kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「非正規」と「フリーター」と階級社会と

 「非正規」と「フリーター」の話。

 

 

 

 いや、「『組織に縛られない、新しい若者の自由な生き方』的な、もっと先鋭的にポジティブな打ち出し」があったのは、就職氷河期の1999年頃よりもっとずっと前、バブル時代の話だよ。Wikipedia「フリーター」に書かれている通り。

 

フリーター - Wikipedia より

 

語源

1985年(昭和60年)頃から音楽分野で散見されていた「フリーアルバイター」という言葉は、翌1986年(昭和61年)3月31日朝日新聞に「フリーアルバイター」という造語が紹介されたのを機に各新聞社が取り上げ全国的に流行語となっていく。

1987年(昭和62年)にリクルート社のアルバイト情報誌「フロムエー」の編集長道下裕史が、新聞・雑誌テレビなどでも頻繁に使われていたフリーアルバイターをフリーターと略し、映画『フリーター』を制作し公開した。当初は、フロムエーにフリーアルバイターというカテゴリが設けられていたが、フリーターという言葉のほうが言い回しが良く定着した。

1991年(平成3年)、フリーター(フリー・アルバイターの略)の見出しで広辞苑(第4版)に記載された。

語源は

  1. 英語のフリー free(「時間の自由な」という意味の略)
  2. ドイツで労働を意味し、日本語では非正規雇用を意味するアルバイト Arbeit
  3. 「~する人」という意味の英語 er、または同じ意味のドイツ語 er

の3つをつなげた和製の造語(「フリー・アルバイター」の略称)である。

入国審査の際に「職業欄」に「フリーター」と記入しても受理されない。英語圏では「恒久的な部分時間労働者」を意味する「パーマネント・パートタイマー[5]」と呼ぶことが多い。

 

増加の要因と社会構造の変化

バブル期フリーターの小発生

1980年代後半のバブル経済の時期、コンビニエンスストア飲食店等のチェーン店の発達や建設ラッシュに伴う建設業界の人手不足によって、それまではマイナーな雇用形態であったアルバイトの求人が急増し始めた。アルバイトマガジンが発行され、若者の間でアルバイトが身近なものとなった。空前の好景気が要因となり高給のアルバイト求人が急増し、就職せずとも生計を立てる事すら可能なほどだった。また、景気が良好であったため、正規就職の意志があれば比較的簡単に就職が可能な時代でもあったので、人生設計上の問題も生じなかった。こうして、各人の都合による時間帯に労働をすることができる“新しい雇用形態”として、学生のみならず一部の社会人の間でも重宝された[6]。 また、1986年(昭和61年)7月1日労働者派遣法(通訳、航空機操縦士、プログラマーなど専門技術を持つ者のみ対象)が施行されると、一つの会社に所属するのではなく、不特定多数の会社と契約を締結して労働をするというフリーエージェントのような生活をする若者が発生した。

これが当初のフリーターの発生経緯であり、初めの頃のフリーターは“不安定な雇用”ではなかった。フリーターの状況が一変したのは、アルバイトの賃金が急速に落ち込んだバブル崩壊後である。

氷河期フリーターの大発生

バブル経済が崩壊すると、アルバイトの賃金は急落し、同時に大多数の企業が正社員の雇用自体も抑制し始めた。1993年(平成5年)以降、新卒の求人倍率は低下し、企業側の新卒を厳選する態度は厳しくなった[7]。そのため、新卒の求人倍率が一倍以上に保たれていながら、学生たちは「数十社回って内定が一つ取れるか取れないか」という状況へと陥った。いわゆる「就職氷河期」の到来である。2000年~2005年の超氷河期と呼ばれた時期は過酷さを極め、大学卒業者ですら、半数近くが就職すらできないという状態であった[8]

さらに、ハローワーク中途採用枠も、求職者数(就職希望者)に対して求人数(雇用口)が半分近く不足状況であったため、新卒の段階で就職できなかった者の何割かは、フリーターになる以外に選択肢のない状況へと追いやられた。これが後に深刻な社会問題となる“氷河期フリーター”の発生経緯である。

 

Wikipedia「フリーター」より)

 

 業種が限られているのであまり知られなかったが、1996年の派遣法改正で派遣労働が認められる業種が拡大した。それで翌1997年には当時私が務めていた会社にも派遣社員が入ってきた。生物学系の修士課程を修了したけれども希望する会社に入れず、止むを得ず派遣社員の道を選んだ若者だった。当時から「派遣」が労働者を安く使う目的で導入されたことは知る人は知っていた。もちろんその背景には1995年に日経連が出した「新時代の『日本的経営』」があった。

 しかし、政界では派遣労働に対して至って鈍感だった。だから1999年の派遣法改正時には日本共産党除く*1野党は、民主党はもちろん社民党に至るまでみな賛成した。社民党はのちの「コイズミカイカク」をも当初後押ししていたような鈍感な政党だったから、絶滅危惧種となった現在の惨状を招いたのだろう。社民党にせよ民主党系政党にせよ、当時の総括がどれくらいできているかは甚だ疑わしい。もっともこの件は以前にも書いたことがあって、枝野幸男は「誤りだった」と認めているらしいが。

