kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

山本元号党が「政策が近い」として刺客を送らなかった東京22区の伊藤俊輔は、元自民党・伊藤公介のドラ息子にして旧維新・希望系、現立民系の右派新自由主義系議員(呆)

 「希望の党の再来」である山本元号党の衆院選候補者選抜は本当にでたらめで、たとえば東京22区の候補に内定した櫛渕万里というのは、2009年の「政権交代選挙」で東京23区から出馬し、自民党の伊藤公介を破って当選した「民主党残党」だが、民主党内では自誓会、つまり細野豪志一派に入った極右系だ。櫛淵は小沢・鳩山系ではなかったので生活の党や自由党に所属したことはないが、2012年と14年で民主党から立候補して連続落選したあとの2017年衆院選では、希望の党から千葉3区に立って小沢系の立憲民主党候補・岡島一正と票を食い合った末落選して3連敗となった*1

 その櫛渕は、なぜ東京23区ではなく22区から立つのか。それは、東京22区からおそらく立憲民主党から立候補するとみられる伊藤俊輔の政策が山本元号党に近いからだと聞いた。

 しかし、この伊藤なる人物、櫛渕が2009年に破った伊藤公介の息子で、かつ維新系の右派新自由主義系政治家なのだ。

 こんなのを候補に立てようとしているらしい立民も強く非難したいが、そんな伊藤と癒着しているらしい山本元号党もひどいものだ。

 

 ここで自らの恥をさらすが、伊藤公介といえば、昔「きっこの日記」にはまっていた私のような人間にはおなじみの人物だ。でも覚えていたのは名前だけで、果たして何の件だったっけ、と思ってネット検索をかけてみたら、現在では当時のきっこの追及が的外れだったとみられている耐震強度偽装事件に絡んで叩かれていたものだった。しかし、その14年前の「きっこのブログ」に伊藤俊輔の名前が出ているのを発見した。

 

kikko.cocolog-nifty.com

 

 以下、伊藤俊輔に関する記述がある部分を抜粋して引用する。

 

(前略)三男の伊藤俊輔は、地元の都議だった渋谷守生のアトガマを狙ってて、伊藤公介は自分の三男を都議にするために色々と根回しをしてた。だけど、企業とベッタリ癒着してる伊藤公介のバカ息子なんかが都議になっちゃったら、腐りきった町田市の行政がさらにメチャクチャにされちゃう。それで、伊藤公介の秘書だった吉原修が、この状況を見るに見かねて、自分が立候補して、当選したって流れなのだ。ここから、伊藤公介と吉原修との確執が生まれて、2人は不仲になった。そして、伊藤公介は、都議にさせてやれなかったバカ息子の俊輔を「フューチャービジネスネットワーク」と「融創国際」の代表取締役に据えたってワケなのだ。(後略)

 

(「きっこのブログ」2006年1月16日付記事より)

 

出典:http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2006/01/post_b56d.html

 

 伊藤俊輔の経歴について、Wikipediaから引用する。

 

東京都町田市生まれ。高校まで桐蔭学園で過ごした後、北京大学留学を経て、中央大学経済学部国際経済学科を卒業。大学卒業後は起業し、航空貨物会社を経営。中央大学OB探訪によると、”桐蔭横浜大学を卒業し中国の北京大に留学、25歳で中央大学経済学部に編入学。3年次からの2年間を多摩キャンパスで学んだ。”と記載されている。

2012年、維新政治塾に入塾。同年、父・公介が次期衆議院議員総選挙自由民主党の公認を得られず、引退を表明(2009年の第45回衆議院議員総選挙で落選)。第46回衆議院議員総選挙・東京23区から日本維新の会公認で立候補する俊輔を支援する意向を示し、俊輔は同党公認で立候補したが、自民党新人の小倉將信、民主党前職の櫛渕万里の後塵を拝し、得票数3位で落選した。

2014年の第47回衆議院議員総選挙には維新の党公認で東京23区から立候補したが、自民党前職の小倉、民主党元職の櫛渕に再び敗れた。

2017年の第48回衆議院議員総選挙では、希望の党から立候補。東京23区では自民党前職の小倉に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、初当選した。

2018年5月7日、民進党希望の党の合流により結党された国民民主党に参加した。

2019年1月15日、国民民主党へ離党届を提出、立憲民主党衆議院会派である「立憲民主党・無所属フォーラム」への入会を届け出た。所属していた国民民主党は同月23日の同党総務会において「当選1期の新人議員であり、今回の行為は苦慮の上のものであったことは推察される」とする半面、伊藤の行為が「党の結束を乱す行為・言動」に抵触するものだと指摘し、伊藤に対して「公職の辞任勧告」を行った上で離党届を受理することが認められた。

 

出典:伊藤俊輔 (政治家) - Wikipedia 

 

 こんな人を共同会派入りさせる立民も立民だ。茨城の藤田幸久といいこの伊藤俊輔といい、仲間に引き入れる政治家にとんでもない人間が多いことが、私が立民を信用できない一因になっている。同じ元希望の党の議員でも、小川淳也のように凌雲会前原誠司系)きってのリベラル派として香川県民時代から知っていた人の場合は、ボスの前原や同郷の玉木雄一郎らとのしがらみからそういう決断をしてしまったんだろうなと同情できる点もある*2が、伊藤俊輔はそうではなく、元から右派新自由主義系の世襲政治家だ。

 そして、その伊藤と政策が近いというのが山本元号党なのだ。既に発表した希望系の候補3人に加えて、配慮して刺客を送らないと決めた伊藤俊輔も元希望の党の議員。しかもすでに政界を引退した親父は自民党でも有数の利権議員だったというのだから何をかいわんや。さすがは「希望の党の再来」だけのことはある。

 こうして、山本元号党に対する不信感が募る一方の今日この頃なのだ、ときっこ流に締めてしまった。

*1:岡島一正は比例復活で当選した。岡島と櫛淵の得票を合計しても自民党松野博一には及ばなかった。なお岡島は「小沢側近四天王」の一人として知られるが、民民ではなく立民に移った。

*2:但し、小川氏は2017年の時点で勇気を持って希望の公認を断り、立民から立候補すべきだったとも思っている。当時から私は、いずれ氏が立民へと移ることを予想していた。次の衆院選では間違いなくそうなるだろう。