワに感じる反感は持たない。私同様、人種と好き嫌いとの相関がさほどない*1人は多いのではないか。今回のセリーナの明らかなわがまままで、それもセリーナ自身から人種差別だの性差別だのと言い立てられると、それは違うだろ、と思いたくなる。

最近どうしてもしっくりこないのは、バドミントンの桃田賢斗だ。東京都墨田区の違法カジノ店で賭博行為をやって出場停止処分を食ったことについて、復帰後のスポーツニュースではほとんど触れられない。美辞麗句でスポーツニュースのキャスターたちに応援されまくっているこの選手の映像を見ると、負ければいいのにといつも思ってしまう。幸い、先のアジア選手権で桃田は地元・インドネシアの選手に3回戦で負けてくれた(笑)。

「負ければいいのに」で思い出したのは、例によってプロ野球の読売だ。このままだとセ・リーグクライマックスシリーズのファーストステージは神宮球場でのヤクルト対読売になってしまう。下位3球団、特にDeNAに頑張ってもらいたいのだが、現在DeNAは最下位に落ちている。一時期DeNAと中日の負けが込んでいたので、ここ数日読売と阪神が負けまくっているのに未だに3位と4位にとどまっている。読売とのクライマックスシリーズなんて絶対に勘弁して欲しいし、阪神戦もできれば避けたいのだが、現状ではどちらかと当たってしまう可能性の方が、それを回避できる可能性よりも高い。仮にヤクルトがこのどちらかに勝っても、マツダスタジアムで広島と戦う資格がそもそも今のヤクルトにあるのかどうか疑問だ。もちろん広島と試合をやればヤクルトの惨敗だろう。とにかく長年の読売依存体質のせいで、セ・リーグのレベルは下がりに下がってしまった。リーグで唯一まともなチーム作りをしている広島が独走するのも当然だろう。

などなど、スポーツニュースを見てもろくでもないものが多い。そういえばパワハラ問題も相次いで報じられている。これについては、それらを報じるのも大事かも知れないが、安倍政権によるパワハラをもっとメディアは報じるべきだろうとの感想が先に立つ。

*1:全くないとは言い切れない。自分では全くないと思いたいが、自覚しないところにどこか差別的な感覚が残っているかもしれないと自戒している。なお、私の場合プレースタイルと好き嫌いとの相関は強く、パワープレーヤーよりも技巧派を好む傾向がある。セリーナやシャラポワを嫌うのもそれと関係があるかも知れない。もっとも大坂もビーナスもパワープレーヤーではある。