 下記は2011年11月17日にこの日記に書いた記事。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

  民主党小泉政権時代の2003年に行われた、派遣労働の対象を製造業にも拡大する2004年改正派遣法の採決時には反対に回った。製造業への派遣労働の解禁も問題が大きく、私は四国在住時に勤めた企業で、雨宮処凛氏が著書で紹介したのとそっくりの事例に直面させられたことがある(これも何度か書いたので今回は書かない)。2003年の時点ではさすがの民主党も派遣労働の問題に気づいていたようだが、気づくのが遅すぎた。

 また、「国民の生活が第一」をスローガンにしていた小沢一郎が、派遣労働拡大の反省や総括を今に至るまで一切していない(ように思われる)ことも指摘したい。

 話が飛んだが、1999年頃には「非正規」という言葉はあまり使われなかったのは確かだが、一部の業種では「派遣」という言葉がアンダークラスの階級に属する労働者を指して使われ始めていた。一方、「フリーター」という言葉は、バブル期には肯定的な意味で使われていたが、就職氷河期においてはもはや肯定的な意味合いは失われていた。しかし、「非正規」という階級的な言葉が普及したのは今世紀に入ってからだろう。安倍政権が「非正規」という言葉を消したがっているらしいが、いうまでもなくこれには階級社会の実像を不可視化したいという政権の強い動機から発しており、類例として安保法制を「平和安全法制」と呼び変えていることが挙げられる*2

 「非正規」が階級を指す言葉として使われている例として、星野智幸の短編小説「地球になりたかった男たち」(「文藝」2013年冬号掲載;短篇集『焰』(新潮社2018)収録)から以下に引用する。

 

(前略)岸川の性格がねじくれているのは非正規上がりだからだとかいった話になる。そう聞いたときには、森瀬も思わず納得してしまったものだ。あいつが非正規の連中に厳しいのは、自分はあいつらとは違うってことを証明したいからで、その卑しさがいかにも非正規上がりそのものって感じなんだよね。後ろ暗いやつほど、マイナスの痕跡を消したがるからな。そのくせいつも非正規上がりだって馬鹿にされているんじゃないかって気にしてる感じだし。でもそれって正しくない? 実際馬鹿にされてるわけだから。いずれにしても、非正規上がりのせせこましさっていうのは内面からじわじわとにじみ出てくるから、隠しようがないよな。

 飲みの席では深く同意し納得していた森瀬だが、帰って一人になってみると、自分の毒に脳が侵されていくのを感じた。あんな寒々しい中傷をいとも簡単に信じ込んでしまう自分は病気だと思った。(後略)

 

星野智幸「地球になりたかった男」より。『焰』(新潮社,2018)122-123頁)

 

www.shinchosha.co.jp

 

 また話が逸れるが、この小説を収めた星野智幸の短篇集『焰』には、「半島系クレーマー」への差別意識を込めた陰謀論をかつての友人が語る「木星」(「新潮」2014年6月号掲載)も収録されているが、現在日本で猖獗を極める「反韓」言説とは、「ニッポンジン」が脳内ででっち上げた国際社会の階級において、自国より「下」の階級だと「ニッポンジン」が勝手に決めつけている韓国に対する妄想的「アッパークラス」からの差別意識ではなかろうか。しかもこの場合は、現実にはそんな階層関係は存在しないだけになおさら救いがない。しかし、この集団的妄想に「深く同意し納得」させられている人たちが増えていて、彼らが安倍内閣の支持率を高止まりさせているのだろう。

 星野智幸については、2013年末に下記記事を書いた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 上記記事は、朝日新聞オピニオン面に掲載された星野氏の寄稿について書いたものだが、「宗教国家日本」のタイトルで、エッセイ集『未来の記憶は蘭のなかで作られる』(岩波書店,2014)に収録されている。 

 

www.iwanami.co.jp

 

 先週土曜日に図書館で上記2冊の本を借りて、エッセイ集の方は既に読み終え、短篇集『焰』は9篇中6篇まで読んだ。星野氏の『俺俺』は大江健三郎賞を受賞したが、かつて筒井康隆大江健三郎にずいぶん接近していたことを思い出す。しかし、筒井の偽悪性は安倍晋三を頂点とするマジョリティの「本音」になってしまう倒錯の時代になってしまったのに、それに気づかない筒井が「反韓」の言説を発して批判された事例が先年あった。筒井の偽悪性は「断筆宣言」前の1990年代前半までは通用したが、時代の変化に合わせて自らを変えられなかった筒井は、晩節を汚したとみるべきだろう。あれがマジョリティになってしまってはダメなのだ。差別的言説がマジョリティの意見として通用する悪夢のような時代。それが「嫌韓」の言説が跳梁跋扈する今の日本だ。

 話が完全に逸れたが、時間が来たので今日はここまで。

*1:最初の公開時に「日本共産党を含む」と書いてしまいましたが、これはもちろん「日本共産党を除く」の誤記です。事実とは正反対の誤記をやらかしてしまったことについて、日本共産党とその支持者の方にお詫びします。

*2:TBSの「サンデーモーニング」が、安保法制を「平和安全法案」と呼ぶ岡本行夫をコメンテーターとして重用していることは、この番組の右傾化を端的に示すものだろう。