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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「DV被害者シェルター所在地に動画で言及 嘉田由紀子議員が釈明」(毎日新聞)

 嘉田由紀子が9年前に続いて芳しくない話題の人物となった。以下毎日新聞より。

 

mainichi.jp

 

DV被害者シェルター所在地に動画で言及 嘉田由紀子議員が釈明

毎日新聞 2021/5/13 16:23(最終更新 5/13 18:46

 

 前滋賀県知事で無所属の嘉田由紀子参院議員(70)が4月、インターネット上で公開された動画内でドメスティックバイオレンス(DV)の被害者を保護するシェルターの場所を推測できる発言をした。DV被害者を保護する施設は加害者から身を守るため一般的に非公表とされている。嘉田氏は自身のホームページ上で「配慮が足りない発言があったとのご指摘を受けました」と釈明した。

 発言は4月21日のオンライン集会であった。毎日新聞が動画を確認したところ、他の参加者との対話の中で嘉田氏がDVシェルターに言及。「ある意味で隠してあるんですけど、女性が逃げ込むアパートみたいなところ」と述べ、DVシェルターがある滋賀県内の自治体名を明言。具体的な場所を推測できる発言もした。

 集会は、主催団体の賛同者を対象にした事前申込制で開催されたが、動画投稿サイト上でも公開され、不特定多数の人が閲覧できる状態だった。嘉田氏事務所によると、申込者以外に約120回閲覧された。

 シェルターを所管する滋賀県によると、28日に外部から情報提供を受けて動画を確認。嘉田氏側に「不適切な発言だ」として電話で対応を申し入れ、動画は削除された。県子ども・青少年局は「場所が公表されると、加害者が訪れて避難者を連れ戻したり、事件につながったりする可能性がある」と話した。

 

 嘉田氏事務所は取材に「話すことはない」と述べたが、5月12日付で嘉田氏自身のホームページ上に見解を公表した。「私が先日、DVを受けている男性から相談を受けた際に、この男性が、DVについて非常に苦しんで救済を求めておられたため、それに対するアドバイスをいたしましたが、その中で、配慮が足りない発言があったとのご指摘を受けました。この点については、真摯(しんし)に受け止めております」としている。【菅野蘭/デジタル報道センター】

 

出典:https://mainichi.jp/articles/20210513/k00/00m/010/177000c

 

 本当に軽率な人だな。9年前と何も変わっていない。ネットでも一部から嘉田の議員辞職を求める声が挙がっているが、私も賛成だ。嘉田は議員辞職すべきだ。

 本件が発覚したおかげで、9年前に公開した弊ブログの下記記事が発掘された。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 タイトルの「シンシンシン党」とは「新・新進党」という意味だが、実際に発足した新党名は、記事から引用した読売新聞記事に書かれている通り「日本未来の党」だった。私が「シンシンシン党」などと書いたののは過大評価もいいところであって(笑)、新進党は1996年の衆院選に敗退したとはいえ、自民党に当選議員を一本釣りされまくるほど多くの議席を獲得したのに対し、2012年の衆院選日本未来の党公認候補の当選者はわずか9人だった。とんだ泡沫政党だったわけである。衆院選後、嘉田は小沢一派に党を乗っ取られて赤恥をかいたことは周知の通り。

 以下上記記事から引用する。

 

(前略)僭称「脱原発」(共同代表・山田正彦元農相、河村たかし名古屋市長)が入るというだけでも、「なんちゃって脱原発政党」との誹りは免れないだろう。小政党では勝ち抜けない選挙制度ではあるが、地下原発推進議連の顧問(亀井静香)や石原慎太郎と野合しようとした河村たかしの「減税日本」を加えるというだけで、一線を越えている。真面目な脱原発派が支持するに値する政党とは全くみなされない。

 

(中略)

 

そもそも嘉田由紀子といえば「親橋下」の首長だった。大飯原発再稼働の局面では、橋下ともども腰砕けになって再稼働を許したことは記憶に新しい。それに加えて、明日発表される野合政党の「相談役」には、あの「橋下のブレーン」を務めていた飯田哲也が就任するとも報棄て(テレビ朝日報道ステーション』)が伝えていた。ますますドン引きしてしまう。これでは橋下と石原と*1野合して小沢を振った報復として、小沢が嘉田由紀子飯田哲也といった「橋下人脈」の「なんちゃって脱原発派」を引き抜いて新党を結成するだけとしか思えない。(後略)

 

出典:https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20121126/1353936377

 

 あの愛知県の「リコール偽造署名問題」の真犯人ではないかと目される河村たかし山田正彦らとつるんで「脱原発」を僭称する政党を作っていたことはうっすらと覚えているが、嘉田由紀子自身が親橋下の人間だったことは完全に忘れていた。もともとそういう人間だったのだ。

 今や元スワローズの選手の方しか思い出さなくなった飯田哲也といい、トンデモ人士がわらわら寄り集まった「日本未来の党」が大惨敗したのは今考えてみれば当然だが、当時は東京新聞やら日刊ゲンダイやらが全力でこの党を応援する旗を振っていた。私は日刊ゲンダイに対しては1981年以来40年間アンチの姿勢を貫いているが、「反東京新聞」になったのはこの年からだ(それでももう9年、正確には8年半になる)。

 今回の嘉田の軽挙妄動は、あの時の嘉田の行いを思えば当然と言えるかもしれない。今回の件でも嘉田は「釈明」こそしたものの、謝罪は一切していない。この厚顔無恥さには開いた口が塞がらない。実にひどいものだ。なんとかは死ななきゃ治らないの見本。

*1:「橋下が石原と」または「橋下と石原が」の誤記と思われる。この誤記には今初めて気づいた